第三六編 迫る期末試験

「……今日は随分静かなのね、小野おのくん」

「ああー……?」


 翌日の朝、一年一組の教室にて。

 日課とも言うべき七海未来ななみみくの〝警護〟についていた俺は、珍しく自分から話し掛けてきた七海に対し、気のない返事をする。

 意味もなくグラグラと浮かせて遊んでいた椅子の前脚が、カタリ、と板張りの床に着地した。


「なんだよ、声かけたら無礼とか言うくせに、黙ってたら黙ってたで寂しいのかよ。面倒くせえなお前。そんなだから友達出来ないんだよ」

「……どうやら貴方が不機嫌らしいということだけはよく伝わったわ」


 八つ当たりのように言葉を吐く俺に、七海が呆れたような目を向けてくる。その全てを射抜くような黒の瞳に見つめられると、自然と今の自分の発言を反省させられてしまう。


「……わ、悪い。ちょっと言い過ぎた」

「あら、いい子ね。賢い判断だと思うわ」

子どもガキ相手みたいな言い方すんなよ。自分の非くらい認められる」

「いえ、本当に賢い判断そうだと思ってるわ。――どこで本郷ほんごうが耳をそばだてているか分からないもの」

「怖いんだけど!? えっ、なに、あの人って学園の中にいるの!?」

「さあ、それは分からないけれど。 彼女、元々は外国の特殊部隊出身だから、その気になれば文字通り〝なんでも〟出来るというだけ。今のこの会話も聞いているかもね」

「お、お嬢様、コーヒーでも買って参りましょうか!? いえっ、買いに行かせてくださいっ!」

「……態度の急変が凄まじいわね」


「そんなに本郷が苦手かしら」と言いながら、既に机の上に置かれていたコーヒーミルクに口をつける七海。……いや、七海おまえは主人だからそんな認識だろうけどさ……あの人は本当の意味でヤバイから。生きる世界観を間違えてるから。

 今にも窓から見える木々の一本から本郷さんが顔を出すんじゃないかとビクビクしていると、七海は手にしていた本をパタリと閉じる。


「でも、貴方がそんなに苛々いらいらしているのは珍しいわね。普段から陰気な顔をしているとは思うけれど」

「誰が陰気な顔だ。俺の知る限り、一番陰気なお前にだけは言われたくねえよ」

「別に悪口を言ったつもりはないわ。ただ小野くんはどちらかといえばジメジメしているでしょう?」

「ジメジメしてるってなんだよ」


 俺はキノコか。

 相変わらずたとえが分かりづらい七海にため息をついて、俺は彼女の机に肩肘をつく。


「……先週末に言ったろ。久世くせ桃華ももかを親密な関係まで持っていくのはどうすりゃいいか考えてるって」

「そういえば、そんなことを言っていたような気がするわ」

「お前、相変わらず興味ないことには清々しいほど無関心だな。……まあいいや。そんで、昨日もバイトしながら色々考えたんだけど、全然いいアイデアが浮かばなくてさ。結局バイトが終わってから寝るまでずっと悶々考え続けて、気付いたら寝不足だった」

「貴方こそ相変わらずね。よく他人のためにそこまで出来るわ」


 彼女は感心したようにそう言ってくるが、明らかに褒められていないということはよく分かっていた。俺とて、今の俺と同じようなことを他人がしていたら「変なやつ」だと思うだろうし。

 でも、それでも俺は、桃華の恋を応援してやりたかった。昨日感じた胸の痛みなんかよりも、その気持ちはずっと強い。


「先に言っておくけれど、私に人間関係に関するアドバイスは期待しないでね」

「しねえよ。つーか最悪の人選だろソレ。雑菌に『オススメの消毒液は?』って聞いてるようなもんじゃねえか」

「そのたとえは酷くないかしら」

「酷くねえよ」


 少なくとも、この話題における七海未来みくの役立たず度はそういうレベルだろう。人間関係を自ら壊滅させてる奴に、他人の人間関係を進展させる方法なんか分かるはずもない。だって正反対だもん、やってることが。


「……他人の恋愛に首を突っ込むのは自由だけれど、貴方、勉強の方は大丈夫なの?」

「? 勉強?」


 唐突に話が変わり、俺は思わずオウム返しで疑問符を浮かべる。そんな俺に、七海は再び呆れたような目を向けた。


「……再来週にはもう期末試験でしょう。いつもアルバイトばかりしているけれど、対策はきちんとしているのかしら?」

「……あっ」


 ――そうだった、一二月はクリスマスよりも先に、そんな一大イベントが待ち構えていやがるんだった。



 ★



「勉強会? 僕たちと桐山さんの三人で、かい?」

「ああ、せっかく同じバイトしてるんだし、親睦会も兼ねてどうかと思ってな」


 その日のバイト前、俺は早速久世にそんな話を持ちかけていた。

 ちなみに今日は桃華がシフトから外れているため、出勤しているアルバイトは俺たち二人だけである。……それでも余裕なくらい、店内はガラガラなのだが。


「それはもちろん構わないけれど……なんだか意外だね。小野くんからそんな誘いをしてくれるなんて」

「そ、そうか? お、俺はいつだってお前たちと親睦を深めたいとお、思ってるんだぜ?」

「いや、そんな視線を泳がせながら言うような台詞じゃないよね?」


 露骨に胡散臭いものを見るような目を向けてくる久世。なんて失礼な野郎なんだ。もう少し人を信頼することを覚えるべきだろう。

 ――まあ、この提案の裏にいくつもの打算があることは、紛れもない事実なのだが。


「そういえば、小野くんと桐山さんって、成績どうなんだい? 今までそういう話したことないよね」

「あー……俺は平均かその下くらいだな。そんなに勉強しろって言われて育ってねえし、初春はつはるに入れたのだって、半分くらい運が良かっただけだし。逆に桃華は滑り止めで初春入ってるから、学年内でもかなり出来る方だと思うぜ。……どこぞの学年二位様と比べたらたかが知れてるでしょうけどね」

「な、なんでそんな敵意に満ちた目で見るんだい……?」


 俺のジトッとした目を見て苦笑する久世。


「……つまり小野くんは、期末試験に向けて僕や桐山さんに勉強を教えてほしいってことでいいのかな?」

「うっ!? い、いや、あくまで勉強会だよ、うん。皆バイトばっかりで勉強時間とれてないかと思ってな? や、やっぱり先輩としては、そういう部分の管理もしっかりしないといけないだろう?」

「……そうだね」


 苦しすぎる言い訳を募らせる俺に、久世がすべてを理解したような優しげな笑みを浮かべて頷いてくる。や、やめてくれ、そんな優しい瞳を向けないでくれ。泣きたくなってくる。


「……でも、勉強を見てもらうなら、小野くんにはもっと身近に適任者がいると思うよ?」

「適任者? 誰のことだよ?」

「未来だよ。彼女、うちの学年の首席だからね」

「はあ!? えっ、そうなの!?」

「し、知らなかったんだ……?」


 入学式でかなり話題になっていたんだけどね、と苦笑混じりに言う久世。

 そ、そういえば大分前に〝入学以来すべての試験で満点を採った生徒がいる〟などという眉唾まゆつばじみた噂話を耳にしたことがあったが……もしかして、それは七海のことだったのか? ま、マジかよ。

 いや、確かにいっつも難しそうな本ばっかり読んでる陰気な奴ではあるけど……。


「……でも七海アイツは〝教える〟とかいうキャラじゃねえだろ。『何が分からないのかが分からないわ』とか平気で言ってきそうだぞ」

「あ、あはは……そうかもしれないね」

「それに七海アイツ、たとえ話とか下手くそだし、頭良さげな雰囲気かもし出してるけど、実際のところたぶん馬鹿だろ。賢い馬鹿だろ」

「お、小野くんは未来になにか恨みでもあるのかい……?」


 本人が居ないのをいいことに、彼女への罵倒文句を連ねる俺に、しかし久世は、何故だかとても羨ましそうな顔をする。


「…………僕も小野くんくらい、未来と親しくなれれば良かったのに……」

「え? 今なんて?」

「ううん、なんでもないよ。やろうか、勉強会」


 ニコッと爽やかなイケメンスマイルを浮かべ、俺の提案に乗ってくれる久世。

 ……その前に、彼がなにか小声で呟いたような気がするのだが……残念ながら、俺の聴力では聞き取ることが出来なかった。

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