第二三編 教育係
「――そういえば、前に『好きな人がいた』と言っていたわね」
一先ず
振り返ると、読書以外にはまるで興味などなさそうな七海未来が、珍しく本を置き、俺の方を見ている。
「……そんなこと、言った覚えはないな」
「あら、記憶力がないのね。人と話した内容くらい覚えておくべきだわ」
「その言葉そっくりそのまま返してやるわ!」
会話内容どころか、人の名前すら一日で忘れる女にだけは言われたくなかった。俺は結構根に持ってんぞ、ボロブルマのくだり。
しかしそんな俺に構うことなく、七海未来はその黒の瞳に俺を写したまま、静かな声で言う。
「あの時、貴方は『最後まで想いを伝えられなかった』と過去形を使っていた。でもあれは、〝その相手〟が居なくなったとか、遠くへ行ってしまったとか、そういう意味じゃなかったのね」
「…………」
七海未来の言葉に、俺は何も答えない。
この女が自分の意見や疑問以外のことを、こんな風に口にするのは珍しい気がする。いや、俺が彼女のことをよく分かっていないだけなのかもしれないが。
「――さっきの彼女が貴方の想い人、という解釈で、間違っていないかしら?」
「…………んなこと聞いてどうすんだよ」
ほとんど「正解だ」と言っているようなものだが、直接そう答えるのがなんだか悔しかった俺は、七海未来の問いに質問で返す。
彼女はそんな俺に特に気を悪くした様子もなく、淡々と「いいえ」と答えてきた。
「ただ、貴方が私に興味のない理由を知りたかっただけよ」
「……ハッ。誰も彼もがお前のことを好きになるもんかよ。悪いけど俺は、人は見た目じゃなくて中身で選ぶタイプなんだ」
「そう。本当だとしたらそれは素敵ね。けれど私は、その言葉ほど信用ならない台詞はないと思っているわ」
「ああ? ああ、確かに前そんなこと言ってたけど……でも俺は本当に――」
「じゃあ聞くけれど、もしさっきの彼女の顔が久世くんのものだったら、貴方はそれでも彼女を好きでいられる?」
「――――」
超極端な例を出され、しかし俺の脳ミソは勝手に言われるがまま、〝中身及び身体は桃華、顔だけが久世真太郎〟という
イケメン野郎の顔面で「悠真! おはよう!」と笑いかけてくる桃華……。
「……だいぶキモいが、不思議と無理ってほどじゃない俺がいる」
「……………………そ、そう……」
俺の答えに、七海未来は若干引いているような気がした。
……なんだろう、「俺は言葉通り、外見よりも中身なんだぜ」と言ってやれば彼女を論破できる場面だというのに……それを言ってしまうと「小野悠真は男の顔面相手でもイケる奴」みたいに思われそうで、どうしてもそれを口に出来なかった。
というか今更ながら、せめて女の子の顔で例えて欲しかった。そうすれば胸を張って「どうだ」と言えたのに。なんでよりによって変更後の顔面が男の久世? お陰でどう答えても俺が何かを失うじゃねぇか。
「けれど……そう。本当に貴方のような人も、世界には居るのね」
「待って、『貴方のような人』ってどういう意味? 違うから、俺は
――ヤバイ、このままだと俺は「久世の顔でも中身次第ならイケる奴」だ! そんなとんでもねぇ誤解されてたまるか!
……などと慌てる俺に対し、七海未来は「そうじゃないわ」と、なぜだか普段の彼女よりもほんの少しだけ柔らかい口調で言う。
「……コーヒーのお代わりを頂けるかしら」
「え? あ、ああ?」
あまりに唐突かつ、これまでにない注文をされ、戸惑う俺。
というのも、彼女はいつも注文を最初に済ませ、それを完食すれば追加オーダーなどせずに帰るのがお決まりだったからだ。「お代わり」なんて、今まで一度も聞いたことがない。
とはいえメニュー上、ブラックコーヒーはお代わり自由というのが〝甘色(ウチ)〟のルール。俺は仕方なく「しょ、少々お待ちください」とだけ告げ、七番テーブルを離れる。
――なんだか背中に、俺を品定めするかのような、不気味な視線を感じたような気がした。
☆
「でかした、久世ちゃん! キミはやっぱりやる男だな!」
「あ、ありがとうございます……」
……ホールから厨房に入り、隣接する事務所の方からやたらと上機嫌な店長の声が聞こえてきた瞬間、俺は七海未来のカップに新たなコーヒーを注ぎ、そして即座にその場からの離脱を試みた。あんな風にハイテンションな時の店長は正直かなり面倒くさい。関わらない方が賢いのである。
が、妙なところで目敏い店長はそんな俺を見逃すことなく、「あっ、
「聞いてくれ、小野っち! 昨日の今日で、久世ちゃんが二人目を見つけてきてくれたんだよぉ!」
その胸に久世を強く抱き締めながらそう言ってくる店長。そして俺に助けを求めるかのようにアイコンタクトを飛ばしてくる久世。
俺はそんな二人を交互に見て――そして笑顔で告げた。
「そうですか! じゃあ存分に久世を褒めてやってください!」
「ちょっと小野くん!? ぼ、僕を見捨てないでくれ!?」
「いや、俺ちょっと接客中なんで! 〝七番さん〟にコーヒー届けなきゃなんで! お客様を待たせるわけにはいかないんで!」
「小野くん、この間は未来からの注文に対して『アイツのは多少遅れてもいいだろ』とか最低なこと言ってたじゃないか!」
「ば、馬鹿! んなこと大声で言うんじゃねぇよ! 本人そこに居るんだから!」
助かりたい一心で昔のこと――実際はつい先日のことなのだが――を掘り返してくる久世に、俺は大慌てで彼の口を封じる。
あの女の性格上、いちいち厨房から漏れ聞こえてくる会話なんて聞いちゃいないと思うが……それでももし聞こえたらと思うと背筋が凍る。なにせあれでも超お嬢様なのだ。万が一敵に回せば、その厄介さは俺の幼馴染みの腐れギャルどころの騒ぎではないだろう。
店長に絡まれるのも嫌だが、あの女と敵対するのはもっとごめんだ。俺は仕方なくコーヒーを置き、久世を店長の胸から引き剥がしてやった。
「なんだよぅ、せっかく
ブーブーと文句を言ってくる店長は、しかしやはり上機嫌な様子で、ニコニコ笑顔で俺たちのことを見る。
「いやぁ、本当に助かるよ。仕事を覚えてもらうためにも、なるべく早い方がいいなぁと思ってたんだ。それをまさか一日で連れて来てくれるとは! 今なら抱いてやってもいいぞ!? 抱いてやろうか!?」
「セクハラで訴えますね。おい久世、労基の電話番号を――」
「ごめんなさい、マジで謝るからやめてください」
一瞬で平静を取り戻して土下座する店長。……この人がモテないの、本当にこういうところが原因だとつくづく思う。
俺はため息をついて取り出したスマホをポケットに仕舞うと、「で?」と店長に問い掛ける。
「桃華を雇うんですか? というか、本人はなんて?」
「ん? ももか? ああ、あの子の名前か。もしかしてあの子、小野っちとも知り合いなの?」
「知り合いというか……まあ、幼馴染みみたいなもんです」
「そもそも、彼女のことを僕に教えてくれたのは小野くんなんですよ。僕は声をかけただけで」
余計なことを言う久世に、俺は「(要らんこと言うなよ……)」と内心で舌打ちをする。……まあ久世の性格からして、「二人目を見つけてきた手柄」を自分だけのものにするとは思っていなかったが。素直というか、馬鹿正直というか……。
そして俺たちの話を聞いて、店長は「なるほどなるほど」と頷く。
「ま、そりゃ久世ちゃんが交渉した方が成功率高いだろうしね。イケメンだし」
「その通りですけど、めちゃくちゃムカつきますね」
「いい判断だぜ、小野っち。自分の
「組んでねぇよ」
なんだ〝非モテ連合〟って。聞いたことねぇよ、そんな悲しすぎる組織名。
「さっきの小野っちの質問に答えると、彼女もうちでバイトしてみたいって言ってくれてるし、雇うことに決めたよ。真面目にやってくれそうだし、成績もいいみたいだし、しかも可愛いしで、言うことなしだ!」
相変わらずの即決だったらしい。……思い返せば、俺が四月に面接に来たときもそうだった記憶がある。成績や顔が
「――ともあれ、これで人員不足はなんとかなりそうだな! よし、じゃあ
「えっ!?」
「……!」
店長直々の指名に久世が驚きの声を上げ――そして俺は期待していた通りの展開に、ぎゅっと手のひらを握り締める。……これは喜びを込めたガッツポーズだと自分に言い聞かせるが……本当はそうじゃないということは、自分が一番よく分かっていた。
「ぼ、僕がですか? 小野くんの方が相応しいんじゃ……」
「小野っちは今、久世ちゃんの教育係なんだから負担が大きくなるだろ? それに、基本夕方のバイトの子達にしてもらう仕事は一緒だからね。久世ちゃんにだって教育係は出来るはずだ」
正直なところ、俺が久世に教えられるような仕事なんて、もうほとんど残っていなかった。店長はもしかしたら、久世に〝復習〟をさせる意味で、彼に教育係を任せるつもりなのかもしれない。
「必要な書類を受け取ったら制服を準備して……あの子には一週間後くらいからシフトに入ってもらおうと思ってるんだ。二人とも、異存はないね?」
「は、はい!」
「……はい」
店長からの確認に返答する俺と久世。
――来週からは、この喫茶店に来るのが少し
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます