第二八編 護衛官・本郷琥珀

「お疲れ様でした、お嬢様」

「……そういうのは要らないと、いつも言っているでしょう」


 その日の放課後。珍しくバイトもなかった俺は帰宅しようと教室を出たところでバッタリと七海未来ななみみくと遭遇してしまい、半分仕方なく、自宅の車で送迎通学しているという彼女に校門まで付き合うこととなった。

 本当は、今日はもう七海と居るのは嫌だった。七海コイツ自身に問題があるわけでは――まぁないとは言いがたいのだが、どちらかというと、人からの好奇の視線に参ってしまったという部分が大きい。

 今朝のことだけでも散々クラスメイトから詰問されたというのに、昼休みになるとどうやって調べたんだか知らないが、七海から一通のメールが届き、結局昼食の時間も彼女と過ごす羽目になったのである。


 いや、別にそれ自体は問題ない。昼食をとったのは他の生徒が校則的に来られない屋上だったし、七海は俺を〝話し相手〟としてではなく、単純に〝他の生徒を寄せ付けないため〟に側においているだけ。つまり彼女が本を読んでいる間、その辺でスマホをいじっていればいいだけだなのだから。

 実際、彼女とはほとんど会話はなかった。……正直居心地は良くなかったが、嫌になるというほどでもない。俺は普段友人たちと昼食をとっているが、その時だって常に彼らと喋り続けているわけじゃないんだし。どちらが楽しいかと問われれば間違いなく後者だが、どちらかが突出して楽しいというわけでもなかった。


 俺が失敗したのは、七海の呼び出しに応じて屋上へ向かう際、周囲の視線など気にせずに階段を上がってしまったことだ。

 今朝の件で今日だけはやたらと注目を浴びている俺は、どうやら自分で思っている以上に〝見られて〟いたらしい。昼食を終えた俺を待っていたのは、クラスメイトおよび他クラスであろう見ず知らずの男子生徒たちからの二度目の詰問タイムだった。

 ちなみに俺は一貫して「ちょっと用事があるだけ」と答えている。……正直、これからも〝警護〟をする以上は無理のある言い訳だが、だからといって「久世くせの好きな人を知りたいからその代償を支払ってます!」なんて言えるはずもなかった。余計に厄介な噂が流れる気しかしない……男色的な意味で。


 というわけで、今日の俺はかなり疲れており、その疲れの根本的なところに七海がいたことから、精神的に彼女と居るのもしんどい状態だったのだが……。


「……丁度いいわ、付き合いなさい」


 などと命じられ、かなり嫌々ながらも、校門までくらいならと引き受けてやったのである。

 ちなみに、〝契約〟の上では俺が彼女の〝警護〟に当たるのは〝朝の校門からホームルームまで〟と〝昼休み〟の二回。それ以外の小休憩については〝来た方が目立つ〟という理由で免除された。

 つまり、この〝放課後の校門まで〟は完全に勤務時間外ということになる。本音を言えば無視したかったが、まぁ今後のことを考えると、今から恩を売っておくのも悪くないだろう。


 そして特に何事もなく、そして会話もないまま、ただただスタスタ歩いて正門に到着。そこで待っていたのが冒頭の言葉と、こんな学園の前では違和感しかないほどにうやうやしい一礼であった。

 七海に面倒くさそうに「要らない」と言われ、「申し訳ございません」と言いながら顔を上げたのは、以前に一度だけ見た長身スーツのコンクリート粉砕女だった。

 あの光景にわずかながらトラウマを持つ俺は思わず身構えるも――彼女は驚くほど柔らかい笑みを浮かべ、俺のことを見てきた。


「――お嬢様よりお話は伺っております、小野悠真おのゆうま様。お嬢様の警護を引き受けてくださったこと、この本郷琥珀ほんごうこはく、心より御礼を申し上げます」

「えっ、あっ、はい……?」

「……だからそういう大仰な真似をしないでと言っているでしょう」


 いきなりその場で片膝をつき――めちゃくちゃ高そうなスーツを着てそんなことをしないでほしいのだが――深く深く頭を下げてきた本郷というらしい女性に、俺は流石に戸惑いを隠せなかった。……いや、年上の女性にいきなりひざまずかれて平静を保てる奴の方が神経的にどうかしてるだろうが。

 七海もどこか諦めたように嘆息している中、本郷さんは静かに立ち上がると、目の端をこれまた高そうなハンカチで拭う。


「ああ……あのお嬢様にとうとうご学友が……! この本郷、感涙の極みでございます……!」

「彼は別に友人ではないのだけれど」


 俺も、七海コイツと友達になった覚えはなかった。……が、ここで「そうっすよ、誰がこんな女と」みたいなことを口走れば、今度粉砕されるのはコンクリートでは済まないかもしれないと考え、黙っておくことにする。


「……思えば長きに渡る道のりでございました……天真爛漫な美紗みさお嬢様と比べ、未来お嬢様は内向的で繊細なお方……! お母様譲りのその美貌も相俟って、自然と他人と距離を置かれるように……! ああ、なんという悲劇でしょうか……!」

「いきなり聞かれてもいないことを語らないでもらえるかしら」

「そこへ現れた小野様は、きっと深い親愛の情を持って、凍りついてしまったお嬢様の心を優しく解きほぐしてくださったのでしょう……! ああ、なんとうるわしき友情でございましょうか……!」

「(すみません、そんなこと一ミリたりともしてません。七海コイツの心は今も変わらず氷河期です)」


 いよいよ両目からドバドバ涙を流し始めた本郷さんに、俺は内心でドン引きしつつ、ちょいちょいと七海に耳打ちをする。


「……あの人、大丈夫?」

「ほぼ初対面の貴方からそんなことを言われる本郷には悪いけれど、大丈夫ではないわね」


 でしょうね、という言葉はなんとか飲み込むことにする。


「……つーかお前、どんだけあの人に心配させてきたんだよ。ヤバいだろあの人の涙の量。普通こういうシーンって『目の端ににじんだ涙をそっと拭き取る』くらいのもんだろ? あの人、滝じゃん。両目から滝レベルの涙が流れ出てるじゃん。もうハンカチが絞る前の雑巾みたいにドボドボになってるじゃん」

「知らないわ。私は居たくて一人で居ると、散々本郷にも説明しているのに、勝手に心配してくるんだもの。正直鬱陶しいし、面倒だわ」

「なんでそこまで深い愛情を受けておきながらそんな辛辣しんらつなこと言えるんだお前は……」


 とはいえ悪い人ではなさそうだな、本郷さん。

 フィクションだったらこういう場合、俺は〝お嬢様に付きまとう悪い虫〟扱いされ、表面的には厚待遇を受けるものの、七海のいないところではぞんざいな態度をとられたりするものなのだが……。


「小野様……本当に、本当にありがとう……ございます……うぇっぐ……うぐ……ッ……!」

「(ガチ泣きだ)」


 俺の手を両手で握り、感極まったようにぶんぶんと振ってくる本郷さん。……この人はどうやら心から俺に感謝しているらしい。だからといって、手の甲にボタボタと涙を垂らすのはやめてほしいのだが。

 ……敵対視されるのも嫌だが、これはこれで相当気持ち悪い。だって俺と七海は契約関係ではあれど、別に友達というわけではないのだし。

 なにより、初めて話すようなものなのに、俺のことを手放しに受け入れているというのは、仮にも超お嬢様であるはずの七海のお付きとしていかがなものか。いざ疑ってかかられても困るが……せめて自分の目で俺を見極めたりすべきなのではないのか。


「…………あの人、大丈夫?」

「この短時間で同じ質問を二度されるとは思わなかったわ」

「……一応聞くけど、あの人ってお前の何? お付きみたいなもんなんじゃないの?」

「そうね。付き人兼護衛官、といったところかしら」

「………………あの人、大丈夫?」

「何度聞かれても答えは同じよ。……大丈夫じゃないわ」

「でしょうね」


 今度は流石に声に出してしまった。


「……お節介を承知で言うけど……あの人、護衛官とか向いてないんじゃないのか?」

「いえ、あれでも相当な切れ者よ、彼女。頭脳も身体能力も、あそこまで秀でている人間はそうは居ないわ」

「…………まじで?」

「……そんなに疑わしげな目を向けないであげてくれる?」


 正直、涙どころか鼻水やらよだれやらで〝顔面だけ水没した人〟みたいになってる人を指して「秀でている」とか言われても信憑性の欠片もなかった。……だがまあ、確かにコンクリートを粉砕出来るような人が側にいるってだけでも、相当安全性は確保されてるんだろうけど。


「……本郷。いい加減にしなさい。いつまでそうしているつもりなのかしら」

「――ハッ! 申し訳ございません、お嬢様!」

「(変わり身早っ!?)」


 七海に言われた途端、一瞬で顔面水没状態から復帰し、即座に背筋を伸ばして直立する本郷さん。どこからどう見ても、ほんの二秒前までドン引きするほど泣いていた人には見えない。……どうやったのかまったく分からんが。


「……それじゃあ小野くん、また」

「あ、ああ……またな」


 別れの言葉と共に以前と同じ高級車に乗り込む七海。

 そして彼女が乗り込んだ後、音も立てずにドアを閉めると、本郷さんが真っ直ぐにこちらを見つめてきた。


「それでは失礼致します、小野様」

「は、はい」


 キリッとした表情で告げてくる本郷さんに、俺は戸惑いながらそれだけ言って、ペコリと頭を下げた。……なんだろう、あんなに駄目そうなところを見たというのに、むしろこの間までよりも苦手意識が増したような気がする。

 静かなエンジン音と共に走り去る高級車の後ろ姿をなんとなく見送りながら、俺は身体から力が抜けていく気分だった。

 ――せっかくのオフだが、今日はさっさと寝ることにしよう。



 ★



「それで、どうだったかしら」


 広い車内で軽く足を組んだ美しい少女は、運転席に座る長身スーツの女性に問い掛ける。


「はい。やはりお嬢様のご慧眼けいがんに狂いはなかったようでございます。その上でわたくし我儘わがままを聞き入れてくださり、有りがとうございました」

「構わないわ。それが、護衛官としての貴女の仕事でしょう」

「有り難きお言葉」

「それにしても、貴女が芝居まで心得ているとは知らなかったわ。小野くんも、すっかり貴女がああいう人間なのだと思い込んでいたもの」

「いえ、お嬢様。恥ずかしながら、私に芝居の心得はございません。先ほど、小野様に述べさせていただいた言葉は、偽りなき私の本心にございます」

「……あの涙も、そうだと言うのかしら?」

「その通りでございます」

「…………そう。――――…………それは出来れば偽りであって欲しかったわ」

「ふふっ、おたわむれを」

「いえ、それこそ私の本心なのだけれど……まあいいわ。……少し休むから、着いたら起こして頂戴」

「かしこまりました、未来お嬢様」


 ――静かになった車内で、黙って運転を続ける彼女、本郷琥珀は、ふとバックミラー越しにあるじの寝顔を見て、小さく微笑む。


「――彼との交流が、お嬢様に良き変化をもたらしてくれるかもしれませんね」


 その声音は、まるで愛しき子を見守る母のように優しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る