第八四編 腹案

「貴方が桐山きりやまさんを一組に入れたいという理由は分かったけれど」


 桃華ももかが運んできてくれたブラックコーヒーに角砂糖とミルクを投入しながら、七海ななみが言う。


「そもそも彼女のこの一年間の成績はどうなのかしら。学年末試験で良い点をったとしても、通年の成績評価が悪ければ一組に選ばれることは難しいでしょう?」

「ん、ああいや、それは問題ねえよ。桃華アイツは昔から成績良いんだ。こないだの期末でも学年二〇位に入ってたからな」


 一二月に行われた期末試験の結果を思い出しながらそう答える俺。

 確かに普通に考えれば、二年の〝特待組〟に選ばれやすいのは一年で一組に所属していた生徒たちなのだろう。元から成績が良い生徒だけが集められているのだから当然のことだ。


 ただ桃華について言えば、彼女は元々別の難関高校を志望しており、初春はつはるはあくまで併願の滑り止めとして受けただけ。間違いなく、入学時の成績は初春でもトップクラスだろう。

 彼女の現在所属しているクラスが二組なのは単純に、併願の受験生は一年時の〝特待組〟に入ることが出来ないという校則ルールがあるからに過ぎない。


 もちろん真面目な桃華は問題行動などを取ることもしないし、初春の模範生として十分に相応しいだろう。

 つまり現時点で、桃華が二年の〝特待組〟に選ばれる可能性はそれなりに高いと言えよう。

 後は残る学年末試験で引き続き学年上位に残留出来さえすればいいだけのことなのである。


「まあ桃華なら、放っておいても自分で勉強して学年上位に入る可能性も高いけどな」


 俺はそう呟きながら、前回の期末試験の前に行った勉強会のことを思い出す。……せっかく久世くせも一緒にいたというのに、そんなことはお構いなしとばかりにバリバリ勉強をする彼女の姿には驚かされたものだ。

 だから正直、七海の協力を仰ぐというのは少々やり過ぎかもしれないが……念には念を入れておくくらいで丁度いいだろう。なにせ〝特待組〟に選ばれるかどうかで、桃華の来年一年間が大きく変わってしまうのだから。


「……だから、お前に協力してもらえると助かるんだが……や、やっぱり駄目か?」

「…………」


 俺の問い掛けには答えず、七海はケーキの載った皿からチョコレートケーキを取り分け、それを静かに口へと運ぶ。

 ……俺は七海がこの頼みを聞き入れてくれるとは思っていない。コイツの性格上、すげなく断られてしまうのがオチだろうというのは分かっている。

 それでも俺が七海にこんな話を持ち掛けているのは――彼女に勉強会へ参加してもらいたいがあったからだ。


「……小野おのくん。一応聞いておくわ」

「えっ?」


 コーヒーを一口含んでからそう呟いた七海に視線を向ける。


「貴方が私を誘うのは? それともかしら?」

「……? ……!」


 一瞬何を問われているのか分からなかった俺は、しかしその質問の意図を理解して思わず目を見開いた。

 ……相変わらず怖い女だ。

 もしかしたら彼女は、既に俺のもう一つの企みに勘づきつつあるのもしれない。


「……あいつらのためでもあるし、俺のためでもある」

「……そう」


 七海は短くそう言ってからもう一度コーヒーに口をつけ、そして次のケーキを皿から取り分ける。

 その様子を見て、やっぱり駄目だったか、と息をつきかけた俺に、彼女は静かに言った。


「――いいわ」

「…………え?」


 思わず聞き返す俺に、七海はその黒の瞳を俺に向けつつ答える。


「貴方に協力してあげると言ったのよ」

「えっ……えっ? ま、マジで? いいのか?」

「……仕方ないわ。もうケーキを食べてしまったから」


 言いながら、苺がたっぷり載ったケーキにフォークを入れる七海。

 そのケーキはあくまで、冬休みにわざわざ時間を貰ったことに対する謝礼の意味で奢ったつもりだったんだが……。

 ……いや、違うか。ケーキは一種の動機付けというか、俺に協力してくれるための言い訳のようなものなのだろう。

 まったく、素直じゃない女だ。


「……悪いな、ありがとう」


 俺が礼を告げると、七海はケーキのてっぺんに乗っている苺にフォークを刺しながら「ええ」と言った。


「……それにしても、随分と性急な話ね?」

「うえっ!? い、いやまあ……は、早いに越したことはないだろ?」

「あら、殊勝な心掛けね。

「うぐっ……!?」


 やはり俺の企みというか、俺が桃華の〝特待組〟入りだけを目的として彼女を誘ったわけではないことに気付いているのだろう。動揺を隠しきれていない俺に、七海が少し意地の悪い瞳を向けてくる。


「……まあいいわ。けれどその試験対策、いったいどこでするつもりなのかしら?」

「えっ? そ、そりゃあ……〝甘色ここ〟でやるつもりだけど」

「嫌よ。それはいくらなんでも目立ちすぎるでしょう。ただでさえ最近は、初春の生徒もこの店に来るようになってしまったのだから」

「あ、ああ……そっか、そうだな……」


 七海の言う通り、久世がアルバイトに来てからというもの、〝甘色あまいろ〟には初春学園の生徒もちらほら顔を出すようになりつつある。

 うちの価格設定上、そう頻繁に来店する生徒はいないものの、いつ久世目当ての客が来てもおかしくはない。

 そんな場所で勉強会なんてしようものなら確かに目立つ、というより、初春の生徒の目に止まる可能性は高いだろう。


 普段はサングラスとマスクで変装している七海も、まさかそんな格好のまま勉強会に参加するわけにもいかない。というか、むしろそのままの方がよほど目立つこと請け合いだ。

 俺と七海の〝契約〟を考えても、七海に負担リスクのある行動をとらせるわけにはいかない。これだけ彼女に協力を仰いでいるのだから、それくらい厳守するのは当然のことである。


「……とはいえ参ったな……学校や図書館ももちろん使えないし、かといって俺の家は四人で勉強出来るような広さじゃねえんだよな……」

「…………仕方がないわね」


 俺がぶつぶつと悩んでいると、七海が最後のケーキにフォークを入れながら言った。


「場所がないなら、うちを使えばいいわ」

「…………え?」


 その信じがたい言葉に、俺はおそるおそる「い、今なんと?」と聞き返してしまう。

 そんな俺に七海は一度息をつき、そして「だから」と言葉を繰り返す。


「他に場所がないのなら――七海別邸うちを使えばいいわ」

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