第九五編 ベスト・フレンド⑨

 ――私が、アンタの恋を応援してあげようか?


「…………あんなこと言うなんて、どうかしてるよ、私……」


 一年二組の教室へ戻りながら、私ははあ……と深いため息をついた。

 振り返ってみれば、我ながら最低の発言をしてしまった。

桃華ももか久世くせに対する想いを断ち切らせる〟というところまではまだいい。あれは私なりに、親友の幸せのためを思っての言葉だったから。


 だが、小野悠真おのゆうまにあんなことを言ってしまったのは失言としか言いようがない。

 久世は駄目っぽいから代わりに小野アンタの恋を応援してやる、なんて……それじゃあまるで、小野は久世の〝穴埋め〟みたいではないか。

 それに桃華だって、たとえ久世と結ばれないからといって「じゃあ次」などとすぐに切り替えられるような子ではないだろう。そんなこと、私は誰よりもよく知っているつもりだったのに。


「はあ……」


 自己嫌悪に陥り、ため息が止まらない私。……まったく、酷い幼馴染みも居たものだ。私のあの台詞は、桃華に対しても小野に対しても、あまりにもデリカシーに欠けるものだった。

 ……だが、それでも先ほどの私は、そう言わずにはいられなかったのである。


「(……あんな真剣にあの子のことを想われたら……応援したくなっちゃうじゃんか……)」


 すれ違う他の生徒たちの上履きを見ながら、ゆっくりと階段を上る。

 ……小野悠真という幼馴染みのことは、正直なところ最近まであまりよく知らなかった。というか興味を持てるほど、あの男に特徴らしい特徴がなかったのだ。

〝幼馴染み〟という部分以外は本当にただの〝男子生徒B〟でしかなく、抱いていた印象といえば〝喋る空気〟。

 あの男が居ても居なくても私に影響は及ばないし、だから好きでもないが嫌いでもなく。

 まあたまに顔を合わせた時に気が向いたら声を掛けるかもしれない、くらいの相手だった。


 けれどここ数ヵ月、特にこの数週間で、私の中で彼のイメージは大きく変化した。

 小野は桃華のことをずっと、密かに想い続けていた。何年間も、おそらくは一〇年近く。

 でも桃華は他の男に恋をしていた。だから彼は想いを告げることもせず、彼女の恋を応援することに決めたのだという。

 本人は「〝勇気〟がなかっただけだ」などと否定的な言葉を口にしていたけれど……私の抱いた印象は違う。


 私はただ――小野が本当に、心から桃華を好きなのだと思った。


 たとえ自分が失恋しようとも、その〝痛み〟に苦しみを覚えようとも。


 それでも桃華あの子の恋を応援してあげられるほどに。


 桃華あの子の幸せを、一番に願えるほどに。


「(……本当に、馬鹿な男だな……)」


 彼の想いを初めて知った時、私は他でもない小野自身が納得しているのなら、それで構わないと思った。

 桃華は久世のことが好きで、そして小野は桃華のことが好きだけれど、それでも桃華の恋を応援してくれているいいヤツなんだと。

 けれど心のどこかで、「本当にそれでいいのか?」と考える自分がいたのも事実で。


 ――あれほど真剣に桃華あの子のことを想ってくれる彼こそ、桃華に相応しいのではないかと考えてしまったのである。


 私は小野がこれまでに桃華のためにしてきたことについて、その大半はただ口頭で伝え聞いただけに過ぎない。

 だからもしかしたら頭の中で妙に美化していたり、過剰に小野のことを評価しているだけなのかもしれない。


 でも少なくとも私は、他人ひとのためにそこまでしてあげることなんて出来ないから。

 一〇年間も特定の〝誰か〟を好きで居続けることなんて、出来ないから。


「あっ、やよいちゃん! お帰り、どこに行ってたの?」

「……うん、ちょっとね」


 自分の教室に入るやいなや可愛い笑顔を向けてきてくれる桃華に、私はフッと笑いかけながら――今しがた、自販機前のベンチで交わしてきた会話を想起する。



 ★



「要らねえよ」


 私の問い掛けに対して、それまで黙りこくっていた小野はほとんど間髪いれずにそう答えた。


「つーかなんだよ、『恋を応援してやる』って。なんでそんな上から目線なんだお前は」


 まるで普段の冗談に返してくる時のように鼻で笑う小野に、私は自分なりの真剣な言葉を馬鹿にされたと思って怒りそうになるも――コーラのボトルを握り締める彼の手のひらを見て、思わず喉を詰まらせる。


「――要らねえよ。〝覚悟〟くらい、とっくに決めてる」


 呟くような声量でそう言った小野の姿を見たその瞬間に、私は自分がどれほど愚かなことを問うたのかを思い知らされた。

 それはきっと、彼が心の奥底にようやく仕舞い込んだ〝想い〟だったのだろう。

 諦めきれない桃華への〝想い〟を〝覚悟〟という名の重石おもしで抑えつけ、必死に自分の心を誤魔化してきたのだろう。

 そんな彼の気持ちも考えず、私は……。


「……久世が誰かと付き合うつもりがないことは知ってる。今はまだ、桃華でも無理なんだってことも分かってる」


 奥歯を噛み締めて悔いる私に、小野が静かに言う。


「でも、それでも俺は桃華の恋を応援してやりたい。たとえこの先、桃華アイツがフラれちまったとしても――は、きっとそれよりも痛いから」

「…………!」


 実感を伴った小野の言葉に、私は瞳を大きく見開く。

 それは一〇年来の〝想い〟を伝えられないままに失恋を迎えた彼が言うからこそ重く、そしてつらい言葉だった。

 そうか、この男は桃華に幸せになってほしいだけではないのだ。

 この男は桃華に――のだ。


「……つ、つーか、そんなことよりさ! クリスマスに久世とデートしてたのが桃華だって気づいてる奴が居るっていう方が問題だろ!?」


 自分の発言に恥ずかしくなってしまったのか、それとも黙ってしまった私に気を遣ったのか、強引に話を変えてくる小野。


「やっぱりなんとかしねえとな……もし本格的に桃華がデート相手だってバレたら、大変なことになるかもしれねえし……」


 早くもブツブツと考え始める小野の姿に、私はやはり形容しがたい感情を抱くが――しかし、口を出すことは止めた。

 これ以上はしつこいを通り越して失礼だ。真剣に久世を想う桃華にも――そして、を受け入れようとしている小野にも。

 だから私は、せめてものつぐないの気持ちを込めて言った。


「……そのことなら、後は私に任せてくれない?」

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