第四四編 クリスマス前日譚①
街中の喧騒から少し離れた
〝
荘厳な造りの門を潜り、広大な庭を抜けた先に建てられている立派な
そして、この邸に暮らすたった三人の女たちを守るべく、厳重な警備を固めるのはスーツ姿の女たち。〝女邸〟の名に恥じることなく、警備員から使用人に至るまで、そのほとんどが女で固められた邸に隙はない。女性だけで構成されているからこそ、危機管理や警備体制の確立には余念がなかった。
特に二人の娘たちを溺愛してやまない七海御園が選任した二人の〝専属ボディーガード〟――元アメリカ軍所属の軍人・
そんな〝専属ボディーガード〟の片割れたる本郷琥珀が今、邸宅の最奥より現れたその少女の前に、
「――お早う御座います、
「……ええ、おはよう、本郷。いつも言っているけれど、そんな仰々しい態度はとらなくていいわ」
本郷の挨拶を適当にあしらうこの少女こそ、七海幸三郎の
大女優たる
「お稽古の方はどうされますか?」
本郷が未来に問い掛ける。
「……今日はやめておくわ。気分じゃないから」
「かしこまりました。では
「いいえ、それも要らないわ。
「な、なにもお召し上がりにならないというのはお身体に
「〝せめて〟という割に結構な量を食べさせようとするのはやめて貰えるかしら」
未来は心配性な従者に、はぁ、と小さくため息をつく。
未来にとって本郷は、送迎から護衛まで請け負ってくれる優秀なボディーガードであり、そして柔道や合気道などの護身術の稽古をつけてくれている師範でもある。
基本的に他者に介入されることを嫌う未来であっても、自分のために尽くしてくれている本郷のことまで無下には扱えない。もしも彼女が居なくなれば、その影響を最も
「そ、そんな! お願いですから、お嬢様! ただでさえそんな繊細な体つきをされているというのに、絶食なんてしようものなら歩行の負荷でおみ足が折れてしまうかもしれません!」
「折れるわけがないでしょう、貴女に散々鍛えられているのだから。それと別に絶食とまでは言っていないわ。ただお腹が空いていないというだけよ」
「お嬢様が最後に食べ物を口にされたのは昨夜一九時五三分二三秒なのですよ!? 現在時刻が翌六時八分一五秒ですから、実に三六八九二秒もの間、何も召し上がっておられないという計算にっ!?」
「秒単位で表現することであたかも私が長期間の絶食に及んでいるかのように言うのはやめて貰えるかしら。それに今私が空腹じゃないのは、昨晩貴方が無駄に高エネルギーなものばかり食べさせてきたからでしょう」
ちなみに昨夜の未来の夕食は牛サーロインステーキ一〇〇グラムに
「お言葉ですがお嬢様! 普段お嬢様が好んで召し上がっておられるケーキやドーナツでは栄養価に偏りが見られます! もっと肉を食べるべきです! 幸い世間では〝肉食系女子〟が流行っているようですし!」
「……一応教えておくけれど、〝肉食系女子〟は別に、〝主に肉類を好んで食する女性〟という意味ではないわよ」
「なっ……!? わ、私としたことが、虚偽の情報を掴まされていた……ということでしょうか……!?」
「ええ。そんな深刻そうな顔をするほどのことでもないけれどね」
この世の終わりもかくや、といわんばかりの顔をする本郷に、再度息を
彼女は自身のリビングルームに着くと、「とにかく」と本郷に告げる。
「昼食はきちんと摂るから、朝食は要らない。それから今日は一日本を読んで過ごすから、護衛も要らないわ。貴女もたまには私に構わず、好きなように過ごしなさい」
「そ、そんな!? わ、私はもはや用済みということでしょうか!?」
「話を聞いていたかしら? 今日は外に出ないから、
「そ、そんなことはありませんっ! いつお嬢様を狙う核爆弾が投下されても大丈夫なよう、邸の警備を固める必要がございますっ!?」
「いえ、核爆弾が登場するレベルで命を狙われるくらいなら、私は
「ご安心ください、お嬢様! この本郷、たとえ身一つになろうとも、核爆弾の脅威からお嬢様を守り抜いて見せますので!」
「その状況では貴女も私も、同じ爆風に呑まれて死ぬでしょうけれどね」
最後までうるさいボディーガードをリビングルームの扉で遮断し、未来はようやく静かになった、とばかりに両の瞳を閉じる。
未来が家でのほとんどの時間を過ごすこの部屋の中は、多くの本で満たされていた。読書家である未来にとっての娯楽空間だ。
他に趣味らしい趣味がない彼女は、暇さえあればここに閉じ
さて、今日は何を読もうかと、未来が無数の本の背表紙に視線を走らせていると――ガラステーブルの上に置かれていた最新型のスマートフォンが振動した。どうやら着信が入ったようだ。
「…………」
未来はチラリと画面に視線を走らせ――そしてそのまま、電話に出ることなく本の物色に戻る。
当然、十数回のコールの後に着信は切れるのだが……数秒後にはまた着信が入った。
「…………」
あからさまに面倒くさそうな顔で、携帯電話の画面に表示されている発信者名に目を通し、そしてやはり電話には出ない未来。切れる着信。そして、
未来はため息をつき、コールが続く携帯電話の画面をそっと指でなぞった。根負けして電話に出た――わけではなく、着信を切ったのである。
そして彼女が今度こそ今日読む本を選び始めたところで、今度は一通のメッセージ通知が届いた。
『
「……リアルな脅迫はやめて貰えないかしら」
『やかましいわ。なに三回も着信無視してくれてんだこの野郎』
嫌々ながらも即座に折り返し電話を掛けた未来の耳に、最近聞き慣れた少年の声が響いた。
小野悠真。彼女と現在、とある契約関係にある人物である。
「いったいなんの用かしら? 昨日で学校も終わったのだから、私は来年まで貴方の声を聞かずに済むと思っていたのだけれど」
『ふざけんな。こちとら冬休み中もあいつらの恋愛進展に動く気満々だっつんだよ。その時はもちろん、お前にも協力してもらうからな』
〝あいつら〟というのは、未来の幼馴染みたる学園一のイケメンこと
「……嫌と言ったら?」
『そんなに彼氏が欲しいのか?』
「仮にも企業令嬢の私を露骨に脅迫してくるのなんて、貴方くらいのものだと思うわ」
『そりゃ光栄だ』
悪びれもせずにそう言ってくる悠真に、未来は仕方なく話を聞くことにする。
「――要するに、貴方は明日、久世くんと桐山さんと三人でイルミネーションを見に行く約束をしているけれど、それを直前でキャンセルすることで、擬似的にあの二人のデートを再現する、ということかしら?」
「おう、そういうことだ」
悠真からおおまかな話を聞かされた未来は、「それで」と彼に話の続きを
「私にどうしろというのかしら? 話を聞く限り、私に提供出来るような有益な情報はなさそうだけれど?」
『いや……今回は情報がほしいってわけじゃなくて……ただ、七海に少し協力してほしいことがあってだな……』
「……協力?」
ピクッ、と未来が反応する。
というのも、未来が悠真と結んでいる〝契約〟の内容は、あくまで〝久世真太郎に関する恋愛的情報の提供義務〟のみ。久世と桃華を結びつけるために、なにか直接的な行動を取らなければならないわけではないのである。
「……随分身勝手なのね、小野くん。いつから私は、貴方にとって都合の良いように動かされる
『お、怒るなよ。別に無理を言いたい訳じゃないって。嫌なら断ってくれていいから』
「…………」
つまり悠真は〝契約〟とは無関係に、単純に未来に〝お願い〟があるということらしい。今まで彼がこんなことを言い出したことはなかったのだが……それだけ切羽詰まった、或いは念を入れておきたいことなのかもしれない。
「…………話だけ、聞いてあげるわ」
短くそう答えた未来に、電話口の少年はその〝お願い〟を告げてきた。
『――明日のクリスマス、俺と一緒に過ごしてくれないか?』
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