第六一編 自己犠牲イルミネーション⑤

「実は僕たちは、父を亡くしたんだ。今年の夏に」

「……!」


 そう言った真太郎しんたろうの横顔に、桃華ももかは驚きの目を向けた。

 しかし彼はそんな桃華に顔を向けることなく、この屋上から見渡せる中央公園のイルミネーションと、そこに集う人々の姿を瞳に映したまま、静かな声で続ける。


「元々父は身体が弱くてね。うちが元々父子ふし家庭だったこともあって、結構無茶な働き方をしていたみたいなんだ。そしてちょうど夏休みの中頃に身体を壊して、そのまま……」

「そ、そんな……」


 真太郎の言葉に、桃華は己の胸を締め付けられるような気持ちになっていた。

 そして同時に、先ほどの真太郎の妹たちの言動に得心する。

 明穂あきほが泣いていたのは、去年のクリスマスを共に過ごしたという父のことを思い出してしまったから。

 そしてそんな明穂に春菜はるなが怒っていたのは、たとえ泣いたって父は戻ってこない、ということを理解しているからだろう。

 つまりこの屋上は、真太郎と双子の姉妹にとっては〝亡き父との思いでの場所〟というわけだ。


 桃華は今までそんなこと、まるで知らなかった。気付きもしなかった。

 桃華が真太郎に恋い焦がれたのは今年の夏前、春が終わるくらいの時期だ。

 彼が球技大会のバレーボールで活躍する姿に、桃華は強く憧れた。

 何度も他の女子生徒達にまぎれて教室まで顔を見に行ったし、その優しい笑顔を見る度に、その想いは強くなっていった。


 そして夏休みが明けてからも真太郎の笑顔は変わらなかった。

「また今日からあの笑顔が見られる」と、始業式の日の桃華は浮かれていたものだ。

 だが……その変わらぬ笑顔の裏で、真太郎は大きな悲しみを背負い込んでいたのである。


「じゃ、じゃあ久世くんが一〇月頃からバイトを始めたのは……」

「……うん、生活費の足しにするためだよ。本当は学校も辞めるつもりだったんだけど、先のことを考えたら高校くらいは出ておいた方がいいと止められてね。それでも部活の方は、流石に辞めるしかなかったんだけど」

「…………!」


 そう、真太郎はバレーボール部の一年生エースとして知られている。桃華が最初に彼のことを知ったのも、「バレーボール部にすごく格好いい人がいる」と聞いたからだった。

 だが言われてみれば真太郎は、バイト尽くしの生活を送っていると自称していた悠真ゆうまと同じか、それ以上に〝甘色あまいろ〟のシフトに貢献している。昨日のイヴだって、高校生バイト組の中でも彼だけはバイトをしていた。普通に考えても、部活をやっている暇などないはずだ。

 しかし今でも真太郎は時折体育館に出入りしているし、バレーボール部の友人や先輩達とも懇意な様子だ。だから桃華は「今は部活よりもバイトを優先しているのだろう」程度に思っていたのだが……。


「事情が事情だったからね。顧問の先生もバレーボール部のみんなも、僕に気を遣ってくれたんだよ。表向きには〝休部〟ということにしてくれているし、今でもバイトがない日には、気分転換にバレーに誘ってくれる。……本当に、感謝してもしきれないよ」

「…………」


 そう言った真太郎の瞳には、強い後悔があるように見えた。

 エースとして期待や信頼を得ていた反動か、それとも良き仲間達を置いて部を去ったことに対する遺憾いかんの意か、あるいはその両方だろうか。

 どちらにせよ真太郎は、父の死を境として大切な居場所を一つ失ってしまったのではないだろうか。

 そんな悲しい想像に桃華がうつむいていると、それに気付いた真太郎がハッとしたように顔を揚げた。


「ご、ごめんね、いきなりこんな暗い話をして。別に空気を重くしたかったわけじゃないんだ」


 そう言って苦笑する彼に、しかし桃華は、簡単に笑顔を向けることなど出来なくて。


「……元々、学校の先生とバレーボール部の仲間たち、あとは一色いっしき店長くらいにしか話していなかったんだ。余計な気を遣わせるんじゃないかと考えると怖くて、友達にも話せていない。だから小野おのくんや桐山きりやまさんにも、話さないままでいようかとも思った」

「……それじゃあ、どうして?」


 桃華には、どうして彼が今、その話を自分にしてくれたのかが分からなかった。

 妹の涙の理由を教えるためだろうか。 それとも亡き父との思い出の場所を訪れ、話さずにはいられなくなったのだろうか。

 そもそも彼はどうして、桃華じぶんをこんな大事な場所へ連れてきたのだろう。

 真太郎はそんな疑問符を抱える桃華に、まっすぐに瞳を向けて言った。


「不誠実だと思ったんだ。小野くんや桐山さんにはとてもお世話になっているのに、これまで僕は、自分のことを何も話していなかったから。だから、このままではいけないと思った。ワガママかもしれないけれど、大切な仲間である君たちには僕のことを伝えておきたいと、そう思ってしまったんだ」


 それは、真面目な彼らしい言葉だった。

 もしかしたら真太郎は、ずっと二人にこの話をしたかったのかもしれない。話したくても、話せずにいたのかもしれない。

 彼は今、桃華と悠真ゆうまの二人を指して〝大切な仲間〟だと言った。〝友達〟にも話せていないことを、〝仲間〟である二人には伝えておきたいと、そう言ってくれた。

 それは、今の真太郎の居場所が〝甘色あまいろ〟だからだろうか。

〝バレーボール部〟という居場所を――〝仲間〟を失った彼にとって、あの喫茶店が最後のり所だからだろうか。それは桃華には分からない。

 けれど。


「ほ、本当にごめんね、桐山さん。さ、さあ、公園にいる人も少しずつ減ってきたみたいだし、そろそろ下へ降りようか。出店なんかも出てるみたいだし、せっかくだから色々回ってみよう」


 沈黙する桃華を見てなにを思ったのか、慌てたようにこの場から去ろうとする真太郎。

 しかしそんな彼の背中に、桃華が「待って、久世くん」と声をかけた。


「――言いたいことだけ言って、そのまま終わりにしようとしないでよ」

「……え?」


 真剣な顔つきで、ともすれば自分のことを睨み付けているかのような表情でこちらを見る桃華に、真太郎は思わず足を止める。

 それはどこか、悠真が言いそうな台詞だったから。

 彼女の幼馴染みの少年が、いつだって真太郎じぶんに無遠慮なあの少年が、口にしそうな言葉だったから。


「久世くんが自分のことを伝えたいと思ってくれたみたいに――わ、私にだって……伝えたいことくらい、あるんだから」


 桃華はどこか頬を赤く染めながら言うと、肩に掛けている鞄をそっと下ろす。


 ――桐山桃華の〝最高のクリスマス〟まで、あと五分。

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