第四三編 簡単なこと

 クリスマス。それは子どもから大人まで、あらゆる世代の人々にとって特別な一日である。

 本来はキリストの生誕際らしいが、正直そんなことはキリシタンではない俺にはまったく関係がなかった。日本人の九割九分はそうだろう。まぁぶっちゃけ、恋人がいない上に休日オフを潰してまで友人と遊ぶようなタイプではない俺にとっては、クリスマスなんて大して価値のない平日みたいなもんなんだが。

 ただ、サンタクロースを本気で信じていた子どもの頃に植え付けられた〝クリスマス=楽しい〟という印象が根付いているせいか、なんだかんだで意味もなく浮き足だってしまう自分も確かにいる。

 ……とはいえ。


「結局、クリスマスは三人揃ってバイトかよ。むなしさここに極まれりだな」

「あはは、確かに寂しいクリスマスの過ごし方かもね」


 本当にクリスマスが〝価値のない平日〟と化したことをぼやく俺に、桃華ももかがクスクスと笑い声を漏らす。

 クリスマスを数日後に控えたこの日、業務を終えた俺たちは〝甘色あまいろ〟の事務所でだらだらと過ごしていた。少し散らかっている事務机の上には、店長が淹れてくれた二人分の〝ねぎらいコーヒー〟が湯気を立てている。ちなみに今日、久世は休日オフだ。

 もちろん今日の仕事は終わっているのでいつ帰っても問題ないのだが、暖房の効いた事務所から極寒の帰路に飛び出すのは少しばかり勇気が要った。

 それと、クリスマスの前準備で忙殺されているらしい店長に少しばかり気を遣っている、というのもある。彼女はクリスマスケーキの予約や、クリスマス当日に〝甘色ウチ〟で販売する特別なケーキの材料の調達など、連日連夜遅くまで仕事をしているようだった。

 ちなみに店長は〝甘色〟の二階……というか、ロフトのような狭苦しいスペースで生活をしている。すぐ近くに実家があり、本来の住居はそちらのはずなのだが、良くも悪くも仕事一辺倒の人だ。起きてすぐに仕事に入り、仕事が終わればすぐに寝られるという意味で、ロフト生活を選んでいるらしい。俺には考えられないが、それだけ情熱をもって仕事と向き合っているというのは尊敬に値するだろう。

 ただ、やはりもの寂しさはあるのか、以前俺と久世くせに向かって「あたしと一緒に寝ないか……?」と、割と本気ガチトーンで言ってきた時は「ロフトから転がり落ちてしまえ」と思ったが。あの時ばかりは、流石の久世もドン引きだった。


「……でも私、〝甘色ここ〟で仕事するの好きだな。忙しい時は大変だけど楽しいし、小春こはる店長も優しいもん」

「優しい、ねぇ……。案外、あの人が俺たち三人全員をクリスマスバイトにいれたの、自分を差し置いてクリスマスを謳歌おうかさせてたまるかっていう動機だったりするんじゃねえの」

「ゆ、悠真ゆうまって本当、小春店長に対して容赦ないよね」

「そりゃお互い様だろ」


 店長あの人もこないだ俺に対して「クリスマスに対する期待値ゼロだろ」とか言ってきたぞ。「どうせ」ってなんだ、失礼すぎだろ。……いや、確かに期待値はゼロに等しいけども。


「でも、クリスマスの日って朝から仕事だよね? 夜とか大丈夫なのかなあ?」

「いや、夕方からは新庄しんじょうさんと古谷こたにさんが入ってくれるらしい。夕方以降は特に忙しいから、去年のクリスマスを経験してる二人に任せたいんだと」


 新庄さんと古谷さんは、〝甘色〟で働いている大学生アルバイトだ。普段は俺たちが学校に行っている朝昼の時間帯のシフトを埋めてくれているのだが、流石の店長も、クリスマス未経験の高校生三人組に最も繁盛する時間帯を任せるのは酷だと考えたようだ。


「あれ……? でも新庄さんって彼女と遊ぶからシフト入れない~とかいってなかったっけ?」

「……察してやれよ」

「あっ……」


 なにかを察した顔で、気まずげにそっと目を逸らす桃華。……ちなみに新庄さんは大学生アルバイトの中でも少しチャラめの人だ。ついこの間、三人組の女の人が彼目当てに来店していたが、その中に本命の彼女さんは居なかったらしい。もしかしたらそれがバレたのかも知れないな。どうでもいいけど。

 とにかく、俺たちがシフトに入るのは夕方までだ。それでも普段よりは忙しいはずだが、忙殺されるというほどでもないだろう。


 それに――夕方以降が自由フリーになるなら、上手くやれば桃華と久世の二人でクリスマスを過ごさせてやることだって出来るかもしれない。


「(バイト上がりに流れで……とかなら、十分見込みはあるだろうしな)」


 結局のところ、桃華の久世に対する妙な緊張感は、今も完全払拭には至っていない。昨日も仕事前に「おおお、オッハヨウ久世くっんっ!?」などという実に陽気な挨拶を交わしていた。なんだ、オッハヨウって。

 ゆえに、当然桃華が久世にクリスマスの約束を取り付けるなど無理な話だったのだが……ここに来て、少しだけ可能性が見えてきた。

「仕事も終わったし、せっかくだからイルミネーションくらい見に行かない?」という誘いくらいなら桃華にも出来るだろう。……出来るよな?


 問題は、それをどうやって桃華に言わせるか、である。

 俺は、俺が桃華の恋を応援しているということを桃華本人に知られるわけにはいかない。だから、「せっかくだしクリスマスの夜、久世を誘ってみろよ」みたいな提案を直接するわけにはいかないのだ。

 一番良いのは桃華本人がこの作戦を思い付くことなのだが……奥手な彼女に果たしてそんな発想力があるかどうか――


「ねえ悠真。クリスマスの夜、せっかくだからイルミネーションくらい見に行かない?」

「そうそう、問題はそれをどうやってあの久世バカに伝えるかなんだよな――――って……え?」


 思考の海に沈んでいた俺は、突然桃華からそう言われて思わず彼女のことを二度見した。

 ……え? 今コイツ、なんて言った? イルミネーションに誘った? え? お、俺を?

 驚きのあまり思考回路がうまく働かない俺に、桃華がニコッと可愛らしい笑顔を浮かべる。


「うん、年の一度の機会なんだし……久世くんも誘って、三人で行こうよ」

「……ですよねー」

「な、なんで急にテンション下がったの!?」


 急激に冷めた顔になったであろう俺に、桃華が動揺する。

 ……いや、分かってたよ。なんでクリスマスの夜に俺と二人でイルミネーションなんか見に行くんだよ、有り得ねえだろ。

 もう割り切れたつもりだったのだが……未だに俺は、桃華のことを完全には諦めきれていないらしい。いったいどこまで女々しいのか。


「(でも三人で、か……。二人きりじゃなきゃ、桃華コイツも久世を誘ったりできるんだな)」


 やはり〝デートっぽい〟かどうかというハードルがあるのだろう。

 たとえば俺は以前、桃華および腐れギャルこと金山かねやまやよいと三人で登校したことがあったが……あの時、もしも金山が居なかったら、おそらく俺は緊張して上手く話せなかったことだろう。金山あんなのでも、居ると居ないとでは大きな差がある。

 今回についても、その場に第三者おれが居るだけで〝クリスマスデート〟が〝バイト組でイルミネーションを見る会〟に早変わりだ。そりゃあ誘うハードルも駄々下がりだろう。

 正直、せっかくクリスマスに好きな人と過ごせるのに、その場に余計な第三者を引き入れるのはどうかと思うが、でも俺が加わるだけで久世を誘いやすくなると言うのなら――


 ――そこまで考えた時、俺の頭にある考えが浮かんだ。


「(…………なんだ、簡単なことじゃないか)」

「……悠真? どうかした?」


 そっと目を伏せた俺を心配するように、桃華が顔を覗き込んでくる。俺はすぐに「なんでもねえよ」と作り笑いを浮かべ、そして答える。


「……そうだな。せっかくのクリスマスだ。、飯くらい食おうぜ」

「いいの? やった! じゃあ久世くんにも連絡しないとね!」

「そうだな、アイツの予定とかすぐ埋まっちまいそうだし、早めに連絡しとかねえとな」

「うん! じゃあ今のうちにメールしとこうっと」


 すぐにスマートフォンを取り出して連絡をとり始める桃華を静かに見つめながら……俺は机の下でギュウッ、と拳を握り締める。

 ――駄目だ、出すな。

 くだらない欲を出すな。

 おまえのことなんかどうでもいい。桃華この子のことだけを考えて行動しろ。


 簡単なことじゃないか、桃華と久世をデートさせるなんて。

 二人きりでデートに誘うことは難しい?

 第三者よけいなものが居れば誘える?


 だったら――三人で予定を取り付けてから、小野悠真よけいなものいいだけのことじゃないか。


「……本当に、簡単なことじゃないか」


 嬉しそうにスマートフォンを操作する桃華の対面で、彼女には決して聞こえないであろう極小の呟きをこぼす。

 机の上のコーヒーは、いつの間にかすっかり冷えきってしまっていた。

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