第七一編 電話と姉と私

 私の姉は、あらゆる面において〝完璧〟だった。


 まずは頭脳。

 学年一位なんて当たり前、進学先である中堅クラスの進学校、私立初春はつはる学園高等学校の入試試験もぶっちぎりの首席合格。

 中学時代には一年生から三年生までに受けたすべてのテストで満点を獲得し、高校入学以降もその偉業を継続し続けている。

 ……とはいえ、夏頃に嫌々ながら受験していた全国模試でさえ三科目六〇〇点満点中六〇〇点をとったと聞いた時は、我が姉ながら流石にドン引きしたものだったが。


 続いて身体能力。

 とある冗談みたいな護衛官からトレーニングを受けてきた彼女の身体能力は極めて高い。同年代の人と比べてもおそらくは断トツだろう。

 中学三年の頃にはスポーツ推薦の話も上がりかけたそうだが……姉の場合は運動が出来るというだけで好きなわけではないため、あっさりと断ってしまったようだ。勿体ない。


 そして姉を語る上で外せないのが、母親譲りのその容姿だ。

 なめらかな黒の長髪に、すべてを魅了するような黒の瞳。

 身長こそそれほど高くはないものの、いや、だからこそ精緻せいちに作り込まれた人形のような可愛らしさと可憐さを両立できているといえた。


 このように、私の姉はあらゆる面において〝完璧〟だった。


 ……いや――〝完璧〟


 頭脳も、身体能力も、容姿も。

 そして大企業の最高経営責任者を務める父に、世界で活躍する大女優である母を両親に持つという家柄も。

 どれか一つでも手に出来れば十二分に恵まれていると言えるであろうそれらを、彼女は持って生まれてしまった。

 思えば、それは彼女にとって〝不幸〟以外の何物でもなかったのだろう。


〝完璧〟すぎる彼女は、いつだって周囲から注目の的にされた。

 歩くだけで、話すだけで、食べるだけで、ただそこに居るだけで。

 見も知らぬ他人から、不躾ぶしつけな視線を向けられ続けてきた。

 家柄を除けば姉に匹敵するものなど何一つ持ち合わせていない妹の私でさえ、赤の他人から好奇の目を向けられることは少なくない。

 だからこそ分かる。姉の抱える〝見られること〟に対するストレスは甚大だと。

 何をしても、いや、何もしなくても目立つ彼女は、ただ外を出歩くだけでも多大な負荷を掛けられてしまうのだと。


 いつも笑顔で優しかった筈の姉が笑わなくなってしまったのは、いつからだっただろう。

 学校を休みがちになり、部屋に引きこもっては読書ばかりするようになってしまったのは、いつからだっただろう。

 あの綺麗な瞳の中から、〝他人ひとへの期待〟が消えてしまったのは、いつからだっただろう。


 ――彼女が孤独ひとりになったのは、いつからだっただろう。


 私の姉は、あらゆる面において〝完璧〟だった。

 けれど〝完璧〟だった彼女は、〝完璧〟だったが故に多くのものを失ってきた。

 笑顔も、時間も、期待も、友達も。


 そして恋だって、失ってきたんだ。


 そうだ、私の姉は――七海未来ななみみくは。

 未だに恋愛レンアイなんて分からないままなんだ。



 ★



「それじゃあ私も部屋に戻るね。お休みなさい、パパ、ママ」

「お休み、美紗みさ

「明日は朝早いんでしょう? 寝坊しないようにね」

「大丈夫だってば」


 大晦日の夜、私は両親の居るリビングルームを出て、自分の部屋へと向かっていた。

 久しぶりに直接パパママに会えた嬉しさで、ついつい話し込んでしまった。時刻は既に二三時近い。流石にもう寝なければ。

 というのも、明日の朝は友人たちと初詣はつもうでに行く約束があるのだ。年越しパーティーは「家族と過ごすから」と断ってしまったから、初詣で遅刻なんてするわけにはいかない。家族も大切だが、友人だって大切だ。

 ちなみに私が今いるこのやしきは、実家ではなく祖母の家であり、もちろん祖母もここで暮らしている。もっとも祖母は寝るのが早く、とっくに寝室に入ってしまったが。


「…………ん?」


 部屋へ向かう廊下の途中で、私はふと足を止めた。


「お姉ちゃんの、声……?」


 見れば、普段はしっかりと閉じられている姉の部屋のドアが半開きになっており、そこから声が漏れているようだ。


「(誰と話してるんだろ……? 本郷ほんごうは今日は来てない筈だし、服部はっとりは警備棟の統轄だし……)」


 不思議に思ってドアの隙間から室内をそっと覗いてみた。

 相変わらず、図書館さながらの量の本がぎっちりと詰め込まれた書架しょかが壁一面を埋め尽くしている部屋である。

 大きな地震でも起きようものなら凄いことになりそうだが――この部屋は元から書斎として作られた部屋。つまりあの書架も造作ぞうさくされたものだ。倒れてくるような心配はない。……いや、単純に蔵書量が多過ぎて埋もれ死にとかはするかもしれないけど。


 それはさておき、私はその部屋の中央に置かれた三人掛けソファーに腰掛けている人物――つまり私のお姉ちゃんへと目を向ける。

 純白の室内用ルームワンピースに身を包んだ彼女は、私から見て手前側にあるローテーブルの上に一〇冊ほどの本を積み上げ、いつものように読書をしているようであった。その膝の上には四六判しろくばんの単行本が開かれている。

 なんだ、話し声が聞こえたような気がしたけど、私の気のせいだったのかな――


「――そう」

「!」


 私が読書の邪魔をしないように立ち去ろうとしたその時、再びお姉ちゃんの声が聞こえた。


「……別に構わないわ。そもそも彼女には以前、私と貴方が屋上で過ごしているところも見られているでしょう」

「(えっ……? あっ……)」


 よくよく見れば、お姉ちゃんは携帯電話で通話をしているようだった。なるほど、今聞こえてきた声もそれか。

 ようやく納得した私は、今度こそ自分の部屋に戻ろうとして――


「(お姉ちゃんが電話っ!?)」


 ――バッと振り返り、お姉ちゃんのことを二度見していた。


「(いやいやいやいや、おかしいよね!? あ、あのお姉ちゃんが……本を読んでるところを邪魔したらめちゃくちゃ鬱陶しそうな目を向けてくるお姉ちゃんが誰かと電話とか!?)」


 何かの見間違いだろうかともう一度中を覗いてみるが……


「――そういう近しい相手ほど、恋愛の話はしづらいものではないの? 特に貴方の場合、桐山きりやまさんとも幼馴染みなのだし――」


 ……やはり見間違いなどではない。スマホを耳に当て、明らかに誰かと話している様子だった。


「(い、いったいどうしちゃったの、お姉ちゃん……!?)」


 大袈裟な反応と思われるかもしれないが、わたしからすれば驚愕に値する光景に他ならない。

 だってお姉ちゃんは、久しぶりにパパママと会えたという今日だって、食事を終えたらすぐに部屋に戻ってしまったというのに。…………いや、日頃からパパママも毎日のようにテレビ通話を掛けてくるから、お姉ちゃんがそれを面倒くさがっていたのは知ってるけどさ。〝積もる話〟みたいなものは何もないんだけどさ。


 でも直接会うのは久し振りなパパママでさえそんな扱いなのは事実だ。

 だというのにお姉ちゃんは今、読書中にも関わらずわざわざ電話に出ている。読書をする手を止めて――は、ないみたいだけど。読書しながら通話って、我が姉ながら器用な人だ。


「――失礼ね。私が人の心を理解しているのがそんなに不可解かしら」

「(と、というかお姉ちゃん、いったい誰と通話してるんだろう……?)」


 さっきから口調を聞いている限り、どうやら目上の人相手ではなさそうだ。まああのお姉ちゃんがわざわざ先輩とかと絡むはずもないけど。うちは家の方針でバイトを禁止されているから、上司とかいう線もない。

 ということは、友達……かなあ? 正直なところ、お姉ちゃんに女の子の友達がいるところなんて想像つかないんだけど……。

 などと、地味に失礼なことを私が考えていた時だった。


「――貴方とは少し話し合う必要がありそうね、小野おのくん」

「…………えっ……?」


 ため息混じりにそう口にしたお姉ちゃんに、私は思わず呟きをこぼしてしまう。


 ……オノクン? ……おのくん? ……おの、


「(えっ……ま、まさかお姉ちゃんの電話の相手って……お、男の子……!?)」


 ――私はよもやこの大晦日に、今年一番の衝撃を受けることになるとは、思ってもみなかった。

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