第八一編 クリスマスの夜(七海美紗の場合)

 およそ一〇日前の一二月二五日、クリスマスの夕暮れ。

 朝から友人宅でクリスマスパーティーを行っていた私は、お気に入りのコートをまとった腕をさすりつつ、人通りの多い街中を歩いていた。

 クリスマスパーティーといえば夜に行うのが普通かもしれないが、中学生くらいの女の子には〝門限〟という面倒な規則ルールが課せられることが多い。その例に漏れず、私と仲の良い女の子たちは皆夕方には家に帰らねばならなかったため、朝からの開催と相成あいなったのである。


「(それにしても寒いわね……)」


 楽しそうに話すカップルたちとすれ違いながら、私ははあ、と白い息を吐く。

 つい先ほどまで暖かい室内でぬくぬくとパーティーを楽しんでいた身体に、この真冬の外気は凶悪なものだ。こんなことならお洒落を意識して短いスカートなど穿いてこなければ良かったとつくづく思う。

 特に私の場合、いつもはボディーガードである服部はっとりが車で送迎してくれているから、外に出ることはあってもこんな風に歩くことはあまりないため、余計に寒く感じてしまう。


 今日も服部がパーティー会場である友人宅の前まで迎えに来てくれるはずだったのだが、どうやら渋滞に引っ掛かってしまったようだ。これについては、パーティーが楽しすぎて服部に迎えの時刻の連絡をするのをすっかり忘れていた私の落ち度である。

 だから自分への戒めも含め、せめて交通量の多い大通りのまでは自分の足で歩こうと思い、今こうしているわけだ。


「(……あら? そういえばこの辺りって……真太郎しんたろうさんの働いている喫茶店の近くじゃなかったかしら?)」


 私は周囲をキョロキョロと見回しながら、残念ながらクリスマスの約束を取り付けることが叶わなかった想い人のことを考える。

 いや、違うのだ。私としては真太郎さんをクリスマスデートに誘うつもり満々だったのだが、いざお誘いのメールや電話をしようとすると緊張してしまい、なかなか切り出せなかったのである。

 というより、昔からメールや電話のように〝相手の顔が見えないまま会話をする〟のが苦手だった。

 直接面と向かえば思いきった行動や大胆な誘惑だってしてみせるのだが……やはり相手の反応が見えないというのは怖い。


 自分で言うのもなんだが、私は他人の〝本当に嫌がるライン〟の見極めがとても上手かった。顔色をうかがう、と言うと少し聞こえが悪いかもしれないが、自分の会話や行動に対する相手の反応を見て、それに対応した選択をしていくことが。感情の読みづらい姉と長く過ごしてきたからだろうか。

 そしてその弊害とも言うべきか、メールなどでお誘いをしようとしても、「メールを見た相手が迷惑そうな顔をしているのではないか」「電話口の向こうで困った表情を浮かべているのではないか」と考えてしまうのである。


 ま、まあそのお陰で友人たちと楽しくパーティーが出来たのだし、それは別に良いのだ。

 でも、私がこうしている間に真太郎さんが他の女の子と仲良くなっていたらと思うと、どうしても胸の奥に不安が宿る。

 かといって、今から突然真太郎さんのバイト先に突撃するような勇気もないのだが。服部から聞いた限り、クリスマスはかなり忙しいようだし、迷惑は掛けられない。


「(……ん? あれ……?)」


 ふと街中の喧騒の中に一際大きな声が混じっていることに気が付き、私は顔を上げた。


「――はうあっ!? ちちちち、違くてっ!? い、いや違くないんだけどっ、でも違くてえええええっっっ!?」

「お、落ち着いて桐山きりやまさん! こ、ここ街中だからね!?」

「んうおおおっ……! し、死にたいっ……! く、久世くせくんっ、今すぐ殺し屋さんを呼んでっ! 五六四番してっ!」

「いやそんな一一〇番みたいに言われても!?」


「(……なんだ、この頭の悪い会話……って、あれ?)」


 聞こえてくる騒ぎ声を聞いて、この聖夜にテンションが上がり、お馬鹿なカップルがはしゃいでいるのだろうと若干白い目をしかけていた私は、しかしその中に聞き覚えのある名前があったような気がして、じいっと人混みに目をらす。

 あ、あれは……あの、こんな街中においても一際目立つイケメンさんは……!


「――真太郎しんたろうさん……?」


 思わず呟きをこぼしながら、私はその人が真太郎さんであることを確信した。

 な、なんでこんなところに……と思ったが、そういえば服部から聞いた真太郎のクリスマスのシフトは五時までだったはず。現在時刻が六時半過ぎだから、彼がここに居たとしても不思議ではない。

 そんなことより、真太郎さんと一緒にいる女の子の方が問題だ。

 かなり可愛い子である……なにやら奇声を上げてはいるが。


「(な、なにあれ、もしかしてデート? デートなの……!?)」


 途端に胸の中にあった不安が大きく膨らむ。

 真太郎さんはかなりおかたい人だから、もしかしたらクリスマスだって学校の女の子ではなく、妹ちゃんたちと過ごすのではないかと淡い期待を抱いていたのだが……それはあっさりと打ち砕かれてしまった。


「(くう……ッ! ぐ、ぐやじい……! し、真太郎さん、私というものがありながら……!)」


 ……冷静に考えれば、現状真太郎さんと特別な関係にあるわけではない〝私というもの〟に、彼のクリスマスの過ごし方に口出しをする権利などまったくないのだが、このときの私は悔しさのあまり、謎の思考回路に陥っていた。


「(うう……! というかあの子誰なんだろう……バイト終わりの真太郎さんと待ち合わせてたってことだよね……? え、まさかかの――いやいや、そんなまさかまさかハハハ……)」


 動揺しすぎて現実逃避に近い感じでそっと顔を背ける私。

 するとその時、私はすぐ近くの電柱の裏に潜むように立っていた男の人が、こちらをじっと見ていることに気が付いた。


「……あっ」

「えっ」


 私は思わずその人から視線を切り、そそくさとその場から立ち去る。

 や、やばいやばい、幾らなんでも真太郎さんたちのことをジロジロと見過ぎただろうか。なにやらいぶかしむような目を向けられてしまっていた。

 というかあの人はあんな物陰で一体何をしていたんだろう……。

 そんな疑問を頭に浮かべながらも、私は逃げるように大通りの方へと抜けていったのだった。

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