第二七編 目立ちたくない七海さん

 俺と七海未来ななみみくの間に契約関係が成立してすぐ、朝の一年一組の教室に女子生徒たちの黄色い声が響いた。俺がハッとしたように目を向けると、そこにはバイト仲間のイケメン野郎こと、久世真太郎くせしんたろうの姿があった。

 彼は相変わらずのイケメンスマイルを周囲に惜しげもなく振り撒き、「おはよう、皆」と挨拶をしては女子生徒たちからキャーキャー騒がれている。…………。


「…………七海。俺はお前が久世アイツを気に入らない理由が分かった気がするぞ」

「……その今にも血涙けつるいを流しそうな、嫉妬にまみれた表情を見る限り、私と貴方の彼に対して抱く感情は違うものだと思うのだけれど」

「いいや、同じさ――『モテる男滅ぶべし』、だろう?」

「一文字も合っていないわ」

「なんでなんだ……なんで、アイツがモテるんだよ……! 俺の方がバイト歴長いのに……!」

「一般的に〝アルバイト歴が長い〟は、異性から慕われる理由にはならないと思うけれど」

「なんでだよ!? 女が男に求めてんのは金だろ!? じゃあ長くバイトしてる俺の方がモテてしかるべきだろうが!」

「とりあえず、貴方が異性に好かれない理由だけは理解できたわ」


 窓際で騒ぐ俺たち――といっても七海は淡々としたものだが――の声に気が付いたのか、久世はニコニコとした笑顔のまま自然とこちらを振り向き……そして硬直した。

 接客業アルバイト特有のアイコンタクトスキルを応用して彼の思考を探ると、「なぜ小野おのくんが一組に!?」、そして「なぜ未来と話しているの!?」という二つの疑問が読み取れる。

 彼はギギギ……とぎこちない笑顔と動作で一旦クラスメイトたちとの雑談に入っていき、しかし視線だけはチラチラとこちらに飛ばしてくる。……なんだアイツ。


「……おい、アイツ明らかに俺のこと不審がってないか?」

「でしょうね。というより、貴方はそもそもこの教室では異物よ」

「異物」

「久世くんに限らず、ほとんど全員が貴方のことを不審がっていると思うわ」

「なんだと!? 久世あのやろう、許せねぇ!」

憎悪ヘイトはすべて久世くん一人に帰属きぞくするのね」

「他の生徒は良いさ。俺が今、この教室において異質なのは俺が一番分かってるからな。でも久世、アイツは駄目だ、なんとなく!」

「特に理由はないのね」


 興味もなさげに本に目を向ける七海。

 しかしそんな彼女も、久世がクラスメイトとの話を切り上げてこちらへ向かってこようとした瞬間――初対面の時にも見せた殺意マックスの瞳で彼の方を睨む。……「ヒッ!?」と小さく悲鳴を上げてUターンしていく久世には、流石の俺とて憐憫の目を向けずにはいられなかった。


「……お前、ホントに久世アイツのこと嫌いなんだな」

「いいえ。彼のことが特別に嫌いということはないわ」

「えっ、そうなのか?」

「ただ、私の半径一〇〇メートル以内に存在しないでほしいだけ」

「いや、それはもう〝特別に嫌い〟判定だろ」


 半径一〇〇メートルって。もはや同じ学園内に生息することすら難しいレベルじゃねぇか。


「……お前さっき、『目立つ人が嫌い』みたいなこと言ってたけどさ。それってやっぱり、目立つ奴が側にいると、七海おまえの方も注目されるからか?」

「あら、よく分かってるのね」

「ああ、今まさに俺がそうだからな」


 久世の登場によって多少は俺に向けられる視線は減っているが、それでも〝七海未来の側にいる男〟である俺は、一組の中だけでなく、廊下などからも「なんだお前は」みたいな目で見られている。

 仮に七海が一般的な生徒だったなら、間違いなくこうはならなかっただろう。なるほど、〝目立つ人間〟の側にいるということは、確かにあまり居心地の良いものではないかもしれない。


「……つってもお前はどのみち目立つんだし、今更久世が近くに来ようが来まいがあんまり関係ないんじゃないか?」

浅薄せんぱくな考えね。……たとえば小野くん。貴方が今この瞬間に粉々になったとしましょう」

「粉々」


なんだか恐ろしいワードに、俺は真顔でその言葉を繰り返した。

……「死んだとしましょう」とか「消えたとしましょう」みたいな抽象表現では駄目だったのだろうか。なぜそこを具体的したのか。そしてなぜよりによって〝粉々〟。


「でもこの学校においてほとんど目立たないであろう貴方が粉々になったところで、それを気に留める人はいないでしょう?」

「流石にいるだろ。つーか〝粉々〟レベルだったらもはやまったく知らないオッサンとかだろうがめちゃくちゃ気に留めるわ。だって事件性しかないもん」

「けれど粉々になったのが貴方ではなく久世くんだったら……それを見た人たちはどう思うかしら?」

「『グロい』一択」

「いいえ。『どうして久世くんが粉々に?』、よ」

「そこは粉々になったのが小野くんでも同じ疑問を抱くべきだろ。なんで粉々になったのが小野くんか久世くんかで、明らかにヤバい事件に対する認識まで変動すんだよ」

「つまり――そういうことよ」

「いやどういうことだよ!?」


 七海が何を言いたいのかがさっぱり分からない。そんな俺に対し、彼女は「察しが悪いのね」と小さく息をついて、本のページをパラリとめくる。


「要するに――同じ事をしていたとしても、〝目立つ人〟と〝そうでない人〟では周囲からの評価が一変する、ということよ」

「察せるかっ! 今の話のどこにそんな要素があったんだよ! 何回でも言うけど、〝人が粉々になっている〟レベルの事件で、その被害者が〝目立つイケメン〟だろうが〝目立たない地味男〟だろうが、その話題性はほぼ変動しないから!」


 というか七海コイツ、たとえ話下手くそか! 絶対要らなかったよ、今の〝粉々〟のくだり。むしろ伝えたい内容を伝わりづらくしてたよ。


「……まあ、なんとなく言いたいことは分かったよ。七海おまえ自身が目立つとか関係なく、〝目立つ奴に近寄られる〟のがそもそも嫌ってことだな?」

「ようやく伝わったようで何よりよ」

「お前の要らんたとえ話のせいで分かりづらかったんだけどな」


 まあ実際、俺みたいに目立たない奴が側にいてもそこまで注目はされない。……いや、俺的には十分嫌になるレベルの視線量だけど。

 でもこれが俺ではなく久世だったら、〝目立つ七海への視線〟と〝目立つ久世への視線〟が集約し、とんでもないことになるだろう。話題性だけなら〝粉々になった俺〟にも匹敵する。

 七海は、これ以上目立ちたくないと。そういうわけか。


 ……正直、そんなに目立ちたくないのなら、そもそも俺のことも側に置かない方がいい気もするのだが。〝七海未来の側に男がいる〟というのは、たとえそれが俺のような地味男でも相当に目立っているだろう。いや、彼女とは明らかに不釣り合いな分、余計に浮いている気さえする。

 しかしそれは、たとえ不躾ぶしつけな視線が増えたとしても、〝声を掛けられる〟よりはマシだということなのかもしれない。俺が側にいることによって多少見られることになっても、それで声を掛けてくる他の生徒を減らせるなら、と。……どんだけ声掛けられたくないんだよ、七海コイツ。まあいいけど。

 ――俺は、正当な〝対価〟さえ貰えればそれでいい。


「……そういえば、一つ聞きたいんだけどさ――」


 その時、学園にチャイムの音が鳴り響いた。始業のホームルーム五分前を告げる予鈴である。


「……なにかしら?」

「えっ? あー……いや、なんでもない」

「そう。だったらもう自分のクラスに戻っていいわ」

「お、おう。それじゃあ……うっ」


 俺が立ち上がると、クラス中から一斉に視線が降り注ぐ。俺がもう教室から立ち去ることが分かっているからか、さっきまでよりも無遠慮に俺を見定めるような視線が露骨なような気がする。


「(…………気分悪いな……)」


 七海が嫌になるのも分かる。……まあ彼女の場合はその現実離れした外見が原因だから、俺の感じている不快感とはまた別かもしれないが。

 すると、そんな四面楚歌のような状況の一組の中から、「小野くん!」と大声で俺を呼ぶ声がした。目を向ければ、一組の出入り口付近で手を振っている久世の姿が見える。


「おはよう、小野くん! バイトのことで話があるんだけど、ちょっといいかな!?」

「えっ、あっ、おう?」


 俺は一瞬、「何を言っているんだアイツは」と思って――すぐに気が付いた。

 久世はわざとああすることで、俺を自然に教室から出そうとしてくれているのだと。ついでに、俺に向けられていた視線の大半は、大きな声を出したイケメンへと矛先を変えている。

 ……あの男のこういった部分には、本当に敵わないと思わせられる。気遣いだけでなく、視野の広さや度量がなければ出来ない芸当だ。


「悪い、助かった」

「……なんのことだい。もうホームルームまで時間がないね。バイトの話は後にするよ」

「……ああ」


 爽やかな笑顔で見送ってくれた久世に感謝しつつ、俺は一組から離れる。……あんな男のことを冗談混じりとはいえ「モテるから気に入らない」などと思っていた一〇分前の自分が恥ずかしかった。

 ともあれ、ようやく針のムシロ状態から脱することができた。

 そしてそのまま、先ほど七海に聞きそびれた質問を胸中で反芻はんすうする。


 ――どれくらいこの〝警護〟を続ければ、七海から情報を得られるんだろうか。


 俺がそんなことをぼんやりと考えながら、自分の教室である一年三組へと足を踏み入れる。


「あっ、戻ってきたぞ!」

「おい小野、この野郎! お前どんな汚い手段使ってあの七海さんを篭絡ろうらくしやがった!?」

「このクズ野郎ー!」

「男の敵ー!」

「…………」


 クラスメイトの数少ない友人たち、ならびに普段はほとんど話すことのない男子生徒たちから一斉に問い詰められながら、俺はスッ……と遠い目をしてもの思う。


「(――目立つのって、こんなにしんどかったんだなぁ……)」


 ……しばらくはどこに居ようが針のムシロになりそうだと、俺は泣きそうになりながら思ったのだった。

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