第九九編 闖入者(突撃)

小野おのっち、久世くせちゃん。お疲れさん、今日はもう上がっていいぞー」

「はい、ありがとうございます」

「うえぇ……疲れた……」


 日曜日。

 本日の閉店業務を終えた俺と久世は、事務所でコーヒーを飲んでいる店長にそう言われて帰り支度を始めていた。


「……しっかし、ももちゃんが居ないと流石にしんどかったな」

「いやそりゃそうでしょ……単純に一人足んないんだから……」


 事務机に上半身を放り出しながら、俺は店長にそう答える。

 日頃から価格設定や周辺の客層の影響で客の少なさには定評のある喫茶店〝甘色あまいろ〟だが、週末、特に日曜日はそれが嘘のように繁盛する。

〝週末のちょっとした贅沢〟を求める客や〝時間のあるときにゆっくりしたい〟客などが集まるためだ。当然ながら、アルバイトである俺たちもそれに比例して大忙しとなる。

 だから日曜日の夕方以降は俺たち高校生バイト三人組が勢揃いになりがちなのだが……今日は桃華ももかがプチ家族旅行だかで休みのため、俺と久世の二人で表の仕事をしなければなかったのだ。

 疲れ果てている俺の姿に、いつもは傍若無人な店長も流石に苦笑しつつ「ま、まあまあ」と言ってくる。


「来週の土曜はみんなに休みあげたんだから、許してくれよ」

「……まあ、確かにそうですけど……」


 というのも、来週の土曜日はとある事情で俺、久世、桃華の三人は全員休みを貰っている。日曜日ほどではないとはいえ、土曜日もそれに次ぐ忙しさなのだが……。


「……あの、今更ですけど大丈夫なんですか? その、三人とも休んでいいって……朝だけとかなら、俺出ますけど……」

「いや、そこまでしてくれなくていいって。当日は新庄ジョーシンたちが融通利かせてくれたし、人手も十分足りてるからな」


 ジョーシン、というのは大学生アルバイトの先輩だ。チャラそうな外見に反して俺と久世が二人がかりでやっている仕事を一人で受け持つ、バイトリーダーみたいな人である。

 普段は日曜日の開店から夕方までのシフトに入っているところを、昼から閉店までにずらしてくれたそうだ。


「な、なんかすみません。俺たちがワガママ言ったせいで……」

「気にするなって。小野っちたちが頑張ってくれてるのはみんな知ってるんだから、たまには息抜きして貰わないとな。〝甘色うち〟はブラックコーヒーが人気だが、ブラック企業じゃないんだぜ?」

「…………」

「……あ、あの、ブラックコーヒーの〝ブラック〟とブラック企業の〝ブラック〟を掛けてみたんだけど……だ、ダメだった?」

「……あ、久世。着替え終わったんだな。よし帰ろうぜ、なんかここ寒いし」

「小野っち!? ま、待って、ちょっと格好良いこと言いたかっただけなんだって!? やり直させて、お願い! ……え、嘘だろ、マジで帰んの? 嘘だよね、小野っち!? 久世ちゃん!?」


 ロッカールームから出てきた久世の背中をぐいぐいと押してさっさと事務所の裏口から出る俺。騒いでいる店長は華麗に無視スルーだ。……ただ、あの店長ひとが優しい人で良かったとは思う。決して口には出さないが。


「い、いいのかい、小野くん? 一色いっしき店長……」

「いいんだよ。スベった時はこうやって流してやるのが優しさだろ」

「す、スベった……? そ、そうなんだね」


 明らかに理解していない顔だが、久世が頷く。……なんだかコイツも徐々に店長の扱いが適当になってきている気がするが、まあ別にいいだろう。

 それにしても寒い。一月の夜ともなれば当然だが、マフラーを貫通してくる冷気に、俺は思わず身を震わせた。


「こう寒いと、鍋とか食いたくなるな……」

「そうだね。僕の家はこの時期になるとよくおでんを食べるよ。妹たちが好きなんだ」

「へぇ、それもいいな。コンビニのおでんとか、たまに食うとすげー美味うまいんだよなあ」

「そうなのかい? 僕は家のおでんしか食べたことないから……」

「えっ、マジかよ。じゃあ今度、桃華も誘ってバイト上がりに三人で行こうぜ」

「い、いやでも夜に女の子をコンビニに連れていくのは……」

「……はあ。出たよ、この真面目真太郎しんたろうくんが」

「真面目真太郎くん!?」


 露骨にため息をつく俺に涙目になる久世。……コイツのこういうところは本当に出会ったときからそのままだな。

 どうせ「夜のコンビニは治安が悪いから危険」みたいなことを言いたいんだろうし、その気持ちが分からないでもないんだが……。


「……お前ってアレだよな。なにかと考えが古いよな」

「いきなり息をするように罵倒してくるね!?」

「なんというか、優しいのは分かるんだけど、そのせいで若干白けるっていうか、『え? 今それ言う?』ってなるっていうか」

「い、いやでも、やっぱり夜のコンビニに桐山きりやまさんみたいな女の子を連れていくのは――」

「端的に言えば、空気読めないよな」

「ぐはあっ!?」


 少し興が乗って言葉のナイフを刺しまくる俺に、久世が胸を押さえてけ反った。漫画みたいなリアクションである。こういう微妙にキャラに合っていない反応をする辺りも、出会った頃と変わっていないな。といっても、精々三、四ヶ月の付き合いだが。


「…………」


 心なしか肩を落として歩く久世を横目で見やりながら、俺はふと考える。


 ――俺は久世コイツことが出来るのだろうか――


 桃華の恋を応援する上で、俺が一先ひとまずの目標としてきたのは〝桃華と久世の距離を縮めること〟。これについてはクリスマスの一件でほぼ達成できたと思っている。……その件のせいで先日、学校で騒ぎになってしまったが、それはとある男前ギャルが即日解決してくれた。

 そして二人の距離が縮まったのなら、次は本格的に桃華の告白――ひいては二人の交際を目指していきたいのだが……現状では、その成功確率はかなり低いと言わざるを得ない。


〝久世真太郎は異性だれかと交際するつもりがない〟。それは俺が桃華の恋を応援すると決める前から、ずっと噂になっている話だ。

 学年内のみならず、学校、いや地元の女性全般から憧憬しょうけいの目を向けられるこの男は、同時に難攻不落で有名なのである。〝高嶺たかねの華〟のようなものだ。……男にこの二つ名は不相応ミスマッチに感じられてならないが。


 勿論、俺の目的はあくまで桃華に〝後悔する恋をさせない〟こと。告白せずに終わってしまった情けない俺のような思いをしてほしくないからこそ、俺は今まで行動してきた。

 だから告白の成否は二の次――なのだが。


「(……それでもやっぱり、桃華アイツが一番幸せな未来は――)」


 星の見えない空を見上げ、俺は白い息を吐き出す。

 色々考えたところで、結局久世自身の恋愛観をどうにかしない限り、桃華の悲恋は避けられない。

 だったら俺は、その最悪でこそないが望ましくない未来を回避できるよう、尽力するまでのことだ。


 幸いなことに、今桃華よりも久世と親しげな女子生徒は恐らくいない。

 久世コイツは八方美人なイケメン野郎だから仲が良い女子こそ多いものの、逆に言えば全員〝仲が良い〟止まりだ。……いや、そんなことを言えば桃華もそうなのだが。

 実は俺が久世と過ごす中で最も桃華の障害となりそうなのは七海未来ななみみく――久世の幼馴染みたるあのお嬢様だと思っていたのだが、彼女は性格アレ残念アレなので除外アレされた。


 つまるところ、久世の恋愛観を変えることさえ出来れば、その最有力候補足り得る場所に桃華はいるのだ。

 容易ではないかもしれないが、しかしそれなら――


 ――俺がそんなことを考えていた、その時だった。


「しんっ、たろうっ、さあああああんっっっ!」


「ぐふっ!?」

「どわあっ!? な、なんだ!?」


 前触れもなく、弾丸のように久世に突進をかまして押し倒したその闖入ちんにゅう者に、俺は思わず声を上げた。


「真太郎さん、こんばんは! こんなところで会えるなんて奇遇ですね!? いえ、私は全然待ち伏せとかしてないですけど! してないですけど、奇遇ですね!? 運命ですね!?」

「(……な、なんだコイツ……。……ん? あれ……?)」


 どこかで聞き覚えのある声だと思って見ると、その闖入者――見るからに高級そうなコートを着用した少女は、やはりどこかで見覚えのある人物だった。

 長く美しい黒髪に、宝石のような黒の瞳。そして雪のように白く、けれど不健康さを一切感じさせない肌。

 まるでを彷彿とさせる外見をしたその少女に向けて、押し倒された格好の久世が呻くような声を出す。


「み……美紗みさ……どうして、君がここに……?」

「!」


 ――そうだ、思い出した。


 久世の言葉を聞いて、俺は冬休み中に一度だけ目にしたその少女を凝視する。

 七海未来の妹だという、その少女を。

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