第七二編 電話の相手は誰?

「(ま、まさかお姉ちゃんの電話の相手って……お、男の子……!?)」


 恋人はおろか友人の一人もまともに作らず、高校でも孤高を貫いているであろうと思っていた姉のまさかの発言に、私は思わずその場に立ち尽くす。


 言うまでもないことだが、お姉ちゃんはモテる。それはもう、とんでもないくらいに。

 どう考えても異性、というか他人から好かれるような性格をしていないにも関わらず、その人間離れしているとさえ言える容姿のため、彼女に心を奪われる人は後を絶たなかった。

 それも男性に限った話ではない。彼女に真剣な恋心を寄せる女の子だって居るのだ。

 昨年度、つまりお姉ちゃんが中学三年生の時に複数の後輩女子から同時に告白されたという話は、今でも私の通う中学校の語り草である。……その時もお姉ちゃんはいつも通りに無視スルーしたらしいけれど。


 お姉ちゃんが言うには「七海未来わたしの容姿だけを見て好意を寄せてくるような安い人間に興味などない」らしい。まあ確かに、お姉ちゃんの性格ことを少しでも理解していれば、なかなか告白しようとは思えないだろうけれど。

 でも、それではお姉ちゃんに〝異性の友人〟は絶対に出来ないだろうと、私は思っていた。


 別に世の中の男性が全員、他人ひとを外見だけで判断するような人だというつもりはない。外見よりも中身を重視してくれる、素敵な人だってたくさんいるはずだ。

 だけど、残念ながらお姉ちゃんはそういう次元レベルじゃない。彼女ほど完成された〝美〟を誇る存在を相手に、いくら「外見よりも中身だ」なんて言い張ったところでなんの説得力も生まれないだろう。

 さらに厄介なことに、お姉ちゃんは〝自分が他人ひとに好かれるような人間ではないこと〟を自覚している。当然と言えば当然のことだ。彼女は他人ひとから少しでも興味を向けられないためにのだから。

 故にお姉ちゃんは、本当に〝外見よりも中身〟だというなら七海未来じぶんを選ぶ理由がないと思っているのである。


〝外見〟で寄ってきても駄目。〝中身〟で寄ってきても駄目。

 それはつまり、彼女に好意を持って近付こうとした時点で詰んでいる、と言い換えてもいい。

 かといってお姉ちゃんに敵意を持っている人が居たとして、そんな人がお姉ちゃんと〝友達〟のような良い関係を築けるはずもない。

 結果、お姉ちゃん自身が変わりでもしない限り、彼女に〝異性の友人〟なんてものが出来ることはあり得ない。

 少なくとも、私はそう思っていた……のに。


「――小野おのくんの方こそ、年末年始はどう過ごすつもりなのかしら?」

「(なんか予定聞いてる!? あのお姉ちゃんが!?)」


「――そ、そう……。……ごめんなさい」

「(なんか謝ってる!? あのお姉ちゃんが!?)」


「――貴方さえ良ければ、本郷ほんごうに私のおすすめの本を持って行かせましょうか?」

「(なんか気遣ってる!? あのお姉ちゃんが!?)」


 信じられない光景の連続に、私は愕然がくぜんとしていた。

 ……にわかには信じがたいが、話を聞く限りお姉ちゃんとお姉ちゃんの電話相手である〝おのくん〟さんはかなり親しい間柄であるように思われる。

 い、いったい何者なんだ、〝おのくん〟さんは。妹の私が言うのもなんだが、うちのお姉ちゃんと親しくなるなんてちょっとした魔王討伐よりも難しいだろうに。


「(し、しかもお姉ちゃん……なんか楽しそうだし……)」


 通話しているお姉ちゃんの姿を見て、私はそう感じていた。

 いや、別に笑っているとかそういうわけではない。いつも通り、人を寄せ付けない無表情のままである。

 だが会話の半分を「そう《無関心》」「そうね《肯定》」「いいえ《否定》」だけで済ませるような彼女が、あんな風に話すこと自体が珍しい。

 そもそも普段のお姉ちゃんであれば、仮に電話をすることがあっても精々三〇秒で終わる。たまに私が電話を掛ける時だって、用件だけを聞き終えたら即通話終了だ。まあ、家でも顔を合わせる肉親との通話が短いというのは、別におかしいことではないのだろうが……。


「――ええ。それじゃあ」

「!」


 と、私が色々と考え込んでいるうちに、どうやらお姉ちゃんは通話を終えたようだった。携帯電話で時間を確認してみると、現在時刻は二三時を少し回ったところである。

 私はお姉ちゃんが携帯電話を机の上に置いたのを見てから、「お、お姉ちゃん……?」と若干遠慮がちに声をかけた。


美紗みさ……? どうかしたの?」

「う、ううん。その……な、なんか話し声が聞こえたから……」


 流石に「盗み見してました」などと言うわけにもいかず、私はあたかも「今部屋の前を通りかかりました」という風を装う。……正直かなりこすい演技だが……幸いなことにお姉ちゃんは、そんな私に特に疑問も抱かなったようだった。


「今、少し電話をしていたから、その声だと思うわ」

「へ、へぇ? お姉ちゃんが電話なんて珍しいね? あ、相手は誰?」


 我ながら酷い三文芝居である。ちなみに私は、嘘をつくのが下手だと言われがちなタイプの人間だった。

 しかしお姉ちゃんはやはりそんな私の様子を気にしたふうもなく、ただ静かに机上の携帯電話に瞳を向けて答える。


「別に、大した相手ではないわ。ただの……下僕のような相手よ」

「いや、ただの下僕ってなに!?」


 思わずぎょっとして声を上げる私。

 げ、現代社会において〝ただの下僕〟って存在しるの!? めちゃくちゃ闇が深そうなんだけれど!? 全然大したことある相手でしょ、それ!?

 しかしそんな私を見てお姉ちゃんは「いえ、勘違いしないで頂戴」と淡々と言ってくる。


「確かに彼は下僕に近いけれど、でも私も彼のために奉仕させられているから、あくまでも私たちは平等よ」

「ほ、奉仕ホーシっ!?」


 再びとんでもない言葉ワードが飛び出し、ボッ、と顔を赤くする中学三年生こと私。


「ほ、奉仕ホーシさせられてるの!? お、男の人に、お姉ちゃんが!?」

「? ええ。といっても私の仕事は彼と違って、表だってするようなことではないけれど」

仕事シゴト!? え、ええっ!? お、お金を払ってもらってるってこと!?」

「お金……? いいえ、そういうことではなくて……。……以前に口封じをされているから、あまり詳しいことは話せないのだけれど……」

「く、口封じっ!?」


 次から次へと不穏な発言をするお姉ちゃんに、いよいよ私の脳内には〝男の人に、口封じされなければならないような奉仕ホーシをさせられる姉〟という構図が出来上がっていく。

 な、なんということだ……! 男という生き物はみんな〝ケダモノ〟で、可愛い女の子がいたらすぐに飛びついて〝お持ち帰り〟しようとする、という話は知っていたが……まさかお姉ちゃんがその毒牙にかかってしまうなんて……!

 思春期の中学生には刺激が強すぎる関係性に、私は顔を真っ赤にしたままバン、とソファー前のガラステーブルに手をついた。


「だ、大丈夫なの、お姉ちゃんっ!? そ、そんなとんでもない関係……!?」

「とんでもない……? いえ、確かに珍しい関係ではあるかもしれないけれど……特に問題はないわ。私にも相応の見返りリターンはあるもの」

「り、リターン……? ハッ!」


 その瞬間、私の脳裏に電流が駆け巡る。

 そ、そうだ。お姉ちゃんはさっき、相手の人のことを〝下僕〟だと言っていたじゃないか。

 つ、つまり、いかがわしい奉仕ホーシをしているのはお姉ちゃんだけではなく……お姉ちゃんもまた、その〝下僕さん〟に奉仕ホーシをさせている!?

 し、しかもお姉ちゃんは、「私の仕事は、表だってするようなことではない」とも言っていた。

 それは逆に言えば、〝下僕さん〟はお姉ちゃんのため、表だっていかがわしい奉仕ホーシをさせられているということで……!?


「お、お姉ちゃん、まさかその人に……ひ、人目につくところで奉仕ホーシさせてるの……!?」

「? ええ、そうね」

「そんなさも当然のように!?」

「といっても学校がある日に、朝と昼の二回程度だけれど」

「そんなに奉仕ホーシさせてるの!? へ、平日は毎日ってこと!?」


 ショックのあまり、私はフラフラと目を回していた。まさかあのお姉ちゃんが、高校でそんな狂気染みた行為に身をやつしていたなんて……! そ、それとも高校生って、それが普通なの……!?


 ――私はよもやこの大晦日に、今年一番の衝撃が二度も更新されることになるとは、本当に思ってもみなかったのだった。

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