第一〇五編 交錯する片想い①

「おはようございます。お待ち致しておりました、久世くせ様、小野おの様」

「お、お久しぶりです、本郷ほんごうさん」

「ど、どうも……」


 内心、借りてきた猫のようにビクビクと怯えながら、俺は目の前に立つスーツ姿の女性――本郷さんに向けてペコリと頭を下げていた。隣に立っている久世も、いつものイケメンスマイルがややいがんでいるように見える。

 新学期が始まって二度目の土曜日、俺たちは約束通り七海未来ななみみくやしきを訪れていた。

 ……ある程度予想はしていたものの、やはりというべきか、とんでもなく立派な邸である。


 小学生の頃に少しばかり裕福な友達の家に遊びに行った時には、自分の家とは大違いだなぁ、などという感想を抱いたものだったが……〝本物の金持ちの家〟というのは格が違う。

 敷地内に入って五分、ようやく玄関前まで辿り着いた現在の俺の感想を率直に言えば、これはもはや〝家〟ではない。

 敷地へ入る際に通った門はやたらとゴツかったし、玄関前には庭というか森が広がっているし、玄関前には本郷さんだけでなく執事や使用人のような格好をした人達が控えているし……そして言うまでもなく、邸そのものの存在感だって凄まじい。


 この邸のことをどう表現すべきなのかはよく分からないが、俺なりの一言で表すならば〝小さな西洋の城〟だった。

 もちろん旗の掲げられた尖塔が伸びていたり、跳ね橋が掛けられたりしているわけではないのだが、白を基調とした外観や、屋根のないベランダ――バルコニーというのだったか――など、日常生活でなかなか目にしない荘厳さを誇る様はまさしく〝城〟。

 四、五人は余裕で通れそうな玄関からぞろぞろと城を守る兵士が出てきてもおかしくないと思ってしまうほどである。

 久世曰く〝七海別邸〟だの〝七海女邸じょてい〟などと呼ばれているらしいが……これが別邸ということは、本邸はいったいどれだけの豪邸なのか。想像しただけでも恐ろしい。


「奥でお嬢様がお待ちです。どうぞこちらへ」

「は、はい」


 ただの学生でしかない俺たちにうやうやしく頭を下げてくれている使用人の人達に恐縮しつつ、本郷さんの後に続いて邸の中へ踏み入る。……なんだか中に入った途端、気温が二度くらい下がったような気がした。いや、絶対に気のせいだろうけど。


「そういえば、桐山きりやま桃華ももか様はご一緒ではなかったのですね」

「あっ、はい。というより、久世とも門の前で会っただけなんですけど……」

「会ったっていうか、僕が到着したら小野くんが挙動不審に門の中を覗いてたから声を掛けたんだけどね」

「しょ、しょうがないだろ!? ここで合ってるか不安だったんだよ、デカすぎて!」

「いや、気持ちはよく分かるよ。……僕も初めて来たときは同じ気持ちになったから」


 そう言って苦笑した久世に、俺は首を傾げてみせる。


「あれ、お前はここに来るの、初めてじゃないのか?」

「あっ、うん。……子どもの頃は、妹たちと一緒にたまに遊びに来ていたからね」

「!」

「…………」


 久世がどこか悲しげに目を伏せると、そんな彼に本郷さんがチラリ、となにやら意味ありげな視線を向けた。……なんだか気まずい空気が流れている。


「(……そうか、幼馴染み同士なんだから家に来たことがあっても当然、か……もいるわけだしな……)」


 先日遭遇したキャラの濃い七海妹の性格を思い返せば、むしろ幼馴染みの関係で一度も遊びに来たことがない、という方が不自然なくらいだろう。俺だって小学校低学年の時までは、桃華の家へ遊びに行ったこともあるのだから。……今やとても遠い過去のことのように思えて泣けてくる。


「……お、小野くん? どうしたんだい、なんだか悲しそうな目をしているけれど……」

「な、なんでもない……急に涙が出てきただけだから……」

「このタイミングでどうして!? だ、大丈夫かい!?」

「……おい久世。今『大丈夫かい?』の前に心の中で〝頭〟って入れただろ」

「いや難癖の付け方が凄いな! い、入れてないよ! 今の小野くんの状態をかんがみれば、確かに精神面が少し心配ではあるけれども!」

「人を精神病んでる奴みたいに言うな。俺はただ……楽しかったあの頃に想いをせていただけだ」

「友人の家に訪れたタイミングで追憶に涙を流すのはかなり危険な精神状態な気がするけれど……ほ、本当に大丈夫なのかい、小野くん……」

「う、うるさいな。大丈夫だっつの」


 ちょっとした冗談のつもりだったのに、本気ガチトーンで心配そうにされると「(俺って普段からそんな風に見えてるのかな……)」と不安になるからやめてほしい。

 すると俺たちの前を歩いていた本郷さんがピタリ、と一つの扉の前で足を止めた。


「こちらでございます」

「……!」


 途端に、久世の顔に緊張が走る。……ああ、何度も来ている割に俺と同じくらい緊張しているなとは思ったが、そういうことか。

 この奥にいるお嬢様は日頃から久世のことを嫌っている――というより人前で近寄られるのを避けているからな。久世からすれば、いくら幼馴染みとはいえ、そんな相手の待つ部屋へ入るとなれば緊張もするだろう。

 ……だが。


「(――悪いが、この勉強会は)」


 ……そう、今回の勉強会の目的は、来年の桃華の〝特待組〟入りが懸かった期末試験のため――だけのものではない。もしそれだけならば、この勉強会に必ずしも久世を呼ぶ必要はなかった。もっと言うなら、わざわざ七海に頼んで勉強会を開かずとも担当教師へ質問するなり、参考書を買って自習するなり、いくらでも方法はあるだろう。

 それでも今日、俺たちがこうして勉強会という形で集まったのは、久世はもちろん、七海にも話していない〝理由〟があったからだ。

 その〝理由〟とはズバリ――


 ――〝久世と七海の関係性を改善すること〟である。

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