第八五編 姉は強し
「……!? …………。…………!?」
お姉ちゃんと〝
えっ……? い、今お姉ちゃんはなんて言った?
二人の会話のすべてを正確に聞き取れていたわけではないので確信こそ出来ないものの……な、なんか、試験対策をする場所に
「……ね、ねえ
「? なんですか、
私が小声で話しかけると、呑気にティラミスを
「い、今お姉ちゃん、なんて言った!? 私の聞き間違いかな!?」
「えっ……み、
「なんで聞いてないのよ!? 貴方の方がお姉ちゃんたちに近い位置にいるのに!」
ちなみに私とお姉ちゃんたちのテーブルはそれぞれ壁を背にして向かい合うような配置である。つまり服部と〝小野さん〟が背中合わせに座り、二人を挟むような形で私とお姉ちゃんが向かい合っているわけだ。
当然私より服部の方が、二人の声は聞こえやすい。
「す、すみません……。で、ですがあまり人様の会話に聞き耳を立てるのはよろしくないかと……」
「そんな正論は今求めてないよ!」
「ええ!? 幾らなんでも理不尽すぎませんか!? そ、そういう
「本人たちがすぐそこにいるのに『二人の会話に聞き耳立てといて』とか言えるわけないじゃない、常識的に考えて!」
「常識的! まさか美紗お嬢様の辞書にそんな言葉が載っていたなんて!」
「どういう意味よ!? あーもういいわよ! あなたはそこでティラミスでも
「うちの主人が滅茶苦茶すぎる……」
服部はしょんぼりとティラミスの残りを口へと運びつつ、「……でもそういえば」と意識を後方の二人へ向けながら言う。
「あの少年、このお店のアルバイトの方ですね」
「! し、知っていたの!?」
「ええ。私は以前から、嫌々ながらこの店の調査をしていたので」
「嫌々ながらとか言わないでくれる? け、ケーキご馳走してあげてるんだから、それでチャラでしょう」
「…………あー、大変だったなあ、〝
「……わ、分かったわよ。他にも好きなだけ注文していいから」
私がそう言った瞬間、服部はシュバッ、と勢いよく手を上げて「すみません」と例の女の子の店員さんを呼んだ。
「季節のケーキセットとカスタードシュークリームを一つずつ。それからお嬢様が食べていて美味しそうだったので、オレンジマーマレードのタルトと、キャラメルマキアートのお代わりもお願いします」
「かしこまりました、少々お待ちください」
ニコッ、と微笑んでからお辞儀をして去っていく店員さんの背中を見送り、私はテーブルに頬杖をつきつつため息を吐き出す。
「仮にも主人相手に容赦ないね……。……まあいいわ。調査を頑張ってくれたのは本当だし……」
「そうですよ。あ、今注文したカスタードシュークリームはその調査の時にも食べたんですが、なかなかに美味しかったですよ。お嬢様も注文してはいかがですか?」
「要らない。……ん……? 服部、あなたさっき『寒い中震えながら~』とか言ってたよね? なんで調査の時にシュークリーム食べてるわけ?」
「あっ、やばっ……。い、いえあれですよ、このお店はテイクアウトも出来るので……み、未来お嬢様が口にされるかもしれないものですし、一応毒味を、と……」
「今完全に『あっ、やばっ』って言ったよね!? なにが毒味よ!? あなたさては調査の時も普通に喫茶店でぬくぬくしてたのね!?」
「い、いいじゃないですか。調査しろという
「開き直るなあっ!? 私の申し訳ないっていう思いを返しなさいよ!? 」
「いえ、それは普通に申し訳ないと思っていただきたいですけど」
「な、なんで急に真顔になるのよ!? 今日これだけご馳走してあげるんだからむしろもっと働いて――」
私がそんな風に声を上げていたその時、私たちのいるテーブルの端をコツ、コツ、と指先で叩く音が響いた。
顔を上げてみると――そこにはいつも通りの無表情を浮かべたお姉ちゃんが立っている。
「お、お姉ちゃ……」
言いかけて、私は察する。
――あ、これ、ちょっと怒ってるやつだ。
「ち、違うの、お姉ちゃん! あの、私はただ――」
「美紗」
なんとか言い訳を試みる私の言葉を遮り、お姉ちゃんが静かに言う。
「騒がしくしないようにと言わなかったかしら」
「はい、ごめんなさい」
その場で素謝りする私。一瞬で言い訳をするだけの意気を失った瞬間である。
基本的にお姉ちゃんは怒らない……というより感情の起伏が極めて低いのだが、だからこそ怒ったお姉ちゃんは物凄く怖い。
怒鳴ったりするわけではなく、ただただド正論で押し潰してくるタイプの怖さだ。そしてそういう意味においてお姉ちゃんより怖い人を私は知らない。
「そうですよ美紗お嬢様。公共の場で騒がしくするのは――」
「貴女もよ、服部」
「……え」
ここぞとばかりにお姉ちゃんに乗っかろうとしていた服部にも、黒の瞳が向けられる。
「貴女は美紗の護衛である以前に、
「はい、ごめんなさい」
高校一年生に叱られて素謝りするいい年した大人がそこにいた。
私が言うのもなんだが、かなり悲しい光景である。
「私はもう帰るけれど、美紗、貴女たちは?」
「えっ……あっ、はい。まだ注文したケーキがあるので……ここに残ってます」
「そう。なら騒がしくしないようにね。服部、後は任せるわ」
「か、かしこまりました」
いつも通りフラットなお姉ちゃんに、しかしビクビクと言葉を返す私と服部。……なんとも情けない主従コンビである。
そしてそんな私たちに遠慮がちな目を向けつつ、〝小野さん〟がお姉ちゃんの後へついていく。
「だ、誰だあれ?
「……妹よ」
「えっ、あれが前に言ってた妹!? い、いや、言われてみれば
「……妹に良からぬことを考えているなら、即通報するけれど?」
「考えてねえわ。つーかこの会話、なんか前もしたような気が済んだけど」
そんな風に言葉を交わしつつ、喫茶店を出ていく二人の姿が見えなくなってからも、私と服部はしばらく背筋を伸ばして座り続ける。
そしてあの店員さんが「お待たせしま……した?」と不思議そうな顔で注文のケーキを運んできてくれたのを見届けた後――ポツリと、私が呟く。
「……お姉ちゃんって、強いね」
「……はい」
それから私たちは決してお店に迷惑にならないよう、黙々とケーキを食べて帰ったのだった。
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