第四二編 翳り

「――つーわけで、〝久世くせが今欲しいもの〟についての情報が欲しいんだが……なにか知ってるか?」

「…………」


 金山かねやまと別れてすぐに屋上へ戻った俺は、本の頁をめくる美少女――七海未来ななみみくに相談を持ち掛けていた。彼女は俺の話を聞いているのかいないのか、しばらくの間無言で本を読み進めた後、「悪いけれど」とこちらに視線を飛ばす。


「私は今のところ、久世くんの欲しいものなんて知らないわ。〝彼女〟なら知っているかもしれないけれど……」

「彼女? ……ああ、お前が久世の情報を仕入れてくる〝情報源〟の人か」

「ええ。あの子ならそのくらいのこと、把握しているでしょうから」

「ほんとに何者なんだよ、その人……」


 久世の好みのタイプだけでなく、今の彼が欲しいものまで把握しているなんて、ちょっと不自然なくらいの情報力だった。まるでその人自身が、現在進行形で久世に関する情報を収集しまくっているかのようだ。

 しかし現状では、その人以外に頼れる情報源はない。もし本当に久世の欲しいものを知っているなら、是非とも教えてほしいところだ。


「……けれど小野おのくん。久世くんの欲しいものが知りたいのなら、普通に貴方が彼に尋ねれば教えてくれるでしょう? わざわざ〝彼女〟にかずとも」

「いや、確かにそうなんだけどさ」


 七海の至極当然な疑問に対し、俺は後頭部をボリボリときつつ、答える。


「俺が久世に欲しいものを聞いて、そんでクリスマス当日に桃華からそれをプレゼントされたら、なんかもう色々とバレバレじゃないか?」

「そうね。〝小野くんが桐山さんのために欲しいものを聞いた〟ということは間違いなく勘づかれるでしょうし、そこから派生して〝桐山さんが久世くんを好きだということ〟や〝小野くんが桐山さんの恋を応援していること〟まで発覚するかもしれないわね」

「だろ? まあ久世アイツ鈍感バカだからそこまで気付くかは微妙だけどな」


 だが、その可能性はなるべく潰しておきたかった。

〝桃華が久世を好きなこと〟まではバレても構わない。むしろその方が、久世も桃華を意識するかもしれない分、好都合なくらいだ。

 しかし、〝俺が桃華の恋を応援していること〟だけはバレるわけにはいかない。

 久世に、ではない。桃華に、だ。


 ――桃華には、あくまで〝自分の力で〟恋を叶えて貰わなければならないのだから。


 仮にその裏で俺や七海が多少の手助けをしていても、それを桃華本人には決して悟られてはならない。それを知られてしまえば、真面目な桃華はおそらく「自分の恋は、誰かの助けを借りただけのものなのではないか」という思考におちいってしまうだろう。

 別に恋愛において多少友人の協力を得るなんて珍しいことでもないが、金山かねやまのように普段から表だって行動しているならまだしも、俺のように陰でコソコソしている奴からの協力は、桃華からすれば〝裏で何をしていたか分からない〟分、疑心暗鬼ぎしんあんきになりかねない。

 だから、俺は桃華にだけはバレるわけにはいかないのである。


 そのためには、なるべく久世にも勘づかれないように行動するべきなのだ。

 もしも今回のクリスマスプレゼントをきっかけに、桃華と久世がめでたく結ばれることになったとして、後日義理堅い久世の口から「小野くんがきっかけを作ってくれたお陰だよ」などと言われようものなら最悪だろう。


「……けれど、それでいいの?」


 七海が、本に目を向けたまま聞いてくる。


「貴方の考え方だと、貴方が桐山さんのために行動していることは、最後まで彼女には分かって貰えないということでしょう? 彼女から感謝されるわけでも、好意を得られるわけでもない。……だとしたら貴方は、なんのためにこんなことをしているの?」

「…………」


 七海の問いに俺は意味もなく、雲一つない、冬の晴れ渡った空を見上げた。

 俺はなんとなく、〝冬といえば曇天どんてん〟というイメージが強いのだが、意外と太陽の日差しが強い日も多い。ただ、夏ほど凶悪な紫外線を感じないというだけのことだ。


「……いいんだよ、それで」


 ポツリと、俺は呟く。


「俺は、俺が桃華から受けた恩を返しているだけだ。何度も救われた恩を、まとめて返済してるだけだ。だからそこに見返りなんてなくて当然だし、求めてもいない」

「…………」


 俺の答えに対し、七海は本からチラリと視線を上げ、そしてまたゆっくりと戻した。明らかに理解は得られていない。もしかしたら馬鹿な男だと思われているのかもしれない。

 でも、今の俺の言葉に嘘はない。

 俺は、桃華に幸せになってほしくてこんな真似をしている。その彼女の幸せがかげってしまうくらいなら、感謝や好意なんてこちらから願い下げだ。


「……相変わらず、貴方は理解しがたいわね」


 七海はそう呟くと、本をパタリと閉じる。その音に釣られて彼女に目を向け――俺は思わず、息をんだ。


「けれど――貴方がだということは、少しだけ分かってきたわ」


 彼女はそう言って、ふわりと綺麗に笑っていた。

 今までに何度か見たことのある微笑や、俺を小馬鹿にする時の嘲笑じみたみではなく、おそらくは心根こころねからの笑顔。

 満面の笑みとは程遠い。普通の人間の微笑くらいだろうか。

 だがいつも無表情で、感情を表に出さない七海未来の美しい笑みに、俺は不覚にもドキッとさせられてしまった。


「久世くんの欲しいものについては、一先ず〝あの子〟に聞いておくわ。明日まで待って頂戴」

「えっ……あ、ああ。頼む」


 衝撃のあまり呆けていた俺に、七海がいつもの無表情で淡々と告げてくる。そしてちょうどそのタイミングで、昼休みの終わりをしらせる予鈴が、校内に鳴り響いた。

「それじゃあ」とも言わずに無言のまま屋上から出ていく七海の背を見送った後、俺は再び意味もなく、冬の空を見上げる。

 ふと気が付くと、遠くの空に飛行機雲がかかっているのが見えた。

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