第二六編 針山の人形少女
――身体中に、視線が突き刺さっていた。
自分が今、悪寒すら
俺が少し顔を上げると、
そして俺は、下手に周りを刺激したりしないようにこっそりとため息をつき、チラリ、と視線をすぐ隣の席に向ける。
ちなみにこの場所は朝の教室。私立
それなのにどうして俺が今、居たくもない
それは、およそ同じ人間とは思えないほどに美しい少女だった。
長く
学園指定の制服を一切着崩すことなく普通に着用し、校則に反するようなアクセサリーや派手な化粧も一切なし。〝着飾る〟という概念からもっとも遠いような姿をした彼女は、しかしそれでも、テレビで人気を博するアイドルや芸能人が凡人と変わらず映ってしまうほどの美しさを誇っていた。
その手にの中には、なにやら小難しい漢字のタイトルが記された、分厚い本が収められている。彼女はその
そんな彼女の一つ手前の席に横向きに腰掛けた俺は、もう一度小さくため息をついてから――我慢できなくなったかのように、彼女に言った。
「……なあ。やっぱりめちゃくちゃ見られてないか?」
「――そうね」
俺の問いかけに、彼女――
「いやまあ、分かってたけどな? こうなることは。お前みたいな女の側に居たら、そりゃこうなるよな」
「…………」
「でもさ……その上で、敢えて言わせてほしい」
俺は相変わらず、とんでもない量の視線を受けながら、ぼやくように言った。
「どうしてこうなった?」
「あら、もう忘れたのかしら」
やはり興味もなさげに
「私が〝貴方の欲しい情報〟を仕入れてくる代わりに、貴方は学校で私の〝警護〟をする。そういう〝契約〟だったはずだけれど」
「そりゃ……そうなんだけどさ……」
事の次第を大まかに表すなら、今この女が言った通りだった。
俺は昨日、「
「……つーか、〝警護〟とか言ってるけど、俺はお前を何から守ればいいんだよ。こう言っちゃなんだが、俺は弱いぞ?」
「それくらい見れば分かるわ。それに貴方にそんなこと期待していない。そういう警護なら、もう既にいるもの」
「は?」
当たり前のように言ってくる七海未来に、俺は疑問符を浮かべた。しかし彼女はその疑問を解消することなく、話を続けてくる。
「〝警護〟と表現しているけれど、別に貴方に『私の身の安全を守れ』と言っている訳じゃないわ」
「ああ、そういや昨日もなんかそんなこと言ってたような気がするけど……」
曖昧な記憶を辿る俺。というのも、昨日はあの後すぐに仕事に戻ってしまったため、詳しい話はまだ出来ていなかったのである。
「でも……じゃあ本当に、俺は何からお前を守ればいいんだ?」
「そうね。一言で言えば――『
「
「貴方には何度か話したかもしれないけれど、私にとって読書は一種の処世術。他人から声を掛けられないようにするための手段の一つ」
「…………」
それは確かに、以前に彼女から聞いた話だった。
集中して読書をしている人間に話し掛ける者など、そうはいない。やむを得ない用事がある者か、あるいは――俺のような無礼者か。
「――私は、
ポツリと、七海未来が言う。それは衆人環視に等しいこの状況で言い放つには、あまりにも攻撃的な一言だった。
「
彼女は視線を本に向けたまま、淡々と告げる。
「――ただそこに居るだけで〝目立つ〟
「!」
俺は思わず、この一組に在籍しているイケメン野郎の机に目を向ける。……どうやら、今朝はまだ登校していないらしい。
そんな俺に構わず、七海未来は続ける。
「貴方は、そういう
「…………俺が人から避けられてる、みたいな言い方はやめろ」
一応ツッコミを入れはするが、正直まったくそんな気分ではない。
七海未来。彼女は出会った瞬間から今まで、ずっとこうだ。
求めてもいない〝気遣い〟をしてくる
そして、ただそこに居るだけで〝目立つ〟
……なるほど、久世は「どうして未来に嫌われているか分からない」と言っていたが……それもそのはずだ。そんなこと、言われなければ分かるはずがない。というか、ほぼ理由なく嫌われているに等しい。〝目立つ〟なんて、能力の高い人間にとっては不可抗力のようなものなのだから。
「…………そこまでして他人を避けたいかよ?」
俺は、以前久世が浮かべていた悲しげな表情を思い出し、少しだけ怒気のこもった声で七海未来に問う。しかし彼女はそんなことは気にも留めない様子で、「軽蔑するかしら?」と返してきた。
「別に貴方に私の考えを理解しろと言うつもりはないわ。やりたくないというのなら、この〝契約〟は白紙に戻して構わない。けれどその場合――」
やはり淡々とした口調で、七海未来は続ける。
「〝貴方が欲しい情報〟も、私から教えることはないけれど」
「……っ!」
それを言われ、俺はぐっと言葉に詰まった。
……現状、〝久世の好みのタイプ〟を知ることは、
だがそれと同時に、「これでいいのか」と訴える自分も、間違いなく俺の中にいた。
恐らく、「誰とも付き合う気はない」と公言しているらしい久世の〝好みのタイプ〟なんてものを知っている生徒は、おそらくだが初春学園の中にはいない。居たとしても、それは俺の知り合いではないだろう。
つまり七海未来、正確には彼女の知る〝久世の好みを知る人〟以外に、俺がその情報を得る手段は現状ないと言っていい。
しかしだからといって、七海未来の言う〝契約〟を受け入れても良いものか。
だってそれは、彼女を想う〝誰か〟の恋を邪魔立てするような行いだろう。
いくらなんでも、赤の他人の恋路まで応援してやる義理は俺にはないが……それでもここまで露骨に邪魔者に、しかも自ら進んで成るというのには抵抗があった。
それになにより――
「……俺が本当にその〝警護〟をやり遂げたとしたら――お前は、〝一人〟になるんじゃないのか?」
恋人も出来ない。友人も出来ない。
居るのはただ、〝対価〟として自分を守る〝警護〟の俺だけ。
この〝契約〟は一見、七海未来にも
そういう意味を込めた俺の言葉に、しかし七海未来は平然とこう言った。
「それでいいわ。私は、一人で居たいもの」
「……!」
その黒の瞳の奥には、一切の迷いすら感じられなかった。
……やはり彼女は、こういう人間なのか。
何者よりも美しい。まるで
そして、何者よりも冷たい。まるで無機質な人形のように。
彼女は人形じみていた。良くも悪くも。
この七海未来という女は、俺と決定的に〝価値観〟が
「――答えを聞こうかしら」
――視線の突き立つ針山で、人形の女が聞いてくる。
その美しい問い掛けに、俺は無意識のうちに、ごくりと唾を飲み込んだ。
既に俺の中で答えは決まっていた。いや、俺がどう答えるかなんて、おそらくこの女だって分かっているのだろう。
それでもこうして聞いてくる。明確な答えを聞いてくる。
――これは、〝契約〟の名を借りた人形の
そんなホラーじみた考えが脳裏を
「……分かった」
短くそう答えると、七海未来はほんのわずかに笑みを浮かべ、そして少しだけ柔らかな
「――契約成立ね」
そう呟いて
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