第七九編 あの人が!?
「お、お姉ちゃん、どうしてここに?」
「いえ、それは私の台詞なのだけれど」
驚く私にそう言ってサングラスを外しながら、お姉ちゃんは訝しげな表情を浮かべた。
……まあ確かに、自分の行きつけの喫茶店になぜか
しかし、私の疑問もまた当然のものだった。
「(だ、だってお姉ちゃん……今日は例の〝
もう会ってきた帰りなのだろうか? 私は今朝、お姉ちゃんよりも早く家を出たから分からないが……でも朝の段階でお姉ちゃんはまだなんの支度もしていなかったような気がする。
いや、支度と言っても普段から化粧もお洒落も一切しない彼女は、髪の寝癖を直して顔を洗えば、それで準備完了なのだが。
今日だって地味な黒色のロングワンピース姿である。
「み、
そんなお姉ちゃんに、
いや、普段のお姉ちゃんならば真太郎さんに言葉を返したりはしない。可能な限り目立ちたくない彼女にとって、真太郎さんのように衆目を集める存在は忌避の対象だからだ。
しかし喫茶店の中には現在、私たち以外のお客さんはいないようだ。こういった第三者の視線がない場所でなら、お姉ちゃんは真太郎さんのことを特に避けたりはしないのである。
……まあ〝特に避けない〟というだけで、そもそも他人とまともなコミュニケーションをとるつもりがないお姉ちゃんと会話が続くかと言われれば、別にそういうわけでもないのだが。
「…………」
それでも、久し振りにこの二人が言葉を交わしたのを見て、私は少しほっとする。
お姉ちゃんが今のような性格になってしまうまでは、彼らも普通の友達として接していた。その光景をよく知っている私にとっては、二人が上手くいっていない姿を見ることは
とはいえ、私はかつてのお姉ちゃんがどれだけ大変な思いをしてきたのかも知っているから、お姉ちゃんに無理
「……
「えっ……あ、うん。ごめんなさい」
そんなことを考えていた私にそう注意して、お姉ちゃんは店の奥へと歩いていった。……どうやら真太郎さん相手に大はしゃぎしていたところを見られていたらしい。は、恥ずかしい……。
「…………」
「(……あれ? お姉ちゃん……?)」
なんとなく彼女の背中を目で追っていた私は、途中でお姉ちゃんが店の厨房の方へと視線を送ったことに気が付いた。まるでなにかを気にしているかのような動きである。
他の人が同じ動きをしていても気にならないだろうが……お姉ちゃんのように周囲に関心のない人だと少し不自然に感じてしまう。
「(……厨房の中に、なにかあるの……?)」
「……? お嬢様、どうかなさいましたか?」
「うえっ!? い、いえ、別に!? ……というか
「車で待つのも寒いので、せっかくだからご
「ま、まあ別に構わないけど……あまり騒がないようにね?」
「お嬢様にだけは言われたくありませんが」
「どういう意味よっ!?」
失礼なことを言うボディーガードに声を上げた私に、真太郎さんが「まあまあ」と苦笑を向ける。
「空いている席で待っていてくれるかい? すぐにメニューとお冷やを持っていくから」
「あ、ありがとうございます、真太郎さん! ……うへへぇ、やっぱり格好いい……」
「お嬢様、変な笑い声を上げていないで早く座りましょう」
「仮にも主人に対してなんてこと言うのよ!?」
まったく、服部にも少しは本郷を見習って貰いたいものだ。いや、本郷は本郷で面倒くさいところがありそうだが。
とはいえ、服部が私に対して時々無礼なことを言うのはいつものことである。私とて彼女に日頃迷惑をかけている自覚はあるので、そのことについて大きな不満があるわけではない。不満はないが……。
「それにしても、未来お嬢様にはこういう落ち着いた喫茶店がよくお似合いですね。まさに梅に
「……あなた、私とお姉ちゃんで結構扱いに差があるよね……」
「いえ、そんなことはございません。ただ未来お嬢様は昔から本当に手の掛からない方でした。……未来お嬢様は、そうでした」
「なんで強調した!?」
前言撤回、やっぱり大きな不満だった。姉妹間でなんだこの差は。
服部には今後、主人である私のことをもっと
さて、そんな会話を交わしつつ、私たちはお姉ちゃんの座っている席の対面側、〝6〟という札が張り付けてあるテーブルに着いた。
テーブルは四人掛けなのでお姉ちゃんと一緒に座ることも出来たが、お姉ちゃんは喫茶店ではいつも読書をして過ごしているらしいので、流石にそれを邪魔するのは気が引ける。見れば彼女は、もう既に鞄から取り出した分厚い本を開いていた。
幸い他にお客さんもいないし、私たちでテーブルを二つ使っても特に問題はないだろう。
「お待たせしました。こちらメニューになります」
「ありがとうございます!」
テーブルまでやって来た真太郎さんからメニューとお冷やを受け取り、お礼を告げる。
見れば、お姉ちゃんの方には他の店員さんが向かったようだ。長い髪をポニーテールにした、可愛い感じの女の子である。
あの人は真太郎さんと同じバイトが出来てるってことだよね……くっ、なんて羨ましい……ッ!
「あ、あの美紗? そ、そんなに引っ張ったらお絞りが破けちゃうよ?」
「ハッ!? い、いけない、私ったら。えへへ」
「そんな取って付けたような〝可愛い後輩キャラ〟は無理がありますよ、お嬢様」
「う、うるさいわよ服部! え、えっと、真太郎さん。なにかオススメとかってありますか?」
「うーん、そうだなぁ……」
私の質問に真太郎さんは考える素振りを見せた後、メニュー表をパラパラとめくる。
「ケーキなら、冬季限定の苺尽くしケーキがオススメかな。それからオレンジマーマレードのタルトも凄く人気だよ。飲み物はキャラメルマキアートが年中通して人気なんだけれど、今の時期はこっちの苺オーレが一番売れているかな。キャラメルマキアートは一年中販売しているからね。それから――」
すらすらと
服部が調べたところによれば、真太郎さんがこの喫茶店で働き始めたのはほんの二、三ヶ月前のことだったはず。それなのにもうこれほどの知識を身に付けているとは、流石である。
「え、えっと、それじゃあオレンジマーマレードのタルトと苺オーレをください」
「私は苺尽くしケーキとティラミス、キャラメルマキアートを一つずついただけますか」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
私と服部が注文を終えると、真太郎さんはニコッ、と微笑んで綺麗な一礼をし、そのまま厨房の方へと戻っていく。
「……はあぁ……。格好いい……」
「そんなため息をつくほどですか」
「うん……服部は思わない? 真太郎さん格好いいなーって」
「私は
「あ、そっか。そうだよね」
そんな会話を交わしつつ、真太郎さんの消えていった厨房を見つめる私。
するとその厨房の脇にある〝
「(あれ……仕事が終わったバイトの人かな?)」
特に興味もなくその人を眺めていた私は、しかしその男の人が店を出ることなくこちらに向かってきていることに気付く。
そして彼は私たちのすぐ側まで歩み寄ると――本を読んでいるお姉ちゃんの着いているテーブルの椅子を引きながら言った。
「よう。悪いな、待たせちまって」
「……構わないわ。私もついさっき着いたところだから」
「(…………え?)」
言葉を交わす二人に、私は思わず硬直する。
え、ま、まさか……まさかあの人が――!?
「それで、今日はなんの用なのかしら、小野くん」
――あの人が、〝小野さん〟……!?
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