第八七編 ベスト・フレンド①

 寒い冬の日の朝ほど、布団から出たくない瞬間もそうないだろう。

 ましてや、それが冬休み明けの始業式の日ともなれば、俺の中の〝布団から出たくねえ度〟は最高潮フルマックスである。

 そもそも一体なにが悲しくて、ぬくぬくした羽毛布団の外へ出てまで校長のくだらねえ話なんぞ聞かなきゃならんのか。まったくもってせない。

 いや、新学期初日からいきなり授業をされたくもないが、かといってあのくだらない始業式ぎしきを受け入れられるかと言われれば全力で〝NO〟と答えよう。

 結局なにが言いたいのかというと……学校、だるい。


「はあ……」


 俺は肌を刺すような寒さから身を守る安物のコートの腕をさすりつつ、窓ガラスにしもが降りた自動車が並ぶ月極つきぎめ駐車場の前をため息混じりに歩く。

 また今日から毎日こうして通学しなくてはならないと考えると、それだけで気が重かった。


「(……夏休み明けの始業式の日は、ここまで気重きおもにはならなかったんだけどな……)」


 当時のことを思い出して、俺は薄雲の向こうにいる太陽を見上げる。


「(あの頃はまだ……失恋なんかしてなかったもんな……)」


 そう考えて脳裏に浮かぶのは、俺がずっと片想いをしていた幼馴染み――桐山桃華きりやまももかの姿だ。

 彼女が同学年のイケメン野郎こと久世真太郎くせしんたろうに恋をしていると俺が知ったのは去年の一〇月頃のこと。

 まあ厳密に言えば、桃華は夏休みの前には既に久世に惚れていたらしいのだが……少なくとも夏休み明け時点の俺は、そんなことを知る由もない。

 だから前回の始業式の日は「久しぶりに桃華に会える!」という思いもあり、ここまで登校がつらくはなかったのである。

 しかし、自分の失恋を知った今となってはこの通学路、というか学校のことがただただ憎かった。


「……よし。潰すか、学校」

「新学期初日からなに物騒なこと言ってんのよ」

「うおあっ!?」


 俺の呪詛に答えるように後ろから掛けられた声に、俺は思わず身を跳ねさせる。

 心拍数が一気に上がった心臓を押さえつつ振り返ると、そこには軽く染めた茶髪とピアス、そして無駄に格好よく学生鞄を背負っている幼馴染みギャル、金山かねやまやよいが立っていた。


「し、新年初日から心臓に悪い女だな、テメェ……!? ちょっとは気ぃ遣え、心臓麻痺で死ぬとこだったぞ……!」

「いや普通に声掛けただけだろ。アンタが毎回毎回ビビり過ぎなんだよ」

「ああそうだよ、ビビりだよ。だからお前が俺に声を掛けるときは一時間前までに〝声を掛ける予定〟があることをメールで伝えろ」

「面倒くさいにも程があるだろ」

「そんで声を掛ける一〇分前、五分前、三分前、一分前ごとにちゃんと連絡を入れて、実際に話す際には俺が自然とお前の存在に気付くまで待ってから発声しろ」

「そこまでしてアンタと話したくもないけどね」


 金山はそう言うと、さっさと俺の横を通り過ぎて学校方面へと歩いていく。

 向かう先が同じである以上、当然俺もそれに追従する形になるのだが……とても気まずい。かといってわざわざ会話を振るほど、俺とコイツは親しくもなかった。


「(……大晦日おおみそかに会って以来だな、そういや……)」


 俺は一週間ほど前、神社でたまたま遭遇した金山に、俺が桃華を好きだということも、桃華の恋を応援していることも明かしてしまっている。

 そう考えるとなんだか気恥ずかしい気もしてくるが……金山はその件については秘密にしてくれると言ってくれたし、俺から下手に桃華の話をしたりしなければいいだけのことだ。

 ……あれ、そういえばコイツって、桃華と通学してるんじゃなかったっけ……?


「桃華なら、新年早々寝坊したから置いてきたよ」

「!? そ、そんなこと気にしてねえし!? エスパーかお前は!?」

「いや、『エスパーか』って言ってる時点で『気にしてた』って言ってるようなもんだろ」


 呆れたようにこちらを振り返りながら言ってくる金山。……相変わらず苦手だ、コイツ……。


「……つーか、寝坊って珍しいな。桃華アイツは遅刻とかほぼしない奴だと思ってたんだが」

「しないね。でも本人曰く、昨日の夜はなんか知んないけど遅くまで勉強してたらしいよ」

「! へ、へえ……そうなのか……」


 その〝理由〟に若干心当たりのある俺は、そっと金山から視線を逸らす。彼女はそんな俺をしばらく無言で見つめてから「……まあいいけど」と前へ向き直った。


「……小野おの。アンタさ、今年も変わらず続けるつもりなわけ?」

「……!」


 金山の問いに、俺は静かに目を見開く。

 なんのことだ、なんて聞くまでもない。このタイミングで彼女が言葉を濁して聞いてくることなんて、一つしかないからだ。


「……ああ」

「…………そっか」


 短く答えた俺を振り返ることなく、金山は小さく呟く。もうすぐ目の前には、初春はつはる学園の校門が見えていた。


「――頑張りなよ。私は、応援してるから」


「え……」


 登校してきた学生たちが挨拶を交わす正門を通り過ぎながらそう言われて、思わず彼女のことを見やる。


「そ、そりゃ俺も頑張るけど……そういうのは本人に言うもんじゃないか?」

「……うん、まあ、そうだね」


 俺は、珍しく曖昧な答え方をする金山に違和感を覚えたものの、しかし結局はそれ以上の言及をすることは出来なかった。


「――〝本人〟に、言ってるんだけどね」


 下駄箱前に溢れている生徒たちの喧騒を掻き分けながら、金山がなにかを呟いたような気がした。

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