第四八編 Piece of cake
「おう、もう帰ってもいいぞ」
「…………こんな人の多いところまで呼び出しておいて、随分と身勝手なのね」
七番テーブルに着く
「悪かったな、無理言って。奢るから、好きなの選んでくれよ」
「……容赦しないけれど?」
「いいよ別に。……ご、五〇〇〇円以内なら」
「安い報酬ね。まあいいわ、それで妥協してあげる」
「た、助かります」
本を側に置いてメニューに目を通していく七海に、俺は正直ホッとしていた。
というのもこの女は、割と良い値段をとる〝甘色〟に毎日のように来店し、そして毎日のように三、四〇〇〇円は平気で使っていく真正のお嬢様だ。
そんな相手にもし「好きなだけ奢ってやる」なんて言おうものなら、平然と万単位の金を持っていかれかねない。良心的に踏みとどまってくれるものと信じたいが……高校生の五〇〇〇円を「安い」と言ったこの女は油断できないだろう。素で「一〇〇〇〇円程度なら構わないでしょう?」とか言い出しそうだ。金持ち怖い。
「――せっかくだから、小野くんのオススメでもお願いしようかしら」
「……は? 俺の? いや俺、お前の食の好みとか知らねえんだけど」
「適当に
そう言って俺にメニュー表を渡し、後は任せた、とばかりに本の世界へ戻っていく七海。
……適当に見繕えと言われても、もしここで変なもんでも食わせようものなら、後から
……しばらくひとりで悩んだ末、俺は軽く手を振って、大学生アルバイトの
「すみません新庄さん、注文お願いします」
「なんだよ
「色々あって……少し
「……クリスマスに貢ぎって、お前高校生離れした遊び方してんな」
新庄さんは若干引きながらも、常連客である七海に気を遣ったのか、それ以上は何も言わずに注文伝票を取り出した。
「まあいいや。で、何にする?」
「えーっと――し、新庄さんのオススメをください」
「なんでそうなんだよ。自分で選べや」
「あっ、予算は五〇〇〇円くらいでお願いします」
「しかも予算多っ! い、言っとくけど〝
彼の言葉通り、いくら〝
だが七海はモデル並みの手足の細さに反し、かなり胃袋の容量が大きいらしい。思い返せば、俺が彼女を〝七番さん〟と呼んでいた頃から、ケーキセットを代表とするハイカロリーな品々を一人で易々と完食していた。〝甘いものは別腹〟とか、そんな可愛いレベルではない。
「……大丈夫です。あっ、飲み物はブラックコーヒーでお願いします」
「わ、分かったけど……まあ、ちょっと待ってな」
新庄さんは俺にそう言い、七海の方には丁寧なお辞儀をしてから、厨房の方へと戻っていった。
「……丸投げしたわね」
「うるせえ」
本のページを捲りつつツッコんでくる七海に、俺はふいっと視線を逸らす。
……違うぞ。あれは断じて新庄さんに責任転嫁するためなどではなく、実に七年近く〝甘色〟に勤めている彼の知識に期待しているからこその、言わば信託だ。適材適所、と言い換えてもいいくらいだろう。
「……つーかお前、いっつもケーキとか食いまくってるけど、よく太らねえよな。体質か?」
「そうね。私も妹も、昔からどれだけ食べても太らないわ。母からの遺伝だと思うけれど」
「ふーん。やっぱ、お前の母さんも綺麗な人なのか?」
「…………母は既婚者よ」
「いや知ってるわ。別に他意があって聞いたわけじゃねえよ」
なんか以前に彼女の妹について聞いたときもこんな風なことを言われた気がする。なんなの、俺のことをなんだと思ってんの、コイツ。
……しかし、七海の母さんか。正直想像がつかない。
七海の顔立ちやスタイルの良さから、彼女の父母のどちらか、あるいは両方が優れた容姿を誇るのであろうことは推測できるが……。
「……そういや、お前と
「いいえ。私の両親は都心に住んでいるから、久世くんの家とは関わりがないわ。あるのは私の祖母の方よ」
「お
「ええ。言っていなかったかしら。私が今住んでいるのは実家じゃなくて、祖母の家なの」
「えっ、そうだったの?」
俺はてっきり、セブンス・コーポレーションの令嬢として、タワーマンションのワンフロアをぶち抜いたような部屋に住んでるものかと思っていた。いや、完全に金持ちに対する偏見だけで構成された想像だけども。
とはいえ
そうこうしているうちに、新庄さんが「お待たせしました」という言葉とともに、コーヒーとデザート類の載ったトレンチを運んできてくれた。
七番テーブルの机の上を、定番のショートケーキやカスタードプリン、チョコレートパフェ、クリスマス限定のストロベリーパイなど、多種多様なデザートたちが埋め尽くしていく。
俺がわずかに震えながら注文伝票を見れば、お会計はほぼ五〇〇〇円ジャスト。……俺がクリスマスバイトで稼いだ金の大半が、一瞬にして消えた瞬間である。
とはいえこれは、昨日七海に電話をし、かなり無理を言って〝甘色〟まで引っ張り出した俺の支払うべき対価だ。後悔はない。
「……さ、さあ、一思いに食ってくれ……!」
「…………そんな涙目に震える声で言われると、流石に食べづらいのだけれど」
「え、遠慮なんて要らねえさ。俺が今日、忙しすぎてテンパりながらも必死に稼いだバイト代……言わば汗と涙の結晶とも言うべきケーキたち……ぞ、存分に堪能してくれ……!」
「本当に食べづらいのだけれど」
七海は小さく息をつくと、
「……? な、なんだよ?」
「……食べなさい」
「は? い、いや、別に食いたいとかじゃないんだが……というか、ついさっきも事務所でケーキ食ったし……」
「いいから食べなさい。どちらにしてもこんな量、一人では食べきれないわ」
「いや絶対いけるだろお前は」
たしかに一般的に見ればかなりの量だろうが、そうは言っても
「もう一度だけ言うわ、『食べなさい』。これは命令よ。……それとも、貴方の無理な願いを聞き入れてあげた私の命令が聞けないかしら?」
「ぐっ……」
それを言われると弱かった。いや、俺とてケーキを食いたくないとか、そういうわけでもないのだが……。
「――貴方は昨日言ったわね、小野くん」
「え?」
「今日のクリスマスを、『俺と一緒に過ごしてくれないか』と、そう言ったわね」
「あ、ああ」
七海の問いに、俺はコクリと頷く。
でもあれは額面通りの意味ではなく、俺と久世と桃華、三人での食事会から、邪魔な俺を間引くための〝言い訳〟として、「俺と過ごすフリをしてもらえないか」という意味だ。もちろんそのことは、昨日の段階で七海にも説明済みなのだが。
しかし彼女はサングラス越しに俺を見つめながら言う。
「ケーキも食べないクリスマスなんて、私は認めない。小野くんから誘ってきたのだから、流儀は私に
自らもストロベリーパイの皿を手前に寄せ、ナイフとフォークを手にした七海は、そのままサクリ、とパイ生地に刃を入れた。
「――貴方にもせめて数分くらいは、この
「…………!」
静かな声でそう告げた七海に、俺はわずかに目を見開く。
……そうか、俺は気を遣われているのか。
――
「――甘いな、このケーキ」
静かにショートケーキを口にしながら、俺が言う。
「…………そうかしら」
「……ああ。本当に、嫌になるくらいだ」
クリスマスの夜に、幸せそうなカップルで満席の喫茶店で、社長令嬢の美少女に見守られながら、甘いケーキを口一杯に頬張る。
平凡な俺なんかには過ぎた幸福だろう。本来であれば、夢や幻と見紛ってしまうほどに。
けれど、これは現実だ。頬などつねるまでもなく分かる。
――次第に巨大化していくこの
時計の針が、六時を指す。同時に俺はフォークを置いた。
「……行くのね」
「ああ。……ごちそうさま、ありがとう」
こちらを見ぬまま聞いてくる七海に短く告げ、俺は伝票を手にして席を立つ。
「相変わらず無礼ね、小野くん。……一度フォークを入れたのなら、その一切れくらいは食べ切るべきだわ」
俺が半分残したケーキに向けて、七海が小さく呟いたような気がした。
「――今の貴方にとっては、簡単なことではないのかも知れないけれど」
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