第一〇三編 お嬢様は何処へ

 桐山桃華きりやまももかは今、とてつもなく緊張していた。

 ある日の昼休み、たった一人で自分の教室を出た彼女は、そのすぐ隣のクラス――一年一組の教室をそーっと覗き込む。

 教室内は食事をとる生徒たちでいっぱいだった。

 特に教室中央、とある男子生徒が座っている席の周囲には、男女問わずたくさんの生徒が集まってわいわいと楽しそうに話しながら、それぞれの昼食を口に運んでいる。


 そして周囲――一組前の廊下には、自分と同じように教室内を見ていたり、あるいは少し離れたところからチラチラと中を覗こうとしている女子生徒が多く見受けられた。

 明らかに不審だが、桃華を含めて周りにいる生徒たちは何も言わない。

 それもある意味当然のことだ。なにせこのような光景は去年の四月から毎日目にするものだったのだから。

 桃華に至ってはつい最近まであの女子生徒たちと同じようにしょっちゅう一組へ訪れていたため、不審感どころか親近感さえ覚えてしまうくらいだった。

 もっとも今日桃華が目的とする人物は、彼女たちとは別の人なのだが。


「(…………あれ、いないな……)」


 教室内を見回してみるが、その人物が見当たらずに首を傾げる桃華。

 するとそんな彼女の肩に、突然ぽん、と何者かの手が置かれた。


「どうかしたの~?」

「うひゃいっ!?」


 その妙に間延びした女の声に驚いて振り返ると、そこには派手な金髪にキラキラとしたピアスを着けたギャル――錦野にしきのアリサが立っていた。


「アッハハ、ごめんね~、桐山さん~。驚いた~?」

「に、錦野さん……」


 派手な外見に反して年相応の可愛らしい笑みを浮かべる錦野に、桃華は改めて驚く。

 というのも、桃華が錦野と直接顔を合わせたのはつい先日――クリスマスの夜が初めてであり、その時も会話らしい会話をしたわけではなかったからだ。初対面と言っても差し支えないほどである。

 そんな相手に声を掛けられて少し戸惑っている桃華に対し、金髪ギャルはお構い無しとばかりに嬉しそうに笑った。


「あれ~? アタシの名前覚えててくれたんだ~? 嬉しいな~嬉しいな~」

「えっ……あっ、うん。に、錦野さんって、有名人だから……」

「え~なにそれ~。そんなの初めて言われたかも~」

「に、錦野さんこそ、私の名前覚えててくれたんだ?」

「アッハハ……まあ、そりゃあね~」


 そう答えて、なぜか少しだけ気まずそうに苦笑する錦野に桃華が不思議そうな目を向ける。


「えーっと~……その、ちょっと前に桐山さんたちのことバラしちゃったの、アタシなんだよね~……」

「私たちのこと……? ……あっ」


 桃華は一瞬なんのことだろうと考えてから、ハッとする。

 思い当たったのは始業式の日、登校してすぐに親友の金山かねやまやよいから教えられた話。

〝クリスマスの夜に久世真太郎くせしんたろうと二人きりでデートをしていた〟という噂のことだ。

 その後日により衝撃的なことがあったせいで忘れていたが、そういえばどうしてそんな噂が広まったのかは分からないままだった。


「ごめんね~。わざとバラしたわけじゃないんだけど~……」

「あっ、ううん。気にしないで。……色々あって、どっちにしろもう全部バレちゃってるから」

「アッハハ、聞いた聞いた~。私が言うのもなんだけど、災難だったね~」


 困り顔をする桃華に、ケラケラと笑う錦野。

 ……そう、今や〝久世真太郎のデート相手〟が桃華だったということは周知の事実である。

 詳細な説明ははぶくが……今も、周りにいる女子生徒たちの中には明らかに桃華を気にしている者もいる。……まあこんな派手なギャルと話しているから注目されている、という部分もあるのだろうが。


「でも大胆だよね~。確か教室の真ん中で『真太郎くんとデートしたのは私だ~!』って叫んだんだよね~?」

「なんか微妙に改変されてる!?」

「その後、『私のオトコに手出したらタダじゃおかねえぞ~!』って叫んだんだよね~?」

「そんなこと一言も言ってないんですけど!? えっ、嘘っ!? そ、そんな話になってるの!?」

「ううん~? 全部今私が適当に言っただけ~」

「嘘なの!? な、なんでそんな嘘つくのさ!?」

「なんとなく~」


 ペロッ、と舌を出す金髪ギャルに、「(これはやよいちゃんとは違う意味で困らせられるタイプだ……)」と察する桃華。

 同じギャルでも、やよいが淡々とした男前なギャルだとするなら、錦野はふわふわした掴み所のないギャル、と言ったところだろうか。


「そういえば桐山さん~、こんなところで何してたの~?」

「えっ……あっ、そうだった」


 錦野に言われ、思い出したように一組の教室へ目をやる桃華。

 ……やはり、目当ての人物は見当たらない。


「愛しの彼に会いに来たの~?」

「いとっ……かれっ……!? ち、違うよ! というか私と久世くんはそういう関係じゃないしっ!」

「アッハハ、ごめ~んってば~。で~? 真太郎くんじゃないなら、誰に会いに来たの~?」

「え、ええっと……な、七海ななみさん、なんだけど……」

「!」


 桃華が答えると、錦野は驚いたように目を見開く。


「……ふ~ん、七海さんか~。なにか用事なの~?」

「え、えっと……用事っていうか、ご挨拶というか……」


 というのも桃華は明日の土曜日、七海未来ななみみくの自宅で勉強会をするという約束になっている。

 しかし勉強会の約束を取り付けたのは桃華の幼馴染みである小野悠真おのゆうまであり、桃華本人が未来と話したわけではない。

 というより彼女は未だに未来とまともな会話をしたことすらなく、そのような状態で明日いきなり家へ行くのはあまりにも失礼だと思い至ったわけだ。

 本当はもう少し早く挨拶に行かなければとは思っていたのだが、正真正銘のお嬢様であり、あの真太郎が恐れている様子の彼女と対話することへの緊張や、そもそも未来本人が学校を休むことがあったりと、ズルズルと先延ばしにしているうちに今日になってしまった。


「……あ、あの、七海さん教室にいないみたいなんだけど、今日も学校に来てないのかな……?」

「ん~? ううん、今日はちゃんと来てたよ~。でも昼休みはいつも教室にいないんだよね~、あの子~」

「えっ……じゃ、じゃあどこに……?」

「私もよく知らないんだけど~……」


 桃華の問いに、錦野はあごに人差し指を当てつつ答える。


「屋上でお昼ご飯食べてる~、みたいな話は聞いたことあるよ~」

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