第六五編 ミックスケーキ

 その日の夜。

 結局この日は一日中自室のベッドに横たわるだけで消化されてしまった。たった二週間しかない貴重な冬休みのうちの一日をただ寝るだけで終えてしまったことが悔しくて仕方がない。まあ、仮に体調不良にならなくても、バイトで半日は潰れていたわけだが。


「……店の方は、大丈夫だったのかな……」


 俺は大して面白くもない記事が羅列されているスマホのネットニュースに目を走らせながら、そんなことを考えていた。店というのは勿論、〝甘色あまいろ〟のことである。

 自分で言うのもなんだが、俺は仕事に関しては真面目な方だ。というより、何気にバイトを休んだこと自体、今日が初めてだったりする。

 休んでみて初めて知ったのが、〝普段自分が埋めているシフトが空いている〟ということへの不安が強いということ。流石に当日中に代理のバイトを見つけることは難しかったため、今日の夕方からは店長と久世くせ、そして桃華ももかの三人で店を回さなければならない。

 店長は「昨日がクリスマスだった分、今日は暇だと思うから気にすんな」と言ってくれたが……もし本当にそうなら、そもそも今日のシフトを最初から二人にすれば良かったわけで。多少なりとも店に迷惑を掛けてしまったことに罪悪感を覚えてしまった。

 特に今回は完全な俺の自業自得なだけに、その意識が特に強い。

 かといって無理に出勤して、店長やお客さんに風邪を移しでもしたら大惨事になるため、俺は大人しく休むことにしたわけだが。


 時計に目を向けると、時刻は九時半を過ぎたところ。〝甘色〟の営業時間は九時までなので、そこから店内清掃などをしていれば、店を出られるのはこれくらいの時間になりがちだ。

 とはいえ客の最後の一人が九時過ぎまで居座ったり、逆に八時以降一人も客が来ない、なんてこともあるため、終業時間は割とまちまちなのだが。〝甘色〟では八時半以降の入店を断っていることもあり、平日は九時ちょうどに上がれることも珍しくない。


 そんなことを考えていると一階の方――ちなみに俺の部屋は二階である――から、ピンポーン、というチャイムの音が聞こえてきた。

 こんな時間に客だろうか? それとも宅配便か?

 俺がなんとなく耳を澄ませていた、その時である。


「こんにちは、おばさん。ご無沙汰ぶさたしてます!」

「あら、桃華ちゃん!? 久し振りねぇ!」


「!?!?!?」


 階下から聞こえてきた元気の良い少女の声と、どこにでもいるオバサン――つまり俺の母の声に、俺は思わず身を跳ねさせる。


「(も、桃華!? はっ、ちょっ、な、なんで!?)」


 いや、なんでもなにも、今日このタイミングで来たからには間違いなく見舞いのためなのだろうが……突然のことにパニックに陥った俺は、慌ててベッドの中から飛び起きた。

 ま、不味まずいぞ、基本的に整理整頓が苦手な俺は、当然のように部屋が汚い。こんな汚いところに桃華を入れるわけには……!


「桃華ちゃん、昔から可愛い子だったけど、すっごく綺麗になったねぇ。近所でもすごく評判よぉ?」

「え、ええっ、そ、そうなんですか!? 私なんかより、やよいちゃんの方が綺麗だと思うんですけど……」

「ああ、やよいちゃん! あの子も綺麗ねぇ! 大人っぽいっていうか、雰囲気がピシッとしてて! でも桃華ちゃんだって負けてないわよぉ?」

「あ、あはは、ありがとうございます」


 桃華と久々に会った母がありがちなおばちゃんトークを繰り広げるのを聞いて、全速力で部屋中の物を押し入れやらタンスやらに放り込みながら、「ナイスだ母さん!」と内心で親指を立てる。

 うちの母は典型的な〝よく喋るおばちゃん〟だから、一度話し出すとそれなりに長い。いける、これなら部屋を片付ける時間も――


「それで、今日はどうしたの、桃華ちゃん?」

「(な、なにィーーーー!?)」


 おいなにやってんだあのオバハンは!? なにあっさりと本題に入っちゃってるんだよ!?


「あっ、はい。実は悠真ゆうまが風邪を引いたと聞いたので、そのお見舞いに……」

「あらぁ、そうなの!? わざわざごめんねぇ、あんな悠真バカのためにぃ!」

「(バカはテメェだろこの野郎っ!)」


 俺はまだ片付けきれていない部屋を必死にかき回しながら、おのが母親に向けて青筋を立てる。

 ……正直今こんなに慌てているのは、普段からこまめに掃除をしていないせいなので、俺が母に対して怒るのは八つ当たりもいいところなのだが。

 しかし、当然俺にそんな論理的思考が出来るだけの余裕などあるはずもない。とにかく今出来ることは、己の限界を超える勢いで部屋を片付けることだけだ。


 するとコンコン、と俺の部屋の扉をノックする音が響いた。く、くそ、もう上がって来やがったのか!

 残念ながら部屋の片付き具合はいいとこ八割程度なのだが……ええい、この際構ってはいられない。綺麗とは言い難いが、見られないほどでもないはずだ。

 とにかく、急に休んで迷惑を掛けた上に、せっかく見舞いに来てくれた桃華を待たせるわけにはいかねぇ! 俺は慌てて自室のドアまで駆け寄ると、その扉をそっと手前に引いて――


「やあっ、小野おのくん! 風邪を引いたと聞いたんだけれど、体調はど――」

「なんでテメェが居やがんだよっ!!」


 ――と叫びながら、それはもう勢いよくドアを閉めた。

 同時に扉の向こう側から「ええっ!? ちょ、ちょっと小野くんっ!? どうして閉めるんだい!?」という男の声が聞こえてくる。

 いや、「どうして」はこっちの台詞なんだが。なんで? なんで今の流れであのイケメン野郎が目に飛び込んで来るんだよ。


「ゆ、悠真っ? あ、あの、風邪を引いたって聞いたからお見舞いに来たんだけど……め、迷惑だったかなっ……?」

「!」


 しかし、次いで聞こえてきた気遣わしげな少女の声に、俺はもう一度部屋の扉をそっと開く。

 扉の前にあったのは「余計なことをしちゃったかも……」とでも考えていそうな顔をした可愛い幼馴染み、桐山桃華きりやまももか

 並びに、「余計なことをしてしまっただろうか……」とでも考えていそうな顔をした腹立たしいイケメン野郎、久世真太郎くせしんたろうの姿だった。

 後者はどうでもいいが、流石に桃華の悲しそうな表情を見るわけにはいかない。


「い、いや、悪い。まさか扉の前に久世がえてるとは思わなくて」

「生えてる!? あ、あの小野くん、僕はいったいいつから植物になったんだい!?」

「ほらお前ってアレだろ? えーっと……なんだっけ、マンザラデモナイ、みたいな名前の……」

「ま、マンドラゴラのこと?」

「あっ、そう、それだ桃華」

「いやおかしいよね!? 僕とマンドラゴラになにか共通項ってあるかい!? というかよく今のでマンドラゴラのことだと分かったね桐山きりやまさん!?」

「えっ、だ、だってなんとなく語感が似てたから」

「そうでもないと思うよ!? さ、流石は幼馴染みというかなんというか……」

「馬鹿野郎、なんでも『幼馴染みだから』で片付けるんじゃねえ。お前と七海ななみにこんな真似が出来んのか」

「ぐはっ!? そ、それを言われるとすごく胸が痛いのだけれど……!」


 そうだろうな。だって絶対無理だもん、七海アイツ久世おまえ、対極にも程があるもん。


「……でも良かった、思ったより元気そうだね、悠真」

「! お、おう。まあ、今日一日中寝てたからな」


 柔らかい声と共に微笑みかけてくれる優しい幼馴染みに、俺は思わず赤面しそうになるのをなんとかこらえ、ぶっきらぼう気味に答える。……大丈夫だよな、顔、赤くなってないよな?


「本当に良かったよ、小野くん。昨日急に来れなくなったのも、体調が悪かったからなのかい?」

「うえっ? あー……ま、まあ、そんなところだな。ははは……」

「な、なんでそんなに目を逸らすんだい……?」


 久世の問いに空笑いしながら顔を背ける俺。あまりの不自然さに、久世が不審そうな目を向けてくるが……いくらなんでも「七海と二人でホテルに居ました!」なんて答えるわけにはいかない。事実は事実でも、絶対余計な勘違いをされるに決まっている。


「な、なんだかよく分からないけれど……あっ、これは一色いっしき店長からだよ。お見舞いの品だって」

「えっ、マジで? な、なんか悪いな、急に仕事休んだってのに――」


 手渡された〝甘色〟のお持ち帰り用のケーキ箱を受け取りながら、割と本心から申し訳ない気持ちになる俺は、しかしその箱の側面に店長の文字で書かれたメモが貼ってあることに気付く。


『馬鹿のくせに風邪を引いた小野っちへ!

〝風邪を引かない〟が唯一の取り柄である〝馬鹿〟という存在に生まれておきながら風邪を引いてしまうなんて、もはや特長らしい特長がなくなってしまったな! あまりにも哀れなので、これでも食って元気出せよ!

 一色小春こはる店長様より

 追伸:そういやお前、結局クリスマスも楽しめなかったらしいな、ザマーミロ!』


 …………。


「お、小野くん!? いや、気持ちは分かるけど落ち着いて!?」

「そ、そうだよ悠真!? こ、これは悠真がケーキを遠慮しないようにって、小春さんなりに気を遣って――」

「こんな気遣い要るかッ! あんのクソボケ三十路みそじ、人の心配も知らずに舐め腐りやがってッ!?」


 怒りのあまりぐしゃ、とケーキ箱を握り潰した俺のことを引き止めようと、久世と桃華が慌てて部屋に飛び込んでくる。

 俺は抵抗するものの、いくらなんでも二人がかりにかなうはずもなく、というか普通に久世一人相手にも力負けしてしまった。畜生、この高性能ハイスペックイケメンめ!

 しかしながら……たったの一日振りだというのに、こいつらとこんな風にギャーギャー騒ぐのはなんだか久し振りな気がして。


「ああーっ!? く、久世くんがケーキの箱落としたぁっ!?」

「い、いや違うんだ桐山さん!? お、小野くんに持たせたままだとせっかくのケーキがぐちゃぐちゃになってしまうと思って……!?」

「ひ、ひでぇ……! せ、せっかく店長が、俺のためを想って作ってくれたケーキが……!」

「小野くん!? お、落としてしまったのは本当に申し訳ないけれど、でもここぞとばかりに落ち込むフリをするのはやめてくれないかいっ!?」

「ああ、中身がスクランブルエッグみたいになっちゃってるよ……」

「久世、最低」

「そんなぁっ!?」


 ――俺はいつの間にやら風邪のことなど忘れ、ケラケラと楽しげな笑みを浮かべてしまっていたのであった。

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