第七五編 虎視眈々

「もしかしてうちのお姉ちゃんって……高校で彼氏とか、出来たんですか?」

「ブッッッ!? ゲホッ、ゴホッ!?」


 脈絡もなくそう問うた私に、真太郎しんたろうさんが突然咳き込む。

 そしてそんな彼の代わりに、お姉ちゃんのこともよく知っている春菜はるなちゃんと明穂あきほちゃんが瞳を輝かせた。


「えっ!? えっ!? み、未来みくちゃんにか、彼氏さんが出来たの!?」

「う、うっそー!? 意外……というか未来ちゃんってそういうの興味ないと思ってたんだけど!」

「い、いやいや、私もよく知らないんだよ? ただ……なんか仲の良い男の人がいるみたいだったから……」


 お年頃なのか、恋愛話にめちゃくちゃ食い付きの良い双子ちゃんたちに一歩後退ずさりつつ苦笑する。

 いるみたい、などと曖昧な表現をしたのは、昨夜お姉ちゃんと話したとき、結局私は〝お姉ちゃんと奉仕ホーシし合う関係にある男の人がいる〟以上の情報を得ることが出来なかったからだ。……というより、この情報一つでもはや私の脳みそは機能停止寸前まで追いやられ、それよりの話を聞くという勇気が出なかった、という方が正しい。

 しかもそのせいで昨日は悶々としてなかなか寝付けず、今朝はもう少しで遅刻するところだったくらいだ。


「え、ええっと……僕の知る限り、未来に恋人はいない筈で……で、でも彼女と仲が良い男子、ということなら心当たりがなくもないんだけれど……」


 咳き込みから回復した様子の真太郎さんが、少しだけフラフラしながら立ち上がる。


「い、一応聞かせてほしいんだけれど……そ、その相手について、未来はなんと言っていたんだい?」

「えっ? ええっと……」


 私は若干口ごもりつつ、チラッ、と双子ちゃんたちの方に目を向ける。

 い、いくらなんでもこの子達の前で「お姉ちゃんといかがわしい奉仕ホーシを毎日のようにし合ってるらしいです!」なんて言うわけにもいかないだろう。


「その……す、少し変な関係というか……わ、私も耳を疑うような関係らしいんですけど……」

「う、うん、大丈夫だよ、大体予想はついてるから」


 何故か若干遠い目をする真太郎さんに、私は「そ、それじゃあ」と前置きをしてから、わずかに声のトーンを落として言った。


「お姉ちゃんはその人のことを……げ、〝下僕〟だと、言ってました」

小野おのくんだ」


 知ってた、と言わんばかりに即答した真太郎さん。そしてそれを聞いて私も「あっ、そうその名前です!」と答える。


「昨日の夜、お姉ちゃんがその〝おのくん〟さんが電話をしていたみたいで……」

「!? あ、あの未来が、かい?」

「そうなんですよ! 私も何かの見間違いと思ったんですけど……」

「…………い、いや、彼ならあり得ない話では、ないね……」

「ほ、本当に何者なんですかその人!?」


 正直、私にとっては〝下僕〟がいる云々うんぬんと同等の驚きだったのだが。あのお姉ちゃんが、プライベートな時間を使ってまで〝他人ひと〟の相手をするなんて。


「(い、いやでも待てよ、私……)」


 私は思考する。

 今の口ぶりから察するに、真太郎さんもその〝おのくん〟さんとは知り合いのようだ。

 そして真太郎さんと言えば小学生や中学生の頃から、私を含む女の子達の視線を釘付けにしてきた人気者。姉の通う初春はつはる学園でも、一挙手一投足で女子の心を鷲掴みにしているらしい。


 そんな真太郎さんの知り合いの男の子なのだから……その〝おのくん〟さんとやらも、相当モテる人に違いない。

 流石に真太郎さんほどのイケメンではないだろうが――というより真太郎さんより格好いい人なんてこの世にいないが――、先ほども言った通り、うちのお姉ちゃんと真太郎さんは仲があまり良くないのだ。

 だからこそお姉ちゃんは、真太郎さんの次くらいに格好良いと思われるその〝おのくん〟さんと仲良くしているのではないだろうか。

 いや、そうに違いない。我ながら完璧な推理だ。


「え、ええっと、美紗みさ。小野くんのことなのだけれど……」

「――いえ、もう大丈夫です、真太郎さん」

「……えっ?」


 私は何か言いかけている真太郎さんの言葉を片手を持ち上げることで制し、そしてフッ、と軽く微笑む。


「〝おのくん〟さんのことは、もうすべて理解しましたので」

「いやまだ何一つ話していないけれど!?」


 私の発言にぎょっとしたようにツッコミを入れる真太郎さん。

 しかし私は腐ってもあのお姉ちゃんの妹、七海ななみ美紗だ。

 この灰色の脳細胞を持ってすれば、断片的な情報を組み合わせて真実に辿り着くことなど容易なのである。


「……あ、あの美紗? 君が未来みくと同様、すごく優秀なのは知っているけれど……でも君は昔から、なにかと思い込みが激しいところが――」

「いいえ、私の推理に間違いなどありません。ですから、真太郎さんの口から説明いただかなくても大丈夫です」

「い、いやでも――」

「それに真太郎さんだって〝なんていう〟を、自ら口にしたくはないですよね?」

「ぐはっ!?」

「お、お兄ちゃん!?」

「あ、兄貴が倒れた!?」


 私の言葉に、真太郎さんがまるで吐血でもしたかのように崩れ落ちた。私の心遣いに胸を打たれたのだろうか。ふふ、大袈裟なんだから。

 双子ちゃんたちが驚いて声を上げる中、私は颯爽さっそうと彼らに背を向け、そのままスタスタと歩き出す。

 恐らく真太郎さんは今、気遣いの出来る私に対して「なんて良い子なんだ」と思っているに違いない。もしかしたらあの場に留まり続ければ、頭の一つくらいは撫でて貰えた可能性すらある。

 しかし、だからこそここは退き時だ。恋愛というのは押し続けるのではなく、時には謙虚になることも重要なのである。


「(……それにしても〝おのくん〟さんか……)」


 私は先ほどの自分の推理を思い返しつつ考える。

 真太郎さんは、お姉ちゃんと〝おのくん〟さんは恋人ではないと言っていたけれど……しかし二人は教室でいかがわしいことをし合うような関係なのだ。

 今は恋人そうではない、身体カラダだけの付き合いなのかもしれないが……今後〝発展〟する可能性は十二分にあると思われる。


「(……これは……好機チャンスなのかもしれないわね……)」


 チラリと目線だけで振り返ってみれば、妹二人に身体を揺すられている真太郎さんの姿が目に入った。


 ――私は真太郎さんとお姉ちゃんが昔から不仲であることも、そして〝〟のことも知っている。


 そしてそれは私が――、越えなければならない〝試練〟の一つだ。

 だからこそ、これは好機チャンスなのである。上手くやれば〝七海美紗わたしの恋〟を大きく進展させ得るような。


「……まずは〝おのくん〟さんのことから、調べてみようかしら」


 私はそう呟くと、機嫌良く鼻唄なんて歌いながら、社務所しゃむしょの前ではしゃいでいる友人たちの元へと合流するのだった。

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