第一〇九編 交錯する片想い⑤

「え、えーっと……それじゃあ改めて、勉強会を始めようか」

「お、お騒がせしました……」


 桃華ももか久世くせが戻ってきてから、俺たちは微妙な空気の中、机の上に参考書やノートを広げていた。

 ちなみに、桃華はいつも通りのほぼスッピン状態に戻っている。流石に化粧直しをする時間はなかったらしい。まあ、先程までの大人っぽさこそ消えてしまったものの、彼女はこれくらいが一番可愛いと俺は思っているが。


「それで……そもそも今日の勉強会って、何をする予定なんだい?」

「あ? 勉強会なんだから、勉強に決まってるだろ?」

「いやそれはそうだろうけど……その、随分時期が早いなあと思っていたんだ。期末試験はまだ一ヶ月以上先だよね?」

「うぐっ……」


 以前七海ななみにも突っ込まれた部分を再指摘され、返答に詰まる俺。隣に座る桃華が不安そうな表情をしているのが手に取るように分かった。そして正面に座る七海は、無表情ながらも俺のことを観察するようにじっと見つめている。


「(くそ、いきなりこうなったか……!)」


 俺は歯噛みしつつ、必死に脳みそをフル回転させる。

 俺が今回、この四人が一同に会するために〝勉強会〟という口実を用いたのは、それ以外に俺たちが集まる動機がなかったからである。消去法だったと言い換えてもいい。

 強いて言えば全員が一応〝甘色あまいろ〟の関係者ではあるものの、いくらなんでもその口実で集まるのは無理があった。

 だからと言って、「四人で遊ぼうぜ!」などと声をかけたところで七海が来てくれるわけがない。むしろ人嫌いのコイツを今日この場に引っ張り出せたことが既に大ファインプレーなくらいだ。


 しかし〝勉強会〟として集まったら集まったで、また別の問題が浮上してくる。

 一つ目は、今久世が指摘したように時期的に少し無理のある口実であること。

 ただしこれについては、確かにやや不自然ではあるだろうが、意味不明というほどでもない。初春はつはるは一応進学校だし、七海や久世のような一部の天才はいるものの、日常的に勉学に精を出す生徒は多いからだ。


 だから今の久世の疑問についても、そう答えれば済む話である――のだが、ここで障害となるのが二つ目の問題点。そして、最大の問題点。


 それは――俺が俺以外の三人全員に、それぞれ隠し事をしている、という問題である。


 桃華は〝俺が桃華と久世をくっつけようとしていること〟を。

 七海は〝俺が久世と七海の関係性を改善しようとしていること〟を。

 久世に至ってはその両方について、それぞれ知らないのである。


 個人相手であればいくらでも誤魔化しは利く。以前七海を誘ったときも、桃華や久世がその場に居なかったからこそ「桃華を〝特待組〟に入れたい」という理由付けが出来た。

 だが、こうして四人が額を突き合わせている状況下で下手なことを言えば、どうしても矛盾が生じてしまいかねない。


 特に厄介なのは、七海は〝俺が桃華と久世をくっつけようとしていること〟を、桃華は〝俺が久世と七海の関係性を改善しようとしていること〟を、それぞれという点だ。

 つまりこの二人はそれぞれ、二つある俺の目的のうち

 逆に言えば二人とも、ということ。非常にややこしいが、これが下手なことを言えない理由なのである。


 心理的な話になってしまうが、たとえば今現在、久世への返答にきゅうしている俺をフォローするために桃華が「ま、まあいいんじゃないかな? 早い内から勉強するに越したことはないんだし!」といかにも彼女らしいフォローを入れてくれたとしよう。

 確かにそれで久世は「まあそうだね」などと納得してくれるだろうが……しかし七海の視点からは「どうして事情を知らないはずの桐山きりやまさんが小野おのくんのフォローを……?」となってしまう。そしてその逆もまたしかりだ。


 俺の目的はどちらも、この四人が揃う必要があるのは絶対条件。

〝久世と七海の関係改善〟という意味では当然久世と七海が不可欠であり、その七海を誘う名目である〝勉強会〟という意味では桃華が不可欠。

 かといって二つある目的を、それぞれ個別に果たすこともできない。

 たとえば〝久世と七海の関係改善〟だけを果たすために俺・久世・七海という三人だけで集まろうとしても、七海は参加してくれなかっただろう。彼女が俺に協力してくれているのはあくまで〝契約〟に基づく桃華の恋の成就のためなのだから。


 強いて言うなら、小野悠真おれ自身は二つの目的の名目上ではこの場にいる必要はないかもしれないが……俺がセッティングした集まりに俺が居ないのは不自然なんてもんじゃないし、そもそも俺が居ない状態で七海に「桃華のために勉強会を頑張ってくれ!」なんて言えるわけもない。……考えただけで、軽蔑の瞳で俺を見下してくる彼女が目に浮かぶようだ。


「……小野くん? どうかしたのかい?」

「……えっ? あ、ああいや、なんでもない」


 思考の海に沈んでいた俺は、久世の声にハッと我に返り、そして曖昧に笑いながら答える。


「……まあ、たまにはいいじゃねえか。お前ら全員成績良いから、勉強教えて欲しかったんだよ、

「ああ、そういうことなんだ。……もしかして二学期の通知表、悪かったのかい?」

「……そ、そのことについては触れないでくれ……」

「ははっ、ごめんごめん。そういうことなら、僕も喜んで協力するよ。丁度このところ、バイトばかりで身を入れて勉強出来ていなかったからね」


 爽やかな笑顔とともに納得してくれたらしい久世に、俺はホッ、と息をつく。苦し紛れの言い訳にしては、思いの外上手かったんじゃないだろうか。決して、俺の二学期の通知表は悪くなんてなかったが。……そう、決して、だ。


「…………」

「…………」


 そこで俺は、七海がじっとこちらを見ていることに気が付いた。……な、なんだ? い、今の答え、まずかったか?


「な、なんだよ?」

「……いいえ。なんでもないわ。するならさっさと始めましょう」

「あ、ああ……」


 七海の様子を見て、俺は若干の違和感というか、彼女らしくないと感じていた。

 コイツは無神経に言いたいことをズバズバ言うし、だから言葉を濁すことはあまりしないのだが……いや、この場には桃華と久世もいるから、〝契約〟関連で何か言いたいことがあった場合は、今言葉にすることはできないか。

 でもその割には特に俺に何かを伝えようとしている素振りもないのが気にかかるが……。


「じゃあ、何から始めようか?」

「そうだね。悠真ゆうまってどの科目が一番苦手なんだっけ?」

「えっ……あ、ああ。英語……だけど、正直どの科目もあんまり自信ないな……」

「あはは、そっかそっか。じゃあまずは英語から始めて、後から他の科目もやろうよ」

「それがいいね。学年一位みくが居てくれるのはすごく心強いし、この機会に苦手を克服してしまおうよ」

「お、おう。お、お手柔らかに頼む……」


 そう言ってチラリ、と七海の方を見ると、彼女は開いていた本をパタン、と閉じた。


「――ええ。そうね」


 そう呟いた彼女の瞳の奥にある感情は――いつにも増して、まったく読みとることができなかった。

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