第二二編 〝七番さん〟と変わり者

 喫茶店〝甘色あまいろ〟は、通常三名から五名の従業員によって日々営業されている。

 経営者である一色小春いっしきこはる店長を中心として、主に午前の業務を担当するパートタイマーさんが三人、大学生のアルバイトが三人、そして高校生のアルバイトが二人。この合計九人でシフトを組んで、業務の振り分けを行うのである。

 といっても、キッチンに入るのは店長とパートタイマーさんだけ。例外的に大学生アルバイトの人が一人だけキッチンの仕事も覚えているが、それ以外のアルバイトは皆、ホール業務の担当だ。


 だが、たかがホール業務と侮ってはならない。喫茶店に限らず、接客業というのは一歩間違えれば即信用を失う世界だ。特にこのご時世、SNSや口コミであっという間に悪評が広まってしまう。そうなれば〝甘色〟のように個人経営の喫茶店など一溜まりもない。

 ゆえに、俺たちホール担当者に求められるのは高い接客スキルだ。

 とはいえ、なにも難しいことをやれというわけではない。大切なのは笑顔、気持ちのいい挨拶、そして客や他の店員への敬意や礼節。

 簡単なこれらを忘れないことこそが、接客業の極意なのである。


「はあぁ……」

「いや入ってくるなりデカい溜め息だなオイ! しかも顔暗っ!? 笑顔どころか絶望に打ちひしがれてる奴の顔なんだけど!?」

「あ、店長……うす……」

「いや挨拶! 『うす』って、お前は愛想の悪い運動部員か! ちゃんと『おはようございます』って言い直して――」

「店長、今そういうのいいんで……というか日頃からなにかと雑に生きてる店長に説教されるとか屈辱的なんで、静かにしてて貰えますか……」

「どういう意味だよ! 今さらだけど、お前ほんとあたしに対する敬意とかまったくないのな! いっそ清々すがすがしいわ!」


 喫茶店の裏口から事務所に入るやいなや、騒がしい店長に絡まれ、ただでさえテンションの低い俺はもう一度「はあぁ……」と大きな溜め息をついた。言うまでもなく、これから接客に臨む者の状態ではない。

 だが、やはりどうしても上がらない日というのはあるものだ。特に今日は朝から〝二人目〟探しに奔走していたこともあり、すでに疲れが蓄積されている。

 もっとも――俺のテンションが低い理由は、そこにはないのだが。


「……笑顔? 挨拶? 敬意? ……はっ。そんなもんなくたって、コーヒーと茶菓子さえ出しときゃ喫茶店くらい成立しますよ」

「接客業舐めてるにもほどがあるだろ! ど、どうしたんだよ小野おのっち!? 私への態度が日増しで悪くなっていくのは半年前からそうだけど、それでも接客マナーだけは心得てるっていうのが、小野っちの唯一の取り柄だったじゃないか!」

「取り柄が〝接客マナーを心得てる〟だけって、俺はどんだけつまんない人間なんですか」

「安心しろ小野っち。世の中な、下には下がいるんだよ。その程度の取り柄しかない小野っちでも、〝下の下の中〟くらいの位置にはいるさ」

「〝下の下の中〟って、それもう果てしなく最下層に近いじゃないですか」


 店長は励ましの言葉をかけたつもりなのかもしれないが、どちらかというと普通に罵倒に類する発言だぞ、それ。少なくとも、言われて嬉しいような言葉では全然ない。


「……まあいいか。小野っちが情緒不安定なのは今に始まったことでもないし」

「誰が情緒不安定ですか」

「最近よく沈んだ顔してたしな、小野っち。……でも安心しな? なにかあったときはいつだって――この小春お姉さんの胸で泣いていいんだぜ?」

「セクハラで訴えますよ」

「結構格好いいこと言ったつもりだったのに、そんな冷たい反応ある!?」


 やかましい店長の声を背中に受けつつ、俺はさっさとロッカールームに入っていつもの制服に着替える。シフトの時間まではまだ少しあるが……たまには早めに仕事を始めるのもいいだろう。

 それに――今は仕事でもしていた方が、気が紛れていいはずだ。


「店長。ホール出てくるんで、サボってないで仕事してくださいね」

「サボってないわ! 子どもには分からない仕事がたくさんあるの!」


 キッチンの仕事の合間を縫って事務作業をする店長の脇をすり抜け、店内へ出る俺。相変わらず、平日の午後からはガラガラの店内を見回して――そして店内奥の方に、見知った人物が腰掛けていることに気が付く。


「……よう。来てたのか」

「…………」


 歩み寄って一応声を掛けると、その人物――サングラスとマスクで顔を隠した美少女、七海未来ななみみくが、ちらりと視線だけをこちらに向けた。その手の中にはいつものように本が開かれている。よく分からないが、タイトルから著者名、出版社と思われる表記に至るまで、すべて英語で書かれている本だ。……え? なにコイツ、英語で書かれた本とか読めるの?


「……今朝も言ったけれど、集中して読書をしている人間に声を掛けるのは無礼というものよ」

「え? あ、あぁ……」


 そういえばそんなことを言っていたな。あの後色々ありすぎて忘れていた。


「……そういや、今朝は聞かなかったけど……お前、本を読むことが〝処世術〟って言ってたよな? あれ、どういう意味だ?」

「そのままの意味よ。読書をしていれば、迷惑な人たちから声を掛けられたりしなくて済むもの。……貴方のような無礼者を除けば、ね」

「あーはいはい、悪かったって。……でも、そこまでして話しかけられたくないのか? いやまぁ、下心のある男から話しかけられるのは嫌かもしれないけど……それだと、女子とも話せないんじゃないのか? 」

「別に構わないわ。というより、学校で誰かと話す必要なんてないもの」

「ええ……」


 淡々と、まるで「当然でしょう?」とばかりに言ってくる七海未来に、流石の俺も軽く引いていた。

 いや、俺だって友達は多くない……というか、平均的な男子高校生と比較すれば少ないくらいだと思うが、それでも「誰とも話さなくていい」とはとても思えない。休み時間は友人と話していたいし、昼飯だって誰かと食いたい。誰だってそうだろう。

 でもコイツは強がりでもなんでもなく、普通にと思っているようだった。


「…………お前、変わってるな……」

「……なぜかしら。貴方に言われると凄く腹が立つわ」

「なんでだよ。それじゃまるで、俺が変人みたいじゃねえか」

「…………自覚ないのね」

「おい、なんだその腹立つ溜め息は」


 溜め息をついてコーヒーを口にする七海未来に、俺はこめかみをひくつかせる。……所作がいちいち、やたらと優雅なのがさらに腹立たしい。

 そんな俺に、七海未来は「……とにかく」と話を元に戻してくる。


「私はただ、一人で居られるならそれでいい。誰かと親しくなる必要もない。前にも言ったけれど、私に声を掛けてくる人間の大半は、私の中身ことなんてほとんどなにも知らない。知らないくせに、私の見てくれだけで好意的な目を向けてくる。……迷惑なだけだわ」


 どこか悲しげに――といっても顔はほとんど見えないのだが――そう言った七海未来に、俺は「まあ確かに」と相槌を打つ。


「お前の性格こと知ってて仲良くしたがる奴とか、ほんとどうかしてるしな。奇特きとくな奴にも程がある」

「…………それはどういう意味かしら」

「ひっ!? な、なんだよ、同意してやってんだろ!?」


 ずらしたサングラスの奥からギロリと睨まれ、俺は思わず小さく悲鳴を上げてしまった。や、やっぱコイツ、怖ぇ。


「…………やっぱり、貴方は相当に変わってるわ。私の容姿をなんとも思っていないようだし……思えば、最初から私に敵対的だったものね」

「は? あぁ、いや、だってあれは……」


 彼女がどうやらラブレターの件のことを思い出しているのだと理解し、俺はわずかに口ごもる。……あの時は確かに、コイツに対して怒っていたから〝敵対的〟だったと言われても反論は出来ないのだが。

 しかし、俺は別に七海未来の容姿をなんとも思っていない、なんてことはない。素顔を見ればめちゃくちゃな美人だと思うし、だから今朝、学校でコイツに声を掛けるのはそれなりに緊張もした。

 だが、それでも俺が七海未来と普通に話せるのは、コイツの性格がいけ好かないと分かっているから。そして何より――


 ――カラン、カラン。


 その時だった。古風なドアベルの音と共に、〝甘色〟の入り口の扉が開かれる。珍しく客か、と思って目を向けると、そこにいたのは一組の男女だった。

 そして彼らの姿を目に止めた俺は――無意識のうちに、拳をぎゅっと握り締めてしまう。

 ……また、胸の奥の痛みが発熱する。


「えっと、じゃあまずは店長に話を――っと、小野くん! 遅くなってごめんね!」

「あっ、悠真ゆうま!」


 男女――久世真太郎くせしんたろう桐山桃華きりやまももかが歩み寄って来るのを見て、ズキズキとした疼痛とうつうが、心臓をむしばんでいくのを感じる。

 その痛みを誤魔化ごまかすように、握った拳の中で爪を手のひらに食い込ませながら、俺は二人に「おう」と無愛想を装った反応を返す。


「遅えよ。遅刻ギリギリじゃねえか」

「ご、ごめんごめん。話が長くなってしまったんだ。あっ、でも聞いてよ小野くん! 朗報だよ!」


 久世は嬉しそうに笑いながら、言う。


「桐山さん、〝甘色〟でアルバイトをしてみたいって言ってくれたんだ!」


 ――「だろうな」なんて返事は、当然出来なかった。

 あの後、一年二組の教室で二人がどんな話をしたのかは、〝外野〟の俺には知る由もない。

 けれど……まだどこか頬の赤い桃華の表情を見れば、久世の〝勧誘〟が成功したことなんか明白で。

 それは桃華の恋を応援すると決めた俺にとっても喜ぶべきことである――はずなのに。

 なのに、俺の心臓は、やはりどうしようない痛みを訴え続けている。


「――そういうことね」


 そんな俺のすぐ後ろで、〝七番さん〟が小さく呟いたような気がした。

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