第一〇七編 交錯する片想い③

 ★



「――未来みくお嬢様。久世くせ様と小野おの様がお見えになりました」

「……入っていいわ」


 扉の向こう側から聞こえた透き通るように綺麗なその声に応じ、本郷ほんごうさんが「失礼致します」の一言と共にノブを回す。

 隣の久世の緊張感漂う様子に若干引っ張られつつ、開かれた扉から室内を見回すと、そこにはまるで図書館のような光景が広がっていた。

 壁という壁すべてに本、本、本。それらの背表紙には日本語から英語、どこの国の言語かも定かではないようなものまで、種々雑多なタイトルが並んでいる。

 そして本棚に四方を囲まれるように設置されている、立派な木製テーブルの向こう側に座しているその女は、今日も今日とて分厚い本を開いたまま、チラリとこちらに目を向けてきた。


「どうぞ、お入りください」

「し、失礼します」

「お邪魔します……」


 本郷さんに促され、久世、俺の順に室内へ踏み入る。

 防音対策でも施されているのか、シーン、と静まり返った室内とそれに伴うおごそかな空気は、まるで高校やバイトの面接室のようだ。……もっとも、初春はるはるの受験面接ならともかく、〝甘色あまいろ〟の面接はあの店長のせいでめちゃくちゃ気楽なものだったのだが。


「(……き……気まずっ……!)」


 まだ来ていない桃華ももかを待つためか、本郷さんが扉を閉めて去っていった後、室内を支配していたのはただただ気まずいばかりの空気感だった。

 無口で人嫌いな美少女と、そんな美少女にビビる学園一のイケメン野郎という二人と同じ部屋――しかも別邸とはいえ、あのセブンス・コーポレーションの所有している建物内――に、どうして俺のような一般人が同席しているのだろうか。

 …………。


「……あ、あの……今日はこれで失礼してもよろしいでしょうか?」

「お、小野くん!?」


 この空気に耐えきれず、部屋から出ようとした俺の肩をガシッと掴んで引き留めてきやがったのは、やはり久世だった。


「な、なに帰ろうとしているのさ、小野くん!? この状況下で!?」

「いや、だってなんなんだよこの空気は!? ただでさえお前らは単品でもめんどくせぇってのに、セットになったら手に負えるわけねえだろ! 常識的に考えろ!」

「来て五秒で帰ろうとする人に常識を説かれたくないよ!」

「て、テメェ!? 久世の分際で正論振りかざしてんじゃねえぞ!?」

久世ぼくの分際ってなに!? と、というか今日の勉強会に誘ってくれたのは小野くんの方だよね!? なのに主催者不在って、それはあんまりじゃないかな!?」

「馬鹿野郎! どうしてお前はそこで『ここまでセッティングしてくれてありがとう小野くん――貴様はここで用済みだ』と言えないんだ!?」

「そんな悪の権化ごんげみたいな台詞を言えないことについて責められる日が来るとは思わなかった!」

「……とりあえず、静かにして貰えるかしら」


 扉の前で醜い言い争いを繰り広げる俺と久世にそう言ってきた部屋の主は、ため息混じりにパタリ、と本を閉じた。

 彼女は無表情ながらもどこか呆れ返ったような色を含んだ瞳で俺たちを見る。


「……小野くん。私の記憶が正しければ、今日は貴方の頼みで時間をくことになったはずなのだけれど」

「は……はい、その通りです」


 ――あ、ヤバい。これは正論でボコボコにされるやつだ。


 この数ヶ月の間に学習した俺は、即座にピン、と背筋を伸ばして直立する。


「それならせめて、相応の態度を取りなさい。……それともこの部屋に入ってからの数秒で、私が貴方になにか粗相をしたかしら?」

「滅相もございません、お嬢様」

「……その呼び方は気持ち悪いからやめなさい。……それから久世くん」

「は、ハイッ!」


 俺への説教は基本意味を成さないと思われたのか、七海が続けて久世に目を向けると、彼は顔中に汗を浮かべ、俺と同じようにピン、と背筋を伸ばした。


「貴方は小野くんソレと違って、最低限の礼節くらいはわきまええている人だと思っていたのだけれど……買い被りだったようね」

「申し訳ありませんでしたっ!!」

「おい〝ソレ〟ってなんだ〝ソレ〟って!? せめて固有名詞で呼べよ!?」


 その場に額を付けて土下座を敢行するイケメン男と、〝ソレ〟呼ばわりにギャーギャーと文句をつける男の姿がそこにはあった。……こんな立派な邸の中で行われるにはあまりにも残念な光景である。


「(……でも説教とはいえ、七海と久世がこんなまともな会話をしてるのを見るのは初めてかもしれないな……)」


 普段は基本、頑張って声を掛けようとした久世が、七海に殺意マックスの目で睨まれて悲鳴を上げる、というやり取り以外にこの二人がコミュニケーションをとっている場面など見たことがない。

 どうやら、久世本人を嫌っているわけではないという七海の言葉に偽りはないらしい。……まあ今目の前にあるのは、ただ全力で美少女に土下座しているイケメン、という構図でしかないのだが。


「……もういいわ。二人とも、いつまでも立っていないで座りなさい」


 面倒くさくなったのか、改めて本を開きながらそう言った七海に、俺はチラッ、と用意されている四脚の一人掛けチェアを見た。

 入り口から見て横長になるように置かれているテーブルの長辺に椅子がそれぞれ二脚ずつ。そして七海は俺たちから見て部屋の右奥側の椅子に腰掛けている。


「……じゃ、じゃあ俺はここで」


 俺は久世が土下座モーションから復帰している間に、さっさと七海の正面の席に陣取った。そして実に自然な動きモーションで、隣の椅子に自分の手荷物を置く。


「…………ぇっ……」


 霞むような声で久世が呟いたのがハッキリと分かったが――それは無視だ。

 これで久世は、七海の隣に座るしかなくなった。


「……え、と……」


 オロオロと、明らかに動揺する久世。

 だがイケメン野郎のコイツは、たとえ遠回しであっても「七海の隣に座りたくない」とは言えない奴だ。それくらいのことは〝甘色〟で共に働く中でしっかりと把握している。


「……し……つれいします……」


 結局、蚊の鳴くような声と共に七海の隣に座った久世を見て、俺は机の下で小さくガッツポーズをとった。……七海がやや不審そうな顔をしているような気がするが……さ、流石に俺の意図に気付かれてはいない……よな?


〝久世と七海の関係性を改善する〟――。

 今回の勉強会における裏の目的を果たす上で、物理的な距離の近しさは重要なはず。一先ず、最初の関門は突破、と言ったところか。


「(……とはいえ、勝負はここからだな……)」


 俺もこの二週間、どうすればこの二人を仲良く、もといマシな関係に出来るかを考えてみたが……正直に言えば、その答えは出ていない。

 そもそも俺なんかが考え付ける程度の案で関係の改善を図れるのであれば、他でもない久世自身がとっくに改善そうしているはずだ。

 だからこそ、ここから先は完全なアドリブになるのだが……それでも俺は、諦めるつもりはない。


 ――何故ならこれは、決して桃華だけの望みなどではないからだ。

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