第三四編 完全に不一致

 俺が久世真太郎くせしんたろうという男と共に働く中で、彼について知ったことが三つある。


 一つ目は、彼が真の意味でのイケメンであるということ。

 二つ目は、彼は決して完璧超人ではないということ。

 そして三つ目は――彼がとんでもない馬鹿野郎だということだ。


「あ、悠真ゆうま! おはよう、今日も一日頑張ろうね!」

「お、おう、おはよう」

「あひゅっ!? くくく、久世くん! おお、おはよう! きょふも一にひがんびゃろうね!?」

「おはよう、桐山きりやまさん。あっ、小野くんも、おはよう!」

「…………」

「ど、どうして僕のことを無視するんだい、小野くん!?」


 一一月も終わりが近づいてきたとある日曜日。

 喫茶店〝甘色〟に集まった高校生バイト三人組こと俺、桃華ももか、そして久世の三人は、始業前の事務所に集まっていた。

 時刻は八時三〇分。開店までは三〇分ほど残っている。

 そんな中、俺は事務所のパイプ椅子にギィ、と腰掛けつつ、ため息をつく。

 ――桃華が〝甘色〟に来て、早二週間ほどが経過した。

 にも関わらず桃華と久世の間には、恋愛的な進展はおろか、普通のバイト仲間としての進展もあまり見られていない。

 いや、二人の仲が不良だとか、そういうわけでは断じてないのだが……


「桐山さん、どうだい? 仕事には慣れた?」

「は、はひっ!? な、慣れたよ!? ね、ね、悠真!?」

「なぜそこで俺に振るんだお前は……」


 ……このように、桃華の久世に対する上がり症というか、緊張状態のようなものは一向に改善されていない。

 仕事を進めていく間に少しずつ普通に話せるようになっては行くのだが、翌日になればそれがまたリセットされてしまうのである。

 二人をくっつけたい俺から見れば、まるでセーブ機能が破損したRPGを遊んでいる気分だった。

 とはいえ、それ自体は別にいいのだ。誰かを恋慕こいしたう人間が、その相手に対して平常心で居られないのなんて普通のことだろう。……桃華の場合、それがいささか過剰ではあるが。

 しかし、それ以上に問題なのが、以前にも言及した久世真太郎という男の鈍感さだった。


「(……普通気付くだろ、二週間もこんな状態が続いてんだぞ……)」


 自分に対してだけ、顔を真っ赤にして慌てふためく女の子を見て、その好意に気付かないなんて、久世コイツ、ほんと馬鹿なんじゃないのかと心配になる。お前女にモテすぎて、その辺のレーダーバグってんじゃねえのか。


「ふはは、よくぞ来た、選ばれし者たちよ」

「あっ、店長」

一色いっしき店長、おはようございます」

「トイレ長かったっすね」

「ちょっとお前らノリ悪すぎない!? あと小野っち、お前はデリカシーがなさすぎるぞ!」


 いきなり神みたいな台詞と共に登場した店長に、しかし既に慣れきってしまった俺たちはそれを華麗にスルー。……この人のノリに付き合い始めるといちいち長いのだ。

 店長が来たら、俺たちはいつも通り朝礼に入る。といっても、高校生バイトの俺たちが朝礼に参加するのは土日祝日くらいのものなのだが。

 土日は〝甘色〟が平日とは比べ物にならないほど忙しい曜日であるため、それぞれの役割分担を頭に入れておかねば、対応が追い付かなくなることだってある。特に今は、まだ仕事に不慣れな部分も多い桃華のフォローもしなければならない。 油断は禁物だ。

 とはいえ、うちはどちらと言えば〝お高め〟の喫茶店。平日と比べれば客は多いが、人気のカフェなどと比べれば来店客数は数段劣る。だからこそ、高校生バイト三人でもなんとかなっているわけだし。

 ちなみに店長は基本的にキッチンを一人で回さなければならないため、ホールに出ることはほとんどないと言っていい。


「――っし、じゃあ今日もよろしくな!」


 朝礼を終えてパチン、と手を合わせた店長に、俺たちはそれぞれに返事をして、ホールの朝清掃へと向かう。

 そして俺はと言えば――モップを片手にしながら、いよいよ〝行動〟を開始する心構えをしていた。



 ★



 先日、七海ななみから得られた情報の中は、ある意味では有益で、ある意味では無益な情報が大半を占めていた。

 それは、久世真太郎の〝女性の好み〟、もっと言えば〝外面的な好み〟に関する情報である。

 久世の好みを纏めると、「髪が長く、色白で、身長は高すぎず低すぎず、どちらかといえばスレンダーで、女性らしい振る舞いを心得た人」らしい。それを聞いて俺が抱いたイメージは〝大和撫子やまとなでしこ〟。正に理想的な日本人女性そのものだと思わされた。


 この情報の有益な部分は、単純に久世の好みが分かったというだけでなく、桃華それなりにその条件を満たしている、という点だった。……正直、〝女性らしい振る舞い〟という部分については少し疑問が残るものの、それも〝女の子らしい〟と言い換えれば適合していると言えなくもない。

 つまり桃華は、外見だけでいえばスタートラインに立てているということだ。


 しかしその一方で、この情報には意味がないとも言えた。

 その理由は、久世真太郎という男は、人を外見でなく、中身で判断するタイプの男だと思われるからである。

 そして彼の内面的な好みのタイプは、「知的で、気品があって、揺るがぬ〝自分〟を持っている、大人っぽい女性」らしい。

 ……これを聞いたとき、俺は思わず頭を抱えた。


「あっ、悠真悠真。見てみて、外にワンコがいるよ! 可愛いねぇ~」


 ――知的?


「ぎゃあっ!? く、クモ!? やめて、来ないで、ワタシ、ムシ、ムリッ!?」


 ――気品?


「だ、大丈夫だよ、もう外に逃がしたから」

「よ、良かったぁ……。…………? ……ッ!? ごごご、ごめんなさい久世くん!? う、腕に掴まったりして!?」

「え、いや、そんな気にしなくても――」

「かかっ、かくなる上はこの腹を切ってでも御詫おわびをッ!?」

「桐山さん!? モップので切腹は無理だと思うよ!? というか武士みたいなお詫びをしようとしないで!?」


 ――揺るがぬ〝自分〟?


「ど、どうしたももっち? なに騒いでるんだい?」

「うわぁんっ! 小春こはる店長~っ! 久世くんが……! 久世くんが私からモップを取り上げたんですぅ~っ!?」

「どういう状況!? ちょ、久世ちゃん!? 桃っちのモップを返してあげなさい! メッ!」

「違うんです店長っ!? こうしないと桐山さんがモップで切腹しようとするんです!」

「ほんとにどういう状況なんだよ!? よく目を離した五分でこんな騒ぎに発展したな君たち!」


 ――大人っぽい?


「(な……なに一つとして一致してねぇ……!)」


 俺は彼らの騒ぎを遠巻きから眺めつつ、深い深いため息をつく。

 ……見ての通り、現状の桃華は内面的に、久世の好みとはかけ離れているにも程があった。


「ちょ、ちょっと小野っち!? もうすぐ開店なんだけど、このままじゃ収拾つかないよこれ!?」

「……店長、今そんなことどうでもいいでしょ。ちょっと静かにしててください」

「いや目の前の開店時間より大事なことなんてないと思うんだけど!?」

「開店時間なんてその気になればタイムリープでもなんでもすりゃ解決するでしょ」

「出来ればね!? でも私にタイムリープの能力なんてないからね!? 時間は一方通行だからね!?」

「はんっ、タイムリープ問題さえ解決すればなんとかなる問題なんてたかが知れてますよ。俺の抱えてる問題なんて、何度時間を巻き戻そうが、根本的な部分を解決しないと同じ結果になるんですからね。俺の問題の方が深刻ですからね」

「知らないよ! というかタイムリープ問題さえ解決すればって、それが物理的に一番でけぇ問題なんだよ! 人類未踏の超技術だぞ!?」


 ギャーギャーうるさい店長を尻目に、俺は改めて問題の大きさに向き直る。

 ……しかし正直なところ、俺個人は〝桃華の内面を久世の好みに合わせる〟ような真似はあまりさせたくはない。

 以前にも少し考えたことだが、いくら恋愛のためでも、〝外見〟や〝性格〟のような、その人の根幹を成す部分にまで手を加えるのは少し違うだろう。等身大のお互いを認め合えてこそ、幸せな恋愛というものだ。

 かといって、ここまで明らかに趣味から外れている桃華のことを、果たして久世は好きになるのだろうか? もちろん、好みのタイプがすべてではないだろうし、それに七海の情報が間違っているという可能性だってあるにはあるのだが……。


「だ、だから久世くんは下がってていいって! 残りは全部私がやるから!」

「いや、だからもう開店時間なんだって! お客さんが入って来ちゃうんだよ!」

「小野っち~!? もうこれほんとに間に合わないって~っ!」

「…………はぁ」


 ……騒がしい三人の声に思考を中断させられた俺は、ため息混じりに開店準備に追われることになるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る