第九三編 ベスト・フレンド⑦
「先教室行ってて。自販機寄ってから戻るから」
「うん、分かった」
翌朝。今日は寝坊しなかった
ここで販売されているパックの豆乳は、私の密かなお気に入りだった。通常授業のある日はほぼ毎日購入していると言ってもいいくらいだ。
「……よし、と」
取り出し口から紙パックを取り出して、まだ
今日こそは遅刻すまいと早起きをしたらしい桃華のせいで随分早く着いてしまった。まだ始業の鐘まで三〇分はあるだろう。
まあ、あと一〇分もすればクラスメイトの友人たちも学校に着くだろうし別に構わないのだが。とりあえず、昨日のカラオケに参加しなかったことをぐちぐち責められないことを祈ろう。
「……ん?」
教室へ戻ろうとした私は、そこで食堂裏の方からなにやら人の声がしたことに気が付いた。こんな時間にはまだ開いていないはずなのだが……食堂のおばちゃんたちだろうか?
そんなことを考えてなんとなく耳を澄ませていた私は、しかし次に聞こえてきた言葉に目を見開く。
「――
「!」
最近特によく聞くようになったその名前を呼ぶ声に、思わずすぐ近くのベンチに腰掛け、本格的聞き耳を立てる姿勢をとる私。……正直褒められた趣味ではないが、それでも聞かずにはいられなかった。
「……じゃあ、この手紙は君がくれたものなのかい?」
「う、うん……こんな朝早くに呼び出したりして、ごめんなさい……」
「(手紙……? ああ、ラブレターでここに呼び出したってことか……)」
実にありがちなシチュエーションを想像し、私は一人で頷く。
私のいるベンチからは二人の姿はまったく見えないものの、男の方は間違いなく
「こ……答えを、聞かせてもらえますか……?」
カタカタと震えているのが伝わってくるほど緊張した女の声色に、私も思わずごくり、と唾を飲む。
他人による他人への告白など、そうそう現実で目にするものでもない。一組では久世や
「……ごめん。君の気持ちはとても嬉しいけれど、僕は君と交際することは出来ない」
「(……!)」
――フラれた。
これまでも久世に告白し、そして玉砕した女子が星の数ほどいることくらい私だって知っている。だからこの結果はある意味分かりきっていたことだ。
……しかし予想できていたはずのその結末を
ドラマで見るような劇的な告白でもなんでもなかったのに、その衝撃はどんなに深く作り込まれた恋愛作品よりも
「……ど、どうしてですか……? どうして、私では駄目なんですか……?」
無惨な結果を受け入れきれないかのように、震えが増した涙声で女が問う。
「……僕は今、誰かと交際するつもりはないんだ。学生の間にしか出来ない勉強や、やるべきことがたくさんある。そんな未熟者の僕が、恋愛に
「…………」
時代錯誤ともとれるような、真面目で堅い答えだった。
そして同時に、私は以前どこかで聞いた久世に関する噂話を思い返す。
曰く、久世が誰とも付き合おうとしないのは、いつか出来る〝本当に好きな人〟に胸を張れるだけの自分になるためだとかなんとか。
初めてそれを聞いた時は実に
少なくとも今、目の前に転がっている青春謳歌のチャンスを捨ててしまうくらいには。
「……そんなの、嘘ですよね……」
「……えっ?」
相手の女子生徒の呟きに、久世が聞き返す声が聞こえた。
「だって私、昨日聞きました……久世くんはクリスマスに、女の人とデートをしていたんですよね?」
「!」
それを聞いて、ベンチにいる私は見えもしない女子生徒の方を意味もなく振り返る。
「いや、それはただ友人と食事に行っただけで……」
「でも、女の子と二人きりでイルミネーションを見に行ったんですよね? おかしいじゃないですか。それが久世くんの言う〝学生の間にしか出来ない勉強〟なんですか?」
だんだんと責めるような口調になっていく女子生徒。フラれた直後でやや自暴自棄気味なのか、涙混じりの声に刺々しさが増していく。
「私……私、知ってます。久世くんがクリスマスに誰とデートしていたのか。二組の、あの子ですよね? 同じ喫茶店でバイトしてるっていう……」
「!」
「!?」
ど、どうして
私は驚愕のあまりベンチから立ち上がりそうになるが、それよりも早く久世が口を開いた。
「……どうして、そう思うんだい?」
「そんなの、ちょっと考えれば分かります。久世くんがクリスマスにバイトをしていたっていうのは知ってたし……だったら一番怪しいのはあの子じゃないですか」
それを聞いて私はそういうことか、と得心し、そしてどうしてこんな簡単なことに気付けなかったのか、と己を叱咤する。
あの〝
その前提の上で考えるならば、たしかに少し考えれば桃華が久世のデート相手であろうということくらい容易に想像がつくに決まっている。
「も、もしかして久世くんは……」
震える声で、女子生徒が言葉を続ける。
「久世くんは、その女の子のことが好きだから、だから私とは付き合えないってことなんじゃ――」
「ないよ」
ピシャリ――とはねつけるように、久世が女の声を遮断した。
そして彼は聞き間違えようもないほどハッキリと言う。
「何度も言うようだけれど、僕は今、誰かと交際するつもりはまったくない。相手が誰だとか、そういう話じゃないんだ」
――その声色はいつもの久世と同じはずなのに、何故か私にはとても冷たく、そして絶望的なものに感じられてしまった。
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