第九四編 ベスト・フレンド⑧

「――話がある。ちょっと付き合いな」

「……んへ?」


 始業式の翌日の昼休み。

 突然俺のいる三組に現れたかと思えば、片手をポケットに突っ込んだまま親指で教室のドアを指してそう言ってきた男前ギャルに、俺はいつかと同じように間抜けな反応をした。


「え……お、おい、小野おの、お前なにした……?」

「と、とりあえず土下座したらどうだ……?」

「なんでだよ」


 俺の後ろ側に座っていた数少ない友人たちがヒソヒソと言ってくる。いや、この女――金山かねやまやよいに妙な圧があるのは認めるし、実際俺もコイツが苦手なのだが、だからといって開幕土下座はおかしいだろう。

 とはいえ、いきなり現れた奴に指図される筋合いもない。俺は堂々と胸を張り、ハッキリと言ってやった。


「……あの、俺今から屋上に行かなきゃなんですけど……どうしても行かなきゃ駄目ですかね……?」

「おい腰が引けてるぞ、小野」

「大丈夫か、声も震えてるけど」


 俺の威風堂々とした断り文句の何が気に入らないのか、友人たちが後ろから言ってくるが、それは華麗に無視スルーだ。


「時間はとらせないからさっさと来な」

「いやでも、ちょっと外せない用事がありまして……」


 言うまでもなく、どこぞのお嬢様との契約のことだ。

 久世真太郎に関する情報と引き換えに一年間、彼女に近づいてくる生徒を遠ざける意味で彼女の〝警護〟代わりを務めるという契約。

〝警護〟といっても基本は本を読んでいる相手の側で携帯をいじるだけのただただ暇な時間なのだが……それでも約束は約束。破ればどんな目に遭わされるか分かったものではない。……主に彼女の護衛官から。

 というわけで、俺はこんなにハッキリと断ろうとしているわけなのだが、目の前のギャルは聞く耳を持たない。


「いいから来なよ。時間はとらせないってば」

「いやだから外せない用事が――」

「今ここで顎関節を外されるのとどっちがいい?」

「どっちも嫌ですけど!?」

「だったら早くしな。がく関節症になりたくないでしょ?」

「そりゃなりたくねえけども! でもお前について行くのも嫌だ! 校舎裏でボコボコにされる気がする!」

「しねえよ。私をなんだと思ってるんだよ」

「魔神クサレギャルデーモン、レベル一五〇」

「着々とレベル上がっていってるな、私」


 金山ははあ、とため息をつく。


「あのさ、往生際が悪いにもほどがない?」

「急に呼び出してきた奴の台詞じゃねえだろ」

「この時間が無駄なんだよ。もっと効率のいい生き方を考えたらどうなの?」

「お前は嫌な上司か」

「アンタを説得するまでに三分掛かってるんだけど」

「お前は朝礼の校長先生か」

「もういいから早く来なって。いい加減にしてよ」

「いやだから本当に外せない用事が――」


 なおも断ろうとした俺は、しかし続けて金山が言った台詞に、反論を遮られてしまった。


だから――お願い」



 ★



「――だから五分遅れるだけだって……いや、たしかにそうかもしれないけど……はい…………はい、その通りです…………えっ、でもそれはちょっと…………わ、分かった、分かりました! それでいいです! ……はい、すみません、失礼します……」


 昼食のために食堂へ集まってくる生徒たちから奇異の視線を集めながら、俺は自販機側に設置されているベンチで携帯電話に謝り倒していた。

 そして電話を切ると同時に、怪訝けげんそうな顔をした金山がコーラのボトルを手渡してくる。


「……なんの電話?」

「……なんでもない。なんでもないが……俺がお前のために作ったこの五分間にはおよそ二〇〇〇円の価値がある、ということだけは忘れないで欲しい……」

「いや本当になんの電話だったんだよ」


 ベンチに腰掛ける俺の隣には座らず、立ったまま缶コーヒーのプルトップを開ける金山。……流石に「どこかのお嬢様にまたケーキを奢る羽目になった」とまでは言えない俺であった。


「……まあその、悪かったよ。いきなり呼び出したのは」

「本当だよ、いったいなんの用で……ハッ、まさか!?」

「うん、その『まさか』はあり得ないから」

「まだ何にも言ってねえだろ!」

「じゃあなに」

「……まさか……こ、告白か……!?」

「やっぱりあり得ないじゃない」


 コーヒーを一口含んでから、金山が半眼でツッコミを入れてくる。……なんだか馬鹿だと思われている気がするので、冗談はこれくらいにしておこう。


「……で、いったい何があったんだよ? 桃華ももかのことだろ?」

「……ええ」


 真面目な顔で問い掛けると、金山もまた真剣な表情に戻り、そして今朝の出来事だという話を俺に聞かせてきた。

 なんでも彼女は今朝、とある女子生徒が久世くせに告白している現場に遭遇したらしい。

 しかしその女子生徒はフラれてしまい、その際に例のクリスマスデートの件に言及。久世のデート相手が桃華であることを看破していたのだとか。

 さらには「自分と付き合ってくれないのは、桃華その子のことが好きだからではないのか」とまで勘繰かんぐってきたというその女子に、対する久世はハッキリと言ったそうだ。


 ――僕は今、誰かと交際するつもりはまったくない。

 相手が誰だとか、そういう話じゃない――と。


「…………」


 一通り話終え、金山がコーヒーの残りを飲み干した。

 そして彼女は少しだけ暗い表情で言う。


「……久世真太郎が誰とも付き合おうとしない、っていうのは知ってたし、それでも桃華なら釣り合うんじゃないかって考えてたけど……でも今朝のことで正直、やっぱり無理かもしれないって思わされたよ」

「…………」

「小野。アンタが桃華あの子のために色々してきてくれたことはこないだ聞いたけどさ。それでも久世は、って言ったんだ。じゃないって」

「…………」


 そう話す金山に、俺はなにも答えずに黙って手の中にあるコーラのボトルを見つめる。


「……私はさ、思うんだよ」


 そんな俺に、金山は珍しく気遣わしげな声色で続けた。


「このまま叶わない恋を続けるくらいなら、いっそあの子にこのことを伝えて、久世のことを諦めさせるべきなんじゃないかって」

「…………」


 やはり俺は、なにも答えない。

 それでもなお、金山は続けてくる。


「あの子がどれだけ久世のことを好きなのかは知ってる。だけど報われない恋だと分かっているのに、それでもこのまま、一度しかない高校生活を棒に振らせるべきなのか、って」

「…………」


 ……それはきっと、金山なりに桃華のことを想っての言葉だったのだろう。

 一見すると現実的ドライな考えなのかもしれないが、しかし納得させられる部分も確かにあった。


「……小野。アンタは結局、桃華に想いを伝えないままだったんだよね?」


 静かに、金山が聞いてくる。

 黙ったままの俺に、聞いてくる。


「……もし……もしもまだアンタが、桃華あの子のことが好きだって言うんなら――」


 ――心臓の奥に秘めた〝想い〟に、聞いてくる。


「――私が、アンタの恋を応援してあげようか?」


 そう告げたの親友は、見たこともないほど真剣な瞳で、まっすぐに俺のことを見据えていた。

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