第九一編 ベスト・フレンド⑤
「アンタね、新年早々寝坊するのはやめなよ」
「えへへ……ごめんねえ、やよいちゃん」
始業式の日の朝、集合時間の一〇分前になってようやく登校してきた幼馴染みの少女に向けて、私はため息をついていた。
そんな私に、彼女は「まさか目覚まし時計の電池が切れてるとは思わなくて……」などとお約束な遅刻理由を述べてくる。
「
「ええ~? だって今使ってる目覚まし時計お気に入りなんだもん。覚えてない? 小学校の頃に児童会で貰った目覚まし時計」
「ああ……あのダサいキャラもののやつでしょ?」
「だ、ダサくないよ、あんなに可愛いじゃん!」
「センスが小学生から進化してないのか……」
「……というか、化粧もしてこれないほどギリギリだったんだね。何時に起きたのよ?」
「え? 朝やよいちゃんに電話した時だよ?」
「いつも家を出てるような時間に起きたのかよ……よく間に合ったね?」
「うん。寝癖だけ直して、ダッシュで来たからね~」
言いながら、女子トイレにある鏡で化粧をする桃華。といっても、彼女は私と違って普段からほぼ化粧をしない。今日だって色の薄いリップクリームを唇に塗っただけだ。まったく、元の顔が良いというのは本当に羨ましい。
「…………」
「……? やよいちゃん?」
ふいに頭を撫でた私に、桃華が不思議そうな顔を向けてくる。
「……うしろ。寝癖残ってる」
「うぇっ!? ウソッ!? あ、ありがとう……」
「うん」
答えながら、
するとのんきな幼馴染みは一体何が嬉しいのやら、「えへへぇ」と気の抜けた笑みを浮かべた。
「なんかこういうの、懐かしいね。昔はよくやよいちゃんが髪結んでくれたから」
「……アンタ、いっつも髪ボサボサだったもんね」
「そ、そんなことないよ! ……ね、寝癖はあんまり直してなかったけど」
「それがボサボサだって言うんだよ」
「いたっ。……えへへ……」
後ろからチョップをかました私に、桃華は再び嬉しそうに笑う。
そして鏡越しのその笑顔を見て、私も表情には出ない程度に微笑んだ。
「(本当……この子は昔から変わんないな……)」
可愛らしく、元気で、人に優しく、それでいてどこか抜けている。
昔から、ずっとそうなのである。
人は誰だって変化する。
歳を重ねるごとに、悪い色へと染まっていく。
私だってそうだ。髪を染め、親から貰った身体に
すべての人に好かれることなんて出来ないし、すべての人を好きになることも出来ない。そんな当たり前のことに、いつか気付く時が来る。
けれど桃華は変わらない。
彼女が人の悪口を言っているところなんて見たことがないし、明らかに下心のある男子から声を掛けられた時も、いつもと変わらぬ笑顔で接している。
それは彼女が元々人に好かれやすい子だから、というのもあるだろうけれど、それ以上に彼女が純粋で、素直な子だからという部分が大きいのではないだろうか。
だからこそ小野は一〇年前に桃華に恋をしたその日から今日まで、彼女を想い続けられたのではないだろうか。
……でも。
「……アンタ、噂になってるよ。クリスマスに
「ぶっ!? ななな、なにそれ!? ど、どういうこと!?」
私が教えてあげると、桃華は噴き出しながらも勢いよくこちらを振り返る。登校したばかりの彼女は、やはり先ほどの騒ぎのことを知らなかったようだ。
「まあその相手がアンタだってことはバレてないみたいだけどね」
「そ、そうなの? な、ならなにも問題ないんじゃない? 流石に私だってバレちゃうのは恥ずかしいけど……」
「……はあ……なんでアイツよりもアンタの方が楽観的なのよ……」
「うぇ? あ、あいつ、って?」
「……なんでもない。さっさと支度済ませな。そろそろ体育館に移動しないと」
「えっ、あっ、うん、そうだね。ごめん」
慌ててリップクリームを仕舞って手を洗う桃華をぼんやりと眺めながら、私はもう一度はあ、とため息をつく。
小野には「心配しなくていい」と言ったし、それも決して嘘ではないのだが……やはりこの子は少し危なっかしいところがある。
純粋で素直。人に優しく、人の悪口を言わない。
それは間違いなく彼女の美徳であると同時に、彼女の弱点――いや、欠点であるとも言えた。
もし万が一、桃華と同じように久世を想う女子がこの子に害意を持ったとしても、おそらくこの子はそれに気付くことが出来ないのだろう。
「お待たせ、やよいちゃん。教室に戻ろう?」
「……うん」
女子トイレを出て一年二組の教室へ戻る私たち。
その途中で一組の教室内をチラリと覗き込んでみると、朝の騒ぎは一応一段落したらしく、自分の席について男子生徒たちと楽しげに会話している久世の姿が見えた。
しかしそんな彼にチラチラと視線を送っている女子生徒もたしかにいる。あれだけの騒ぎだったのだから、そう簡単に収まるものとも思ってはいないが。
「(……小野には、心配するなって言ったけど……)」
一組の前を抜けて二組の教室へ入りながら、私は考える。
「(……やっぱり少しだけ、心配だな……)」
あの
私はそんな風に自嘲しつつ、クラスメイトたちと挨拶を交わす親友の背中を見守りながら、席に着いたのだった。
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