第六二編 自己犠牲イルミネーション⑥

「久世くんが自分のことを伝えたいと思ってくれたみたいに――わ、私にだって……伝えたいことくらい、あるんだから」


 そう言って桃華ももかは、下ろした鞄の中へと手を入れる。

 渡すなら、今しかないだろう。


 ――〝このプレゼント〟はきっと、今この時に渡すためにあるだろう――



 ★



 時をさかのぼり、桃華と真太郎しんたろうがレストランでの食事を終え、中央公園のイルミネーションへ移動を始める頃。

 その少年は、とある高級ホテルの最上階にある一室にいた。

 全面にぎ目のないガラスが嵌められた窓から見下ろせる聖夜の街並みは、高速道路を走る無数のヘッドライトと、街中を彩る鮮やかな光にちいている。


「――頑張れ、桃華」


 彼はそんな光景を暗い瞳で見つめながら、今にも消え入りそうなほど小さな声で呟いた。その声音には強い不安と焦燥がにじんでいるようにも思える。

 すると彼のいる部屋の中に、一人の美しい少女が入ってきた。


「……小野おのくん。いつまでそうしているつもりかしら。早くシャワーを浴びなさいと言ったでしょう」

「…………」


 その声に少年――小野悠真おのゆうまが振り返る。

 決死の寒中水泳に臨んだ後のその髪は、半ば乾き始めているものの湿っぽく、さらには顔や腕など、そこら中に泥汚れが付着してしまっていた。

 そしてそんな彼の様子を見てため息をついた美しい少女――七海未来ななみみくは、その手に持っていたタオル類やバスローブを脇に置き、両肘を抱えるように腕を組む。


「まったく、酷い顔ね。そんな格好の人と同じ部屋に居る私の身にもなってほしいのだけれど」

「……………………悪い」

「……風邪を引いても知らないわよ」


 いつものように噛みついてこない悠真にペースを崩されたかのように、未来はもう一度息をついて、部屋の中央付近に据えられた高級ソファに身を預けた。

 二人きりの空間に、沈黙がおりる。


「…………七海」

「……なにかしら」

「あのプレゼントは……どうなったんだ?」

「またその話? さっき、きちんと説明したでしょう」


 悠真が再び窓の外を眺めながら、桃華が新太郎へ贈るプレゼント――彼が真冬の川へ飛び込んでまで拾い上げた小箱――の行方ゆくえに言及すると、既に二度同じ答えを告げている未来は呆れたように言った。


「尽くせる手は尽くさせたわ。そこからどうなったかは、私にも分からない。いずれ本郷ほんごうから連絡が来るはずだから、それを待つ間にシャワーを浴びてきなさい――これで三度目よ。四度目は言わせないで頂戴」

「…………悪い」


 外の景色を眺めたまま謝り、しかし悠真はその場から動こうとはしない。そしてその表情は、やはりとても暗いものだった。

 そんな彼の様子に、未来がいつも通りの無表情な瞳の中に、どこか心配そうな色を覗かせる。


 ちなみにここは、未来の父親が最高経営責任者を務めるセブンス・コーポレーショングループの傘下に位置するシティホテル、そのスイートルームだ。基本的な設備からアメニティに至るまで、この近辺では間違いなく最高クラスの環境サービスが整えられている。

 二人がいる部屋の奥には全面ガラス張りのシャワールームと大きなバフタブがあり、シャワーを浴びながらでも美しい夜景を楽しむことが出来るようになっていた。……正直、未来のような人種にはまったく理解できないものだったが。いくら夜景が綺麗だろうと、シャワールームまでガラス張りにする意味が分からない。

 そもそもは川へ飛び込んだ直後の悠真を放置するわけにも行かず、そして丁度このホテルがすぐ近場にあったから入っただけだったのだが……これなら格安のビジネスホテルの方が、まだ状況に即していたかもしれない。


 そんなことを考えていると、未来の携帯電話がぶるりと震えた。見れば、彼女の護衛官を務める本郷琥珀こはくからの着信である。


「ご苦労様、本郷。それで、どうなったかしら?」

『はい、お嬢様――』


 ようやく掛かってきた電話に悠真が勢いよく振り返る中、未来は己の従者から、彼女に一任した仕事の首尾を聞き始めた――



 ★



 ――そのプレゼントは、桃華の鞄の中からあっさりと顔を出した。最初から、ずっとそこにあったかのように。

 いや、当然のことだ。彼女が今朝、バイトに行く前に自分の鞄に詰めたのだから。

 故に、彼女にはなんの疑問もない。あるはずもない。

 巻かれたリボンも、施されたラッピングも、箱の形も綺麗なままで、そのプレゼントが鞄から出てくることなどのことだった。

 その影で一人の少年が決死の奮闘を繰り広げたことになど――気付けるはずもなかった。


「――久世くん。これを、受け取ってください」


 だからこそ桃華は、スムーズにその言葉を口に出来た。

 昨日の夜、眠りにつく前に考えていた台詞を。プレゼントを買いに行ったその日から、考え続けていた台詞を。

 余計な雑念も心配もなく――当然プレゼントを失くすようなこともなく、この時を迎えることが出来た。


「こ、これは……?」


 差し出された小箱を受け取る真太郎。

 桃華はそんな彼を前に、いた両手を後ろで組みながら、赤く染めた頬と共に告げた。


「わ……私からの、クリスマスプレゼント……です。その、く、久世くんが、喜んでくれるかなと思って……」


 恥ずかしそうに瞳を伏せる桃華と手の中のプレゼントを交互に見ながら、真太郎は「あ、ありがとう」と答える。


「開けてもいいかい?」

「う、うん。どうぞ」


 桃華の了承を得た上で、真太郎が小箱に掛けられたリボンをすっと引き抜く。

 ラッピング用紙を丁寧にがし、中から出てきた箱の蓋を開くと、そこには一つのマグカップが入っていた。


「そ、その……一応、お揃いなんだ、それ」


 赤い顔のまま、桃華が言う。


「あ、あんまりいものじゃないし、迷惑かもしれないけど……も、貰ってくれるかな?」

「…………」


 桃華の言葉を聞きながら、真太郎は箱の中からマグカップを取り出す。

 それは、いわゆる〝オリジナルマグ〟。自分で描いたイラストや文字が、そのまま側面にプリントされたマグカップだった。

 もっとも真太郎の手の中にあるのは、真っ白なマグカップの中央にポップなイラストが入っているだけのシンプルなもの。後はカップの取っ手部分に、やたら達筆な文字で〝久世真太郎〟と刻まれている。

 ハッキリ言って、ポップなイラストと達筆な文字が最高に不似合いミスマッチだった。端的に言えば〝とてもダサい〟。


「…………」

「……あ、あの、久世くん?」


 言葉を発しない真太郎に、不安になった桃華がその表情を覗き込む。


「……………………ぷっ」

「…………えっ?」

「ぷっ、くくっ……! アハハハハハハッ!」

「く、久世くんっ!?」


 真太郎がいきなり笑いだしたことに、動揺を隠せない桃華。

 それもそのはず、彼がこんな風に笑うところを、彼女は見たことがなかった。


「あ、アハハハッ! ご、ごめん、ごめんね、桐山きりやまさん、ちが……フフッ、違うんだ、アハハハッ!」

「いやなにがっ!? な、なんでそんなに笑うの!?」

「アハハハハッ! アハハハハハハッ!」

「爆笑されてるんだけど!? な、なんなの、私のプレゼント、なんかおかしかった!?」

「ち、ちが……! 違うんだ、ちがう……フフッ、アハハハハッ!」

「絶対違わないよね!? 私のプレゼント見た瞬間、笑いをこらえられなくなってるよね!? も、もう、久世くん!?」


 頑張って渡したプレゼントに爆笑されて、ぷくっと頬を膨らませる桃華に、ようやく笑いがおさまったらしい真太郎は、慌てて「ごめんごめん、本当にごめんね」と謝罪する。


「違うんだよ、桐山さん。このプレゼントが変とかじゃ…………うん、変とかじゃ…………なくてね」

「なにその超微妙なは!? へ、変だと思ってるよね、完全に!?」

「い、いや、確かにこ、個性的だけどね? でも、僕は別にこのプレゼントのことを笑ったわけじゃないんだよ」

「じゃ、じゃあなんであんなに笑ったの!?」


 桃華が思わず真太郎に詰め寄ると、彼は「いや、だってさ」と、気を抜けば再び込み上げてきそうになる笑いを堪えつつ、マグカップの側面――そこにプリントされているイラストを指差した。


「――この懐かしいイラストが、また見られるとは思わなかったんだよ」

「え?」


 そう言われて、桃華は改めて自分の贈ったプレゼントを見る。

 そこに描かれているのは、恐らくは絵の心得などなにもない人が描いたであろう、下手くそなケーキやドーナツのイラスト。

 このマグカップを作るにあたり、幼馴染みの少年に「〝甘色(あまいろ)〟のロゴとかってあるかな?」と聞いたところ、渡されたものだった。


「こ、これって、〝甘色〟のロゴじゃないの!?」

「うん、違うよ。それは――僕が〝甘色〟で働くきっかけになった一枚に、描かれていたものなんだ」


 それは真太郎がアルバイト先を探していた頃、一年一組の教室の前で偶然拾った〝アルバイト募集〟の用紙。

 このマグカップに描かれているのは、その紙に描かれていた下手くそなイラストそのものだった。


「たしか、一色いっしき店長が描いたものだね。懐かしいなぁ。まだ二ヶ月くらいしか経っていないのにね」


 改めてマグカップを見て、そしてクスクスと笑う真太郎。

 そのとても楽しげで嬉しそうな表情を見て――桃華は親友である金山かねやまやよいから聞いた、〝久世真太郎の欲しいもの〟のことを思い出す。


 ――〝お金では買えないもの〟。それが、やよいが困惑した表情とともに持ち帰ってきた情報だった。当初はなんのことか分からず、途方にくれたものだ。

 結果として桃華は、それを〝市販では手に入らないもの〟という意味に捉え、〝甘色〟のオリジナルマグを作るという結論に落ち着いたのだが……しかし、今日の真太郎の話を聞いて、あの言葉の真意が分かったような気がした。


 なんのことはない。真太郎が欲しかったのは〝居場所〟だったのだろう。

 父の死を契機としてバレーボール部という〝居場所〟も、そこにいた〝仲間〟も失ってしまった彼は、新たな〝自分の居場所〟が――あるいは〝仲間〟が、欲しかっただけなのだろう。

 それらは確かに、〝お金では買えないもの〟だった。


「……久世くんは、私たちのことを〝大切な仲間〟だって、そう言ってくれたよね」

「え? う、うん」


 急にトーンを落としてたずねてきた桃華に少しだけ戸惑いつつ、真太郎が頷く。


「でもそれは、私たちも同じだから」

「……!」


 目を見開く真太郎に、桃華は真剣な眼差しを向けながら言う。

 今、彼に伝えるべき想いを。今でなければ伝えられない想いを。

 それは告白の言葉――などではなく。

「好きです」でも「付き合ってください」でもなく。

 今の彼女が純粋に、胸を張って言える言葉だった。


「私たちだって、久世くんのことを大切な仲間だと思ってるから。だからそのことだけは、忘れないでください」


 そう言い切って、桃華は真太郎のことをまっすぐに見据える。

 緊張の色など微塵もないその真摯しんしな瞳に、真太郎はいつも通りの――柔らかな笑みを浮かべて頷いた。


「ありがとう、桐山さん。僕は〝甘色〟で働いていて良かった。……今、心からそう思うよ」


 穏やかな、それでいて優しい表情でそう言った真太郎の姿に釣られたように、桃華もまた、花のような笑顔を咲かせる。

 告白には至らずとも。胸の中に秘めた恋慕おもいを伝えることは、まだ出来なくても。

 それでもこの聖夜に好きな人の笑顔を隣で見られることが――好きな人が笑顔でいてくれることが、どうしようもないほどに嬉しくて、幸せで。

 だから桃華はこの日のことを、この〝最高のクリスマス〟の日のことを、この先もずっと忘れないだろう。


 どこかの時計の針が、二一時を差した頃。

 笑い合う二人の視界の隅で、美しいイルミネーションの光がキラキラと輝いていた。

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