第一〇八編 交錯する片想い④

 変わらず気まずい空気が流れ続けている一室に、コンコンコン、とノックの音が響いた。


「――未来みくお嬢様。桐山きりやま様がお見えになりました」

「!」


 ドア越しに聞こえた本郷ほんごうさんの声に、俺は思わず顔を振り向かせる。


「……ええ。入っていいわ」


 なんとなく前髪をいじり、自分の服装に変なところがないかを確認してしまう俺を尻目に七海ななみがそう応えると、先ほどと同じように本郷さんが扉を開けた。


「し、失礼しまーす……わっ、すごい部屋……!」


 本郷さんに促されるままに部屋へ入ってきた幼馴染みの少女――桃華ももかは、この豪邸に若干びくびくした様子ながらも、背表紙まみれの部屋を見て驚きの声を上げる。


 金持ちの家に呼ばれたからなのか、それとも学校やバイト以外で久世くせと会うからなのかは分からないが、今日はいつもよりめかしこんでいるように見える。

 清楚さを際立たせる白のブラウスに、タイトなブラウンのスカート。耳元には小さなイヤリングが光を反射して輝いていた。

 いつもは後ろで束ねている髪も下ろしており、ふわふわとゆるいウェーブがかかっている。

 加えて、薄くではあるが化粧もしているのだろうか。唇は艶のある綺麗な桜色、頬にはわずかにピンク色のチークが入れてある。


「(……か、かわいっ……!)」


 桃華は化粧なんかしなくても十分に可愛いと思っていたが、いざこうして見ると化粧というのは恐ろしい。

 今の桃華のように必要最低限なメイクをするだけでも、いつもの無邪気な可愛らしさから一変、どこか大人びた雰囲気すら醸し出している。……なんだか、世の中の女子がどうしてスッピンを見せたがらないのかが分かった気がした。


「お、遅れてごめんなさい。ま、待たせちゃったかな……?」

「イッ、いや? 俺らも今来たとこだから」

「……フッ」

「おい七海テメェ、今笑ったか?」

「笑ってないわよ」


 一瞬声が裏返ってしまった俺は、頬が熱を帯びるのを誤魔化すように正面に座る七海に噛み付く。彼女は素知らぬ顔でまた本を開いているが……絶対コイツ今、俺のことを鼻で笑っただろ。

 俺がギリッ、と奥歯を鳴らしていると、俺たちの席配置を見ていた桃華がこちらに視線を送ったことに気が付く。


「…………」

「…………」


 声には出さないが、接客業特有の目配せアイコンタクトで「(ナイスだよ!)」とでも言いたげな桃華に、俺もまた「(おう)」と返す。七海の隣に久世を配置したことを指しているのだろう。

 俺は桃華が喜んでくれていることに内心ニヤニヤしつつ、しかしそれを表情に出すことなく、あたかも今気が付いたかのような演技と共に言った。


「おっと、悪いな桃華。椅子の上に荷物置いちまってたわ」

「う、ううんー? だ、大丈夫だよー、ありがとうー悠真ー」

「(いや演技下手くそかッ!)」


 桃華の驚くほどの棒読みに、俺はギョッとしながら心の中でツッコミを入れる。

 いや……いくらなんでも演技下手すぎるだろ。なにその汗。なんでこの段階で滝のような汗を流してんだよお前は。


「き、桐山さん? だ、大丈夫? なんか汗すごいけど……」

「うぇっ!? だだだ、大丈夫大丈夫っ! ぜんぜん平気っ! ほ、本当だよ!? うん、特になにもないしっ!?」

「えっ……あっ、う、うん? だ、だったらいいんだけど……」


 心配げにイケメン野郎に声を掛けられ、テンパりまくる桃華。勿論、どこからどう見ても「ぜんぜん平気」ではない。

 というか「特になにもない」ってなんだよ。誰もそんなこと聞いてねえんだよ、怪しすぎるんだよ。

 嘘が下手にも程がある。流石の久世も、桃華の異様なテンションに若干引いていた。勘の良い七海ならそろそろ「貴方たちの企みは看破したわ」とか言い出してもおかしくなさそうなんですけど。


「お、おい桃華。ほ、ほら、タオル貸してやるから、とりあえず顔拭けよ」

「あ、ありがとう……」


 これ以上ボロは出させまいと、鞄から取り出したタオルを差し出してやりながら、俺はフォローを入れてやる。


「お前さては、寝坊でもしてここまで走って来たな? だからそんな汗だくなんだよな?」

「えっ……? ううん、寝坊もしてないし、普通にバスで来たよ?」

「(否定すんなや!)」


 コイツ人のせっかくのフォローを!?

 しかもなんでちょっと「心外だなぁ」みたいな顔してやがんだよ! 心外なのはこっちなんですけど!?


「(い、いや、落ち着け俺……そ、そうだよな。桃華コイツは、仮にも好きな男久世に会う予定があるのに寝坊したと思われたくないんだ。乙女心ってやつだよ、うん)」


 俺はツッコミを入れたくなる気持ちを抑え、静かに深呼吸をして冷静さを取り戻す。

 桃華が馬鹿正直で、そしてどこか抜けたところがあるのは昔からだ。俺はこの子の、そういう裏表がない部分にこそ惚れたのだから。

 そう、桃華は悪くない……ただ、俺は既に〝久世と七海の関係性を改善する〟という目的において、桃華は使い物にならないことを確信していた。


 大丈夫だ、なにも問題はない。

 よくよく考えれば打ち合わせも計画もしていない、完全なアドリブなのだから、どのみち桃華と歩調を合わせるのは難しかったはず。

 だったら桃華には表向きの目的である期末試験勉強に集中してもらって、俺一人で裏の目的を果たした方が効率的なくらいだ。

 ……などと、頭の中でここからどうするかを考えていると、ふと隣で汗を拭き終わった桃華が目に入った。


「……ふぅ。ありがとう、悠真。タオル、洗ってから返した方がいい?」

「ん? あ、あぁ、そうだな……ってお前顔っ、顔っ!?」

「んへ?」


 俺が頬を指差しながら言うと、桃華は首を傾げつつ手鏡を取り出して――叫んだ。


「んぎゃああああああっ!? な、なにこれ、なにこれっ!?」

「ば、馬鹿お前っ! 化粧してんのに雑な拭き方するからだろうがっ!?」


 見れば桃華は、顔中を薄いピンク色に染め上げていた。汗で化粧が浮いたところをタオルでごしごし拭いたりしたらそりゃあそうなるに決まっている。なんなんだコイツ、芸人かよ。

 ……さっきは「化粧ってすげえなあ」と思っていたが……前言撤回、桃華コイツに化粧は向いていない。慣れない化粧なんかするからこうなるんだ。


「と、とりあえず桐山さん、顔を洗っておいでよ! み、未来みく、洗面所はっ!?」

「……部屋を出て右の突き当たりよ」

「う、うえぇぇぇぇぇんっ!? せ、せっかくやよいちゃんに教えてもらったのにぃー!?」


 久世付き添いのもと、泣きべそをかきつつ騒がしく出ていった桃華を見送ってから――再び静かになった室内で七海が呟く。


「……大変ね、貴方も」

「…………」


 ――やめて、そんな憐れむような、気遣わしげなで俺を見ないで。

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