第三三編 お嬢様との一年契約

 ――小野おのくん。貴方はこの情報、〝何日〟で買うかしら?


 七海未来ななみみくの問い掛けに、しかし俺は、実のところそれほど悩みはしなかった。

 いや、それでは少し語弊ごへいがあるか。正しくは、「悩みはしたが、決断は早かった」だ。


「――〝一年〟」

「?」

「俺はお前からの情報を、〝一年〟で買ってやる」

「!」


 俺の返答に、七海がわずかに目を見開く。〝何日〟という問いに対して年単位の返答が来るとは思っていなかったのだろう。


「……正気かしら? ハッキリ言って、そこまでするほど価値のある情報とは思えないのだけれど」

「お前がどう思ってようが関係ねえよ。それが桃華アイツの恋を叶えるために必要なら、お前の〝警護〟くらい、幾らでもしてやるさ」

「…………異常ね、貴方」


 七海は呆れたように嘆息すると、脇に置いていた紙パックのコーヒー牛乳を口に含んだ。……ただそれだけの動作だというのに、コイツがすると気品のある行為に見えるから不思議だ。


「……残念だわ。ここで貴方が一週間やそこらの日数を提示すれば、適当な嘘で〝彼女〟の恋を終わらせてあげたのに」

「ふざけたこと抜かすな。大体そんな真似、簡単に出来るわけねえだろ」

「さて、どうかしら」


 ほんの僅かに目を細めたお嬢様は、紙パックを元の場所に置くと、俺のことを正面から見据えた。


「――いいでしょう。少々不等価だとは思うけれど、貴方がそれでいいと言うのなら、〝一年〟で私の得た情報を教えるわ」

「……言っとくが、嘘なんかつきやがったら、お前の机の上で全裸でダンスしてやるからな」

「嘘なんてつかないわ。……だからそんな真似は絶対にしないことね」


 自分の机の上で俺が全裸ダンスを舞い踊るさまを想像してしまったのか、七海があからさまに顔をしかめる。……流石に本気でそんなことをするつもりはなかったのだが、そこまで本気で嫌そうにしなくても……。


「……つーか、お前こそいいのかよ? 一年も俺みたいなのと毎日顔合わせるなんて、軽い地獄みたいなもんだぞ?」

「……自分のことをそこまで卑下ひげできるというのも一種の才能かしら。それにそんな心配は要らないわ。……私はいちいち塵芥ちりあくたを気に掛けるほど繊細ではないもの」

「誰が塵芥だ。……妙な噂がたっても責任はとらねぇからな?」

「噂……? ああ、私と貴方の間に浮き足だった話が流れかねない、と言いたいのね」


 七海の言葉に、俺は頷いて返す。

 もし本当に約束通り、この先一年の学生生活を七海と共に過ごした場合、他の生徒たちから「あいつらはデキているんじゃないか」と噂されるのは容易に想像がつく。少なくとも俺なら、一組の男女が年がら年中二人で居たら、普通に「付き合ってるんだな」と思う。

 七海はこれでも大企業の令嬢。そんな噂がたてば、そこらの芸能人の恋愛模様なんぞよりもよっぽどスキャンダルになるだろう。

 しかし七海は特に気にする風でもなく、淡々と「問題ないわ」と言ってきた。


「噂は所詮しょせん噂よ。現実に、私と貴方の間にそんな事実がないのなら、気にしなければいいだけでしょう?」

「そ、そういうもんか……? というか、お前の場合、冗談抜きで週刊誌とかで取り上げられたりするんじゃ……?」

「貴方は企業令嬢に対して、少し夢を見すぎているようね。セブンス・コーポレーションを経営しているのは私の父であって、私自身はなんの権力もありはしないのよ? いち高校生の噂をいちいち取り上げる週刊誌があると思う?」

「そりゃ、そうかもしれねぇけど……」

「それに万が一そんな記事を書かれたとしても、特に問題にはならないわ」

「? なんでだよ?」


 俺の疑問に、七海はまるで当然のことを語るかのごとく、至極自然な口調で言った。


「そんな根も葉もない記事を書くような出版社は――その日のうちに解体してしまうから」

「怖っ!? 企業令嬢怖っ!? お前『私自身はなんの権力もない』とか言っといて、いざとなったら親の権力使う気満々じゃねぇか!」


 確かにセブンス・コーポレーションほどの企業であれば、日本の出版社など余裕で踏み潰せるんだろうけども。


「勘違いしないで。解体すると言っても、親の権力に頼るような真似はしないわ。それは私の信条に反するもの」

「はあ? じゃあどうやるんだよ?」

「簡単よ。――本郷ほんごうを上手く使えば」

「〝解体〟ってそっち!? 物理的な方!?」


 な、なんて恐ろしい奴なんだ、七海未来!

 棒きれ一本でコンクリートを粉砕する、あの色々な意味でヤバい護衛官であれば、出版社の一つや二つくらい一晩で文字通り〝解体〟出来そうだけども! それ普通に刑事事件じゃねぇか!

 カタカタと震える俺に、七海は「冗談よ」と取りつくろうと、相変わらず一切崩すことなく着用している制服のスカートから覗く綺麗な足を組み替える。……タイツのお陰で生足でこそないものの、この寒くなってきた季節に下半身薄衣うすぎぬ一枚とは、男子と比べて女子は損をしていると思わざるを得ない。


「……なにをジロジロ見ているのかしら」

「! み、見てねえよ。ただ寒くないのかなって思ってただけだ」

「そう……変態しんしなのね」

「おい待て、お前今の『紳士しんし』って言い方、なんか違和感あったぞ? 何て言った? なんという単語に〝しんし〟と振り仮名ルビを振った?」

「安心しなさい、私は貴方にそんな疑いは持っていないから。……そうよね、貴方は女である私には興味がないものね」

「〝女である〟は余計だよ! なんかその表現だと、もしお前が男だったら興味があったみたいになんだろうが!」

「気にしなくていいわ。私は〝そういうの〟にも理解がある側の人間よ」

「それ自体は素晴らしいことだけど、違うから! もうこれ何回も言ってるけど、俺は男色そっち系じゃないから!」

「そういえば小野くん。貴方はどうしても〝久世くせくんの好みのタイプ〟が知りたいのよね?」

「このタイミングでなに再確認してくれてんだこの野郎! 知らない人がこの会話聞いてたらうっかり誤解されちゃうだろうが!」


 連続的にツッコまされ、ぜぇぜぇと息を切らす俺。こ、コイツ、こんな冗談言う奴だったか? 俺の中では淡々と正論で突き刺してくるイメージが強かったんだが……。

 ……いや、以前の下手くそなたとえ話を筆頭に、この女は意外とアホみたいなことも言うのかもしれない。ただそれを真顔で、あたかも正論であるかのように言ってくるせいで、なんか頭良さげに見えるだけだ。

〝目立つから久世が嫌い〟とかも、よくよく考えたら滅茶苦茶理不尽な、子どものワガママみたいなこと言ってるわけだしな。なんだかんだでこのお嬢様、相当甘やかされて育っていそうだ。あんなヤベェ護衛をつけられてるくらいだし。


「……なに、その目は?」

「いや。お前もとがった奴だと思ってたが、案外ありきたりなお嬢様なんだなと思って」

「……どうして私は今、小野くんごときに急激に見下されているのかしら」


 庶民に見下されるのは鼻持ちならないのか、不快そうに言ってくる七海。そういうところも実に典型的テンプレートなお嬢様キャラだ。ある意味では、平凡テンプレートな俺と似たようなものなのかもしれない。


「……ふっ、七海未来……おそるるに足らんな」

「これほどまでに私を軽視した発言を受けたのは生まれて初めてよ」

「軽視なんかしてねえよ。ただ、俺と対して変わらねぇと思っただけだ」

「つまり、この上なく軽視されているということね」

「どういう意味だコラ」

「そのままの意味よ」


 しかし口ではそう言いながらも、七海は不思議と今までよりも柔らかい表情を浮かべていた。今まで所々で感じていた冷たさや刺々とげとげしさ、そして無機質さが薄れているように感じる。


「(……これが、本来の七海の姿なんだろうか)」


 俺はふと、そんな風にもの思う。

 勝手な予想だが、今の七海のような他人を寄せ付けない性格は、恐らく彼女の生来のものではないのではないだろうか。

 セブンス・コーポレーションの令嬢という肩書きに、その優れすぎた容姿。

 それによる周囲からの注目を浴び続けた結果、今のような、人形じみた彼女になってしまったのではないだろうか。


「(だとすりゃ……勿体ねえな。今みたいに話せりゃ、他の奴とも仲良く出来そうなもんなのに)」


 七海のことを眺めつつ、そんな風にぼんやりと考えていた俺に、当のお嬢様はまたしても疑わしげな視線を飛ばしてきた。


「……本当に変態しんしね、小野くん」

「だから絶対振り仮名ルビおかしいだろ、その言い方」


 しょうもないやり取りを交わした昼休み。

 俺はこのお嬢様のことを、少しだけ理解出来たような気がした。

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