第七八編 〝甘色〟と姉妹

 ――喫茶〝甘色(あまいろ)〟。

 個人経営の店としてはなかなかの規模を誇る喫茶店。コーヒーや紅茶などはもちろんのこと、元々パティシエ志望だった店長・一色小春いっしきこはるの作るデザート類が評判である。

 ただし周辺地域に国立初春はつはる大学や私立桜木さくらぎ大学、私立初春はつはる学園高等学校などが密集しているという土地柄、学生の往来が多いのだが、それに反して〝甘色〟の価格設定は決して安価ではなく、ゆえに平日の客入りはお世辞にも良いとは言えない。

 ハロウィンやクリスマスの時期にはオリジナルのお菓子やケーキを販売するなどしており、そちらの人気は非常に高いことからも、一般人にとっては〝たまに行くお高めの喫茶店〟というイメージが強いようだ。

 従業員数はアルバイトを含めて一〇人前後。少し前に新規アルバイト募集の噂が立っていたが、店舗にそのような貼り紙はされていた形跡はなく、真偽のほどは不明。

 店長の一色は店舗に住み込んでいるようだが、すぐ近くに実家もあるようで、本来の住居は――


「――あー、服部はっとり、服部?」

「? なんですか、お嬢様。今私が調べた〝甘色〟の情報を説明中なのですが……」

「いや長いんだよ! しかもそれもう何回も聞いたし!」


 真太郎しんたろうさんが働いている喫茶店〝甘色〟に到着した私と服部は、車の中でそんな会話を交わしていた。

 すると私の文句を受けて、服部が「だ、だって」と反論してくる。


「ここに着いてからもう一〇分以上経過してますし……お嬢様は普段は引くほど積極的に行動される割には、こういうアウェーなところに突っ込むことには消極的じゃないですか」

「そ、そんなことないし!? ちょ、ちょっと警戒してただけじゃん!」

「いや、喫茶店に入るだけなのに何を警戒するんですか。……というわけで、私なりにお嬢様の緊張感をほぐそうと思って、今まで嫌々ながらも頑張って調べた〝甘色〟の情報を今一度お教えしようと……」

「さっきからちょいちょい引っかかる言い方してくるのはなんなの!? な、なに、私のボディーガードするのは不満!?」

「いえ、滅相もございません。……ですが、〝お嬢様の好きな人の勤務先の精査〟が果たしてボディーガードの業務として数えられて良いのか、という点については懐疑的な私がいます」

「絶対不満抱いてるよね!? い、いいじゃない! お姉ちゃんだってボディーガードの本郷ほんごうに朝ごはん作らせたり、本を買いに行かせたりしてるじゃない!」

「本郷さんは未来みくお嬢様のことを溺愛できあいしすぎて、お嬢様本人が『しなくていい』と言っている業務にまで手を広げているだけですよ。あの人は無駄にハイスペックなので」

「無駄にって……いやまあ、確かにだいぶ無駄遣い感あるけどさ……」


 服部の言葉に、私は嬉々としてお姉ちゃんに構おうとする本郷の姿を思い返す。

「そこまでしなくていい」と告げるお姉ちゃんに対して「私がやりたいんですッ!」と言って聞かない本郷という絵面は、七海邸において一日に一度は見る光景だった。

 まあ本郷はちょうどお姉ちゃんが笑わなくなった時期に仕え始めたから、色々と思うところがあるのかもしれない。


「…………」

「……? お嬢様? どうかなさいましたか?」

「ん……? ううん、なんでもないよ」


 私は、車窓しゃそう越しの喫茶店を眺めながら呟く。


「あの頃と比べれば、お姉ちゃんも少しは変われたのかもしれないな……」

「お嬢様……」


 そんな私の呟きに呼応するかのように、服部がどこか寂しげな瞳をしたような気がした。



 ★



「いらっしゃいませ……ってみ、美紗!?」

「きゃああっ! 真太郎さんっ、それバイトの制服ですか!? すっごく格好いいです! いえ、真太郎さんは何を着ていても素敵ですけど! あっ、いきなり来てすみません! お詫びに全商品買って帰りますので、とりあえずスマイルください!」

「そんなメニューはないんだけれど!?」

「色々と台無しなので、ずは落ち着きましょう、お嬢様」

「ハッ! ご、ごめんなさいっ、私ったら!?」


〝甘色〟に踏み入ってすぐエプロン姿の真太郎さんの姿を見つけた私は一瞬で理性のリミッターが外れてしまっていた。

 突然やって来た私に慌てた様子の真太郎さんと、呆れ顔を浮かべる服部の言葉でどうにか表向きには平静を取り戻すものの……内心ではまるで興奮が収まってはいない。


「……うへへ、真太郎さん格好いいなぁ……」

「あのお嬢様、それ心の声モノローグのつもりかも知れませんが、思いっきり口に出ちゃってますから」

「うえっ!? い、いけないいけない……真太郎さんに変な子とだと思われちゃう……」

「いえ、それはもう今さらなので問題ないかと」

「どういう意味よっ!?」


 それじゃあ私が、既に真太郎さんから変な子だと思われているみたいじゃないか。やめてほしい。これでも私は学校では真面目な優等生でとおっているのだから。

 するとそんな私たちに、真太郎さんが苦笑を浮かべながら言った。


「そ、それで今日はどうしたんだい?」

「あっ、は、はい! 少し甘いものを食べたい気分だったので、真太郎さんのお店に行ってみようかなーって」

「嘘は良くないですよ、お嬢様。実際はたまたま近くを通りかかったから、思い出したかのように寄って行こうと――」

「あら服部、今日は随分お喋りなのね。うふふ」

「すみません、なんでもありません」


 ニコッ、と可愛らしい笑みを向けてあげると、服部が即座に腰を九〇度に折り曲げる。礼儀正しくていい子だ。彼女のこういう素直なところは美徳だろう。なにやらダラダラと汗を流しているが、店内は暖房が効いているからに違いない。


「え、ええっと……そ、それじゃあ席の方に案内させて貰うね」


 私たちのやり取りに若干引いた様子の真太郎さんがそう言ったその時、私たちの背後からカランカラン、と古風なドアベルの音が響いた。


「いらっしゃいませ、少々お待――」


 と言いかけたところで、真太郎さんがピシッ、と石になったかのように動きを止めた。

 不思議に思って振り返ってみると、そこに立っていたのは――


「お、お姉ちゃんっ!?」

「美紗……?」


 ――サングラスとマスクで顔を隠した、うちのお姉ちゃんでした。

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