第三〇編 ハッキリしない

「じゃあやよいちゃん、後で絶対来てよ? 絶対だからね?」

「分かったってば。……じゃあまた明日」

「分かってないよねぇっ!? 今日の放課後、〝甘色(あまいろ)〟に来てって言ってるのに!」

「冗談だよ、冗談。また後でね」


 その日の放課後。騒がしく誘ってくる親友の声を背中に受けつつ、私はさっさと教室を出た。

 桃華ももかが〝甘色〟という喫茶店でバイトを始めてから数日。ようやく簡単な仕事には慣れてきたということで、初めて私を招待してくれたのだ。

 とはいえ、彼女のシフト開始時刻は一七時。今は一六時前だから、まだそれなりに時間が空いている。〝甘色〟は位置的には私や桃華の自宅方面にあり、学園からは一〇分ほどあれば着く場所にあるのだが、流石の私でも、一人で数十分もの時間を喫茶店で過ごす自信はなかった。

 というわけで一度帰宅し、改めて〝甘色〟へ向かうことにした私は、学生鞄をいつものように背負い、靴を履き替えて校舎を後にする。


「(……寒くなってきたな)」


 一一月の空を見上げつつ、私は少しだけ身体を震わせる。

 こういう微妙な時期はあまり好きじゃない。私は特別暑いのも寒いのも苦手ということはないのだが、〝ハッキリしない〟というのが私の性分に合わないのだ。


「(――〝ハッキリしない〟、か)」


 息を吐いて、私は今朝の光景を脳裏で思い浮かべた。自然と再燃するモヤモヤ感が、次第にイライラへと変わってくる。

〝ハッキリしない〟、〝知らない〟、〝分からない〟。

 どれも私の嫌いなことだが、小野悠真おのゆうま七海未来ななみみくの関係性はこれら三つを兼ね備えていた。

 どうでもいい幼馴染みと、特に興味もない学園のお嬢様の話だ。しかし、あれほど歪な組み合わせもそうないだろう。どういうバランスの上に成り立っているのか不明だが……私の知らないところで訳の分からない交遊関係が発足ほっそくしているというのは気味が悪い。

 いや、小野が誰と仲良くしていようが彼の自由だし、普段であれば私とて、小野がどこの誰と話していようが気にも留めないのだが……。


「――それじゃあ小野くん、また」

「あ、ああ……またな」

「!」


 ちょうど校門付近に差し掛かった私の耳に、そんな声が聞こえてきた。

 なんとなく物陰から覗いてみると、そこに居たのはまさに今考えていた二人――小野悠真と七海未来、そして見知らぬ長身スーツの女性だった。


「それでは失礼致します、小野様」

「は、はい」


 七海未来が見るからに高級そうな車に乗り込んだ後、キリッとした表情で挨拶をするスーツの女性に対して小野がペコリと頭を下げる。

 そしてその女性は運転席に乗り込むと、そのまま静かなエンジン音を響かせ、学園から走り去っていった。


「(……ああ、アレが噂の七海未来の送迎車か)」


 流石はお嬢様らしく、七海未来は登下校に家からの送迎車を使っていると聞いたことがある。彼女ほど家柄に恵まれていると、その反面で徒歩通学などは危険なのかもしれない。


「はあ……疲れた……」


 その呟きに目を向けると、小野はなんだかとても疲れた様子で、とぼとぼと帰路についていくところだった。

 同じ住宅街に住まう私とは当然ながら同じ帰り道なのだが……私はどうしてか、その後ろ姿に声をかけることが出来なかった。いや、元からそこまで親しいわけではない私たちが一緒に帰らなければならない理由も別にないのだが。


 結局私はあの二人の関係性を知ることが出来ないまま、小野とは違うルートを通って、モヤモヤしたまま家まで帰ったのだった。



 ★



 五時半をまわった頃、私は桃華との約束をきちんと守り、例の喫茶店へと足を運んでいた。

 今時古風なドアベルをカランカランと鳴らして店内へ踏み入る。ちなみに私は〝お一人様〟にそこまで抵抗がないタイプだ。喫茶店だろうがラーメン屋だろうが、カラオケ店にだって一人で入れる。というより、どうして一人で入れないのかが分からない。店員や他の客の視線が気になるのだろうか。だとしたら自意識過剰だと思うのだが。


「いらっしゃいま――あっ、やよいちゃん! 良かったぁ、今回は寝坊しなかったんだね!」

「私がいつも寝坊してるみたいな言い方やめろ」


 開口一番失礼な幼馴染みにツッコミを入れつつ、私はテーブル席の一つへと通された。この喫茶店は一応カウンター席もあるのだが、使われているところを見たことがない。まあそもそも、まだ数回しか来たことはないのだが。


「ご注文は何にされます~、お客さ~ん?」

「なんだその口調。んー、何にしようかな……」

「なんでもあるよ、好きなの注文してよ! 今日はやよいちゃんの自腹だから!」

「普通に私負担じゃねえか」


 そこは『今日は私の奢りだから』じゃないのかよ。いや、友達に奢らせるつもりもなかったけどさ。小野みたいなどうでもいい奴にならともかく。


「……あー、なんか今日寒いし、温かくて落ち着けるものがいいな」

「温かいものかぁ。それだったらカプチーノとか、ホットミルクティーとかがオススメかな――」

「ほうじ茶とおせんべいください」

「ないよ!? なんで喫茶店にまで来てそんなおばあちゃんみたいなチョイスするのさ!?」

「ほうじ茶だってお茶なんだから、喫茶を名乗るなら用意しといてよ」

「まさかのクレーム! ほ、ほうじ茶はともかく、おせんべいは普通に無理だよ! だって喫茶店関係ないもん!」

「いやいけるって。ほら……すぐそこにコンビニあるしさ」

「行って買ってこいと!? ちゅ、注文はメニュー表の中からしてください!」

「しょうがないなぁ。……じゃあメニューの中で一番……モトがとれる奴ください」

「なんか食べ放題みたいなこと言い出した! そんなの分かんないよ!」

「……あんた、ちゃんと勉強してんの? やる気ある?」

「バイト始めてわずか数日で商品の元値まで覚えられるわけないでしょ! もうやよいちゃん! いい加減にしてよね!」


 ぷりぷりと怒る可愛い幼馴染みに、私は表情に出ないようにしつつもニヤニヤ笑う。いちいちリアクションが大きい桃華は話していて飽きない。こんなふざけた会話も出来れば、真面目な話にもきちんと応じてくれる。その場の空気に合わせられるというのは、この子の数ある美徳の一つだろう。


「き、桐山さん? 厨房の方まで声が聞こえてきたけど、何かあったのかい?」

「ひゃいっ!? くくく、久世くせくん!?」


 そこへ現れたのは、喫茶店の制服姿が異様に似合う隣のクラスの王子様こと、久世真太郎くせしんたろう。他にお客さんが居ないとはいえ、流石に騒ぎすぎてしまったらしい。


「ななな、なんでもないよ? う、うん……な、なんでもない」

「凄くなにかありそうな言い方で不安になるんだけど……ほ、本当に大丈夫かい? お客様に粗相そそうとか……って、よく見たら金山かねやまさんじゃないか」


 心配そうな目をこちらに向けてきた久世は、そこでようやく私に気付いたらしい。私は彼にヒラッと手を振りつつ、申し訳なさそうな顔を作る。


「ごめんね、久世くん。桃華が騒がしくて」

「えっ、私のせいなの!?」

「基本、音量ボリュームがでかかったのはあんただけでしょ」

「誰のせいだと思って!? そ、そりゃあ私の声の方が大きかったかもしれないけど……」

「とりあえず久世くん、私ほうじ茶とおせんべいね」

「ええっ!? い、いやごめん、流石にほうじ茶とおせんべいは置いてないんだけど……」

「ちょっとやよいちゃん! 久世くんにまで無茶な注文しないで!」

「いやいけるって。ほら……すぐそこにコンビニあるしさ」

「行って買ってこいと!?」

「やーよーいーちゃーんー!」


 ついでのように久世もいじって遊んでいると、いよいよ桃華が本気で怒りだしそうな顔をし始めたので、「ご、ごめんごめん、冗談だってば」と苦笑しつつ謝る。桃華は普段温和な子だが、これで怒ると結構怖いのだ。線引きをわきまえないと後で痛い目を見ることになる。


「じゃあ……そうだな、二人で私に何かオススメなの選んでよ。予算は一五〇〇円くらいで」

「オススメかあ。うん、それくらいなら大丈夫かな。ね、ねぇ、久世くん?」

「うん、そういう注文をするお客様もいるからね。金山さん、何か苦手なものとかあるかい?」

「いや、特にないよ。じゃあ任せるね」

「かしこまりました、少々お待ち下さい」

「お、お待ち下さいっ!」


 優雅に一礼をする久世と、それを見て思い出したように一礼する桃華。多少慣れたといっても、久世と比べるとまだまだぎこちなさが残っているようだ。

 しかし久世の隣を歩きつつ、嬉しそうに彼と言葉を交わす桃華を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくるな。

 あの子ほど〝分かりやすい〟子も珍しいだろう。〝ハッキリしない〟のが嫌いな私からすれば、ああいう良くも悪くも素直な子というのは、見ていてストレスがなくて良い。

 今日一日を通して感じ続けていたモヤモヤ感から解放されたような、そんな気分になりつつあった、その時だ。


 ――今時珍しいドアベルをカランカランと鳴らして、〝その人物〟は現れた。


「いらっしゃいま――っ!」


 すぐに出迎えに向かった久世が、ガチッとその身を強張こわばらせる。なんだろうと思って見ると、そこに立っていたのはサングラスとマスクを身に付けた怪しげな女。

 それを見た久世は、なぜか少しだけ震えた声で呟くように言った。


「み――未来みく……」


 ――そういえば今日は、小野がシフトに入っていないようだった。

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