第四六編 クリスマス前日譚③

「お疲れ様、久世くせちゃん。今日も頑張ってくれてありがとうね」

「いえ、一色いっしき店長こそお疲れ様でした」


 クリスマスイヴの夜、本日の業務を終えた喫茶店〝甘色(あまいろ)〟の事務所にて、久世真太郎くせしんたろうは店長である一色小春いっしきこはると言葉を交わしていた。

 事務机の上には、一色の淹れたコーヒーがゆらゆらと湯気を立てている。


「……それにしても、今日はかなり忙しかったですね」

「まあね。予約販売のクリスマスケーキのせいもあるけど、世間じゃイヴもクリスマス当日もあんまり変わんないからな。……ちくしょう、カップルどもが浮かれやがって……!」

「あ、あの、いきなりそんな憎悪に満ちた目をしないでください……」


 今にも血涙けつるいを流しかねないほどに悔しそうな顔をする独り身の店長の姿に、真太郎が若干引いていると、そこへ長身の、少し派手な外見をした男が入ってきた。

 彼は伸びた頭髪をボサボサと掻きつつ、「ふぃ~……」と気の抜けた声を出して、事務机に着いている一色のすぐ正面に置かれたパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。


「おう、真太郎。お疲れさん」

新庄しんじょうさん。お疲れ様です」

「おいこら、新庄ジョーシン。この小春店長様へのねぎらいはどうした?」

「おつ~」

「なめてんのか、この野郎」


 ふざけた態度で一色にヒラヒラと手を振るこの男の名は新庄千彰しんじょうちあき。〝甘色〟で高校生の頃からずっと働いている、大学生アルバイトだ。

 店長の一色と、開店当時から〝甘色〟に勤めているパートタイマーの女性を除けば、この店で一番の古株である。


「そういや店長。明日はクリスマスですけど、なにか予定とかあるんすか?」

「いや仕事だよ。 分かってて言ってんだろ」

「やっぱり〝聖夜〟ですもんね。愛する彼氏や彼女と楽しく過ごすのが〝勝ち組〟の在り方っすよね」

「遠回しにあたしを〝負け組〟だと言いたいのかお前は。つーかジョーシン、お前も彼女にフラれたとか言ってた負け組こっち側の人間だろうが」

「ああ、いえ。俺さっき、前々から目つけてたサークルの女の子からOK貰えたんで。生憎あいにく勝ち組あっち側の人間なんで」

「はあぁっ!? おいふざけんなよ!? 私、ジョーシン、小野おのっちは三人揃って寂しいクリスマス、略して〝サミシマス〟を過ごすとか決めた仲じゃないか!」

「決めてねえよ。つーか、さりげに悠真ゆうまも〝寂しい仲間〟に数えられてるんすね」

「フンッ、もうジョーシンなんか知るもんか! いいもんっ! 明日はあたしも小野っちと二人、このお店でイチャイチャ過ごしてやるもんっ!」

「マジでやめてやれよ。なんすか、その地獄みたいなクリスマスの過ごし方。悠真が可哀想すぎる」

「真顔で言うな! っていうかどういう意味だよ!」


 一色と気の置けないやり取りを繰り広げる新庄。

 こんな風にふざけてはいるが、アルバイトとしてもっとも長く〝甘色〟に在籍している彼はこの店の主戦力である。これだけズケズケと言いたいことを言い合えるのも、つちかってきた信頼感があればこそせることなのだろうと、真太郎は思っていた。


「だいたい悠真の奴は明日、真太郎と桃華ももかちゃんとメシ食いに行くらしいですよ」

「なにぃっ!? そ、それは本当かい、久世ちゃんっ!?」

「は、はい。少し前からそう決めていたので……」


 真太郎がそう答えると、一色は事務机の上で大袈裟に頭を抱えた。


「ば、馬鹿なッ……!? そんな、馬鹿なァッ……!?」

「そんな迫真の演技で驚愕するほどのことっすか」

「あの小野っちが……この半年間、彼女を作るどころか、まともに誰かと遊んだりしてる様子すら垣間見せなかった〝非リア期待の星〟、小野っちが……!?」

「〝非リア期待の星〟ってなんだよ。寂しすぎるでしょ、その称号」


 絶望に暮れる一色の姿に嘆息し、興味が失せたかのように取り出した携帯電話を操作し始める新庄。自由な上司ばかりの事務所内にて、真太郎は冷や汗を流しながら立ち尽くしていた。

 普段であればこの二人に慣れきった悠真が適当にあしらってくれるのだが、既に年末に連勤が決まっている彼は、その代わりに今日はシフトに入っていない。真太郎は今、とても悠真が恋しかった。


「……でも、ちょっと意外かも」

「え?」


 頭を抱えるポーズをやめ、顔を上げた小春にそう言われて、真太郎は首をかしげた。


「小野っちは非リアだからそりゃクリスマスも暇だろうけどさ。ももっちとか久世ちゃんは友達も多そうだしモテそうだし、クリスマスなんか引く手数多あまただろ? なのに三人でご飯に行くなんて、意外だなーって」

「い、いや、そんなことは……」


 一色の言葉に謙遜けんそんする真太郎。

 確かに真太郎は多くの友人や女子生徒たちから「クリスマスを一緒に過ごさないか」という誘いを受けていた。その数は、優に二〇を超えるだろう。

 しかし、それでも真太郎は悠真と桃華の二人と過ごすことを選んだ。

 友人たちの多くが提案してくるクリスマスの過ごし方は、自宅でのパーティーであったり、特別なパレードのあるアミューズメントパークあったりというのが殆どであったのに対し、あの二人が提案してきたのは〝三人でご飯を食べるだけ〟。普通に考えればあまりにも貧相で、魅力に欠ける誘いだった。

 だが真太郎にとっては、豪勢なパーティーより、楽しいアミューズメントパークより、そちらの方が魅力的に映ってしまったのである。


「――でも、いいのかい? 久世ちゃん」

「えっ?」


 急に真面目な、そしてどこか遠慮がちなトーンになった一色に、真太郎が目を向ける。


「いや、その、だからさ……〝家のこと〟とか、あるだろ?」

「!」


 真太郎は、一色の言わんとしていることを察した。

 そして、そうだ、彼女には話を通してあるのだった、と思い出す。


 ――真太郎には、まだ身内と一色以外にはほとんど告げていない話がある。

 悠真も桃華も、もちろんこの場にいる新庄も知らない話だ。


「……大丈夫です。〝彼女たち〟も明日は、外で友人と過ごすと言っていましたから」

「……そっか。ならいいんだけどな。ただ、小野っちたちの誘いを断りづらい、とかだったら遠慮なく言いな? あたしが適当に話をつけてやるから」

「ありがとうございます。でも、もしそうだとしたら自分の口から断っていますから」


 一色にそう答え、爽やかに笑う真太郎。そして彼は、バイト仲間たちと過ごすクリスマスへと思いを馳せる。


 ――明日は、どんな一夜になるだろうか。

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