第三二編 後出しジャンケン

 俺と七海ななみの間に契約関係が成立してから、早くも一週間ほどが経過しようとしていた。

 初日、そして二日目こそ周囲からノイローゼになりそうなほどの視線を向けられていた俺も、三日目、四日目あたりからはさほど注目されなくなりつつある。

 その理由はいくつか考えられるが……一番はやはり、俺と七海がどう見ても〝仲良く〟は見えないからだろう。

 七海は言うまでもないが、俺だって口数の多い方じゃない。彼女の側には居なければならないが、かといってわざわざ会話を振るほど、俺は社交的ではないのだ。

 故に登校後や昼休み中の俺たちを客観的に表現するのであれば、「本を読む美少女の側で、なぜか地味な男子がスマホをいじっている」となるだろう。どこにも話題性、発展性のない状態である。

 というわけで、俺は思いのほかあっさりと、七海の〝警護〟に慣れつつあった。流石に一組の教室を出入りするときは他の生徒たちに視線を向けられるし、自分の教室に帰ればクラスメイトや友人たちから嫉妬をはらんだ涙目で睨まれるが……それも時間が解決してくれることだろう。

 しかし――それとは別に、俺には新たな問題が浮上しつつあった。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「(…………暇過ぎる……!)」


 昼休みの屋上にて、相も変わらず無言に等しい時間を過ごしていた俺は、心の中で嘆いていた。

 そう、とにかく暇なのである。

〝学校一の美少女と二人きりで昼食〟と表現すれば、健全な男子高校生であれば垂涎すいぜんもののシチュエーションであるはずなのに、今俺の心を満たしているのはただただ「昼休み早く終わらねぇかな」という気持ちだけだった。

 だってそうだろう。本を読みふけっている大して親しくもない女子の側でスマホを弄り続けるなど、どこにも楽しい要素がない。いくらその女子が美少女であろうが、そんな日々を一週間も過ごしていれば飽きてくるに決まっている。というか、なんなら二日目にはすでに飽き始めていた。単純に苦行だった。


「……お前って、家でも本読んで過ごしてるわけ?」

「……そうね」

「…………そうか」


 無理やり会話を試みても、この女、基本的に俺を含んだ他人全般に興味がないため、いわゆる〝会話のキャッチボール〟をする気が一切感じられない。こっちが投げたボールをキャッチして、それでも終わり。なんなら普通に無視スルーされることすらあった。

 ……いや、俺の話題の振り方が悪いのかもしれない。もう少し発展しやすい話題を出してみるか。


「……七海って、きょうだいとか居るのか?」

「……妹が一人居るわ」

「へぇ、妹」


 少し意外だ。てっきり一人っ子か、居ても兄か姉だろうと勝手に予想していたのだが。

 俺は一人っ子だから、〝きょうだい〟というものに少し憧れがある。……こんな姉が居やがったら、絶対にグレる自信があるが。


「妹はいくつだ? 中学生?」

「ええ、一つ下になるわ」

「ふーん。……妹、可愛い?」

「…………良からぬことを考えているなら、即通報するけれど?」

「考えてねえわ」


 誰がお前と同等の超お嬢様相手にそんなこと考えるかよ。


「そうじゃなくて、お前って性格も人格も人柄も気立ても終わってるけど、顔だけは美形だろ? だから妹もそうなのかなって」

「……貴方が私の内面を一切認めていないことだけはよく分かったわ。そういう意味では、私と妹はあまり似ていないわね。あの子は私と違って、とても社交的だから」

「お、お前、自分が社交的じゃないっていう自覚、あったのか……!?」

「なにを驚愕きょうがくしているのよ」


 本の向こうから俺のことを呆れまなこで見てくる七海。……まあ、自分の社交性のなさを自覚してない奴だったら、俺に〝警護〟なんてやらせたりしないだろうが。

 しかし七海の奴、意外とこういった雑談にも付き合ってくれるんじゃないか。質問の仕方が悪いと一瞬で会話は終わってしまうが……一応のコミュニケーションは図れるようで何よりだ。

 それを確認できたところで、俺は数日前からずっと聞きたかったことを七海に聞いてみる。


「――ところで、この〝警護〟の対価は、いつになったら払ってもらえるんだ?」

「あら、忘れていなかったのね。まったく聞いてこないから、三歩歩くに失念したのかと思っていたわ」

「俺はニワトリか」

「……そうね。一応、断片的な情報だけは掴んできたわ」

「断片的?」

「ええ。〝彼女〟の話は長いから、その中から有益な情報だけを抽出するのは意外と骨が折れるのよ」


〝彼女〟、というのは以前七海コイツが言っていた、久世の好みのタイプについて知っているという人物のことだろうか。七海はそれが誰のことなのかをまったく教えてくれないのである。

 普通に考えて、この学園の生徒ではなさそうなのだが。


「さて、その上で――小野おのくん。貴方はこの情報、〝何日〟で買うかしら?」

「〝何日〟……?」

「そうよ」


 七海はパタリと本を閉じると、それを腰かけていたベンチの脇に置いてから、俺の目をじっと覗き込んできた。

 その彼女らしくない行動に、流石の俺も少々たじろぐ。いくら性格が終わっているとはいえ、この女が俺が今まで見てきた中でもぶっちぎりの美人だという事実は変わらない。そんな相手からこんな風に見つめられれば、多少はドキリとさせられてしまう。


「な、〝何日〟って、どういうことだよ?」


 七海から視線を逸らしつつ、俺は問い返す。


「簡単よ。私が得た情報のすべてを貴方に教えるか否か――その決定権は、私の手中にある」

「!?」

「だってそうでしょう。貴方は〝警護〟という実務を支払わなければならないけれど、それに対する私の対価は〝情報〟だけ。つまるところ、別に嘘を教えても契約違反にはならないということ」

「なっ……! て、てめぇそんなこと考えてやがったのか! この性根歪みまくりの最低女! クズ人間! 社会のゴミ! 人の皮を被った悪魔!」

「……私が言うのもなんだけれど、貴方も大概曲がった性格をしていると思うわ」


 七海は一つ嘆息すると、仕切り直すように俺の目を見つめてくる。


「勘違いしないでほしいのだけれど、私は出鱈目でたらめを言ったわけじゃない。貴方の知りたい情報を知っている子が居るというのも、その子から情報を引き出すのに苦労したというのも全て事実よ」


 ――俺を見据えてくる宝石のように美しい黒の瞳に、嘘の色は見えない。


「ただ、忘れないで欲しいだけ。私はその気になれば、嘘で貴方を騙すことだって出来るということを。この契約は、貴方にとって不利なものだということを」

「……!」


 確かに、言われてみればこの契約は俺に不利、というより、俺が確実に利益メリットを得られる保証のないものだと言える。

 俺はどうしたって七海を〝警護〟しなければならない。……正直、今のところ彼女に声を掛けてくる輩を牽制できている実感はあまりないが、少なくとも〝彼女の側に居る〟という実務が発生しているのは事実だ。

 それに対して七海は〝情報〟という、ある種曖昧あいまいな対価を支払えばいいだけ。極端な話、七海が〝久世の好みのタイプ〟と真逆のことを教えてきても、俺はそれを嘘だと看破かんぱすることが出来ないのである。


「安心していいわ。貴方が相応の対価を払うというなら、適当なことを言ったりはしない。私が確信に足ると感じた情報だけを伝えると約束する」

「相応の対価、って……」


 ごくりと唾を飲み込む俺に――七海はいつもの無表情さの中に、どことなく楽しげな空気をにじませながら、「もう一度聞くわ」と言う。


「小野くん。貴方はこの情報、〝何日〟で買うかしら?」

「……!」


 つまり、七海コイツはこう言っているのだ。

 ――七海未来わたしから正しい情報を得るために、小野悠真おまえは何日〝警護〟をするのか、と。

 そして、小野悠真おまえの提示する日数に満足すれば正しい情報を伝え、不満があれば適当なことを教えるかもしれない、と。


「(き、汚ねぇ……! ここに来て、後出しジャンケンみたいなこと言い出しやがって……!)」


 ――随分後になってから振り返ると、この時の俺はまだ知らなかった。

 七海未来ななみみくという女の〝賢さ〟を。

 そして――俺はこの時から既に、彼女に目を掛けられていたのだということを。

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