第七七編 あの人のいる喫茶店へ

 翌日。

 結局お姉ちゃんの行き先を知ることが叶わなかった私は、「冬休みの宿題が終わらない」とすがってきた友人たちを救うべく、朝から図書館にこもることになってしまった。

 救う、といっても、別に私が解いた答えを写させたりするわけではない。全問、すべて自分の力で解かせる。そのため、どうしたって時間が掛かってしまった。


 こんな学校先生みたいなことを言いたくはないが、しかしやはり宿題というのは自分の力で解かなければ意味がないのだ。

 特に中三の冬休みという受験を控えたこの時期は、一年生、二年生と比べて宿題の量はかなり少ない。逆に言えば、この時期にわざわざ出された宿題は、それだけ重要な内容ということなのである。

 だからこそ私は自分の答えを丸写しさせたりはしない。彼らに楽をさせてあげることは簡単だが、今ここで厳しくしておいてあげた方が、結果的には宿題も受験勉強も進んで一石二鳥なのだから。

 ……とはいえ。


「(流石に厳しくしすぎたかなぁ……あはは……)」


 図書館からの帰路の途中、私は心中で苦笑した。

 迎えに来て貰った車の窓から見える空は、綺麗な夕焼けの色に染まっている。

 朝からこの時間になるまで、ひたすらに宿題に取り組ませたせいで、友人たちは揃って疲労困憊グロッキー状態になってしまっていた。

 元々が勉強嫌いの彼らにとって、私の〝普通〟は少々過酷だったらしい。最後の方は「この鬼教官ー!」と涙目を向けられてしまっていたくらいだ。

 だがその甲斐もあって、今日一日でほとんど手が付けられていなかった宿題たちはほとんど片付き、後は個人の努力で十分どうにかなる量になっていた。


「……それにしても疲れたわね……」


 私は呟いて、ぐぐーっ、と座ったまま身体を伸ばす。

 難しい問題を解く方も大変だろうが、教える方も教える方で大変なのだ。

 私が当たり前に理解できていることでも、友人たちには〝どうしてそうなるのか〟が分からなかったりする。そうなると私には、友人たちにも分かるように、細かく噛み砕いて説明をしてあげる必要が出てくるわけで……。

 結果として私は今、相応の疲労感に襲われているのであった。


「――おやしきまではまだ掛かります。少しお休みになったらいかがですか、お嬢様」


 そんな風に声を掛けてきたのは、この車を運転している私の専属ボディーガード、服部はっとり獅音しのんだった。

 彼女はお姉ちゃんの護衛を務める本郷ほんごうと並び、七海女邸の警備の要を担っている優秀な人物である。

 私は自分のことを気遣ってくれている優しい護衛官に「そうね」と小さく微笑みながら答え、そしてなんとなく車窓しゃそうの外を眺めた。


「あら? そういえばこの辺りにあったよね、真太郎しんたろうさんが働いている喫茶店」

「…………」

「……なによ、その不服そうな目は」

「……いえ、別に……」


 真太郎さんのことを口にした途端、バックミラー越しに露骨に面倒くさそうな目をする服部。そして私がその事に言及すると、彼女はそっとミラーから視線を外した。


「ならいいけれど……。……そうだわ! 折角だし今日こそ喫茶店に寄っていきましょう! たしか今日から営業だったよね!」

「あの、お嬢様……本日はお疲れなのでは? 喫茶店に行くのはまた後日でもよろしいかと……」

「駄目よ! そんなことを言ってこの数ヶ月間、一度もあの喫茶店に入れなかったんだから! 今日行くと決めたら今日行くのよ!」

「そうは仰いますが……あの喫茶店は以前より未来みくお嬢様の行きつけの店ですよ? そこへ美紗みさお嬢様が来たりしたら、未来お嬢様が悲しまれます」

「どうして私が行くだけでお姉ちゃんが悲しむのよ!?」


 それではまるで、私がお姉ちゃんに迷惑を掛けるかのようじゃないか。

 たしかに私は真太郎さんの話になると若干テンションが高くなりすぎるふしはあるが……だからといってお姉ちゃんに迷惑を掛けるほどではないはずだ。


「……というかそもそも今日はお姉ちゃん、喫茶店にはいないと思うけど?」

「? ……と、仰いますと?」

「どうやら今日はお姉ちゃん、男の人とデートみたいなの。お姉ちゃんが喫茶店に行くのは読書のためなんでしょ? じゃあ今日は喫茶店にいないってことじゃない」

「その理論はおかしいような……と、というか待ってください。サラッと仰いましたが……み、未来お嬢様に異性のご友人が……!?」

「ああ、服部は知らなかったわね。そうよ。昨日もお姉ちゃん、夜遅くにその人と電話してたんだから」

「あ、あの未来お嬢様が……電話……!?」


 小さい頃から私たち姉妹のことをよく知っている服部は、当然お姉ちゃんがどういう性格かくらい熟知している。

 そしてお姉ちゃんの性格を知っている者ほど、彼女と「友人」や「電話」などという単語が縁遠いということも理解していた。


「……あの、それは美紗お嬢様の見た夢では……?」

「夢じゃないわよ! 失礼な!」

「も、申し訳ございません。た、ただその話が本当だとしたら、よくあの本郷さんが黙っていられるものだと思いまして……」

「ああ……まあ、本郷なら『お嬢様にご友人が出来るなんて……!』とか感涙してそうだもんね」


 お姉ちゃんのボディーガードである、ハイスペックながらもところどころがとても残念なあの過保護護衛官であれば、お姉ちゃんに友達が出来たその日のうちに記念パーティーなどを開いてもおかしくはなものなのだが。

 パーティーなどが嫌いなお姉ちゃんに止められた、という可能性もあるにはあるが……たしかに少しだけ不自然ではある。

 とはいえ、お姉ちゃんとその下僕である〝小野さん〟の関係性はかなり特殊だ。だからそれが露見しないよう、本郷の口を封じているという可能性も無きにしもあらず、だろう。


「……まあいいわ。お姉ちゃんがいた時のことは、後から考えればいいことなんだから。とにかく今日こそ喫茶店にいる真太郎さんに会いに行くわよ!」

「ええ……」

「行、く、わ、よ!」

「か、かしこまりました……」


 こうして私は、嫌そうにしている服部に圧力を掛けつつ、恋い焦がれるあの人のいる喫茶店へと向かうのであった。

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