第二一編 違和感

「ねえねえ、やよいちゃん。今日はバイトないんだよね? どこか遊びに行かない?」

「んー、そうだなぁ……」


 放課後になって生徒もまばらになりつつある一年二組の教室で、私は親友である桐山桃華きりやまももかの誘いを聞き流しつつ、残り少ない紙パック豆乳をすすっていた。

 結局、この豆乳を奢ってきた幼馴染み、小野悠真おのゆうまの目的は分からないままだ。


「(桃華この子がバイトしてるかどうか……なんて、なんで私に聞いたんだろう)」


 たしか、小野アイツのバイト先の喫茶店でバイト募集をしてるとかなんとか言ってたっけ。それに桃華を誘いたい、とも。

 そのくせ、桃華本人にはまだその話を通していないらしい。通しておいてやろうか、と聞いたが、なぜか断られてしまった。

 別に話の内容自体に変なところはなかった。桃華に聞かれてまずいような話ではまったくない。しかし、だからこそ不自然なのである。


「……ちょっと、やよいちゃん? 私の話聞いてる?」

「ん? ああ、聞いてる聞いてる。……アンタがハムスター大のゴキブリを飼い始めたって話でしょ?」

「一ミリも聞いてないよねぇ!? というかなにそのえげつない生物!? 想像するだけで鳥肌立つんだけど!?」

「いやほんとだよ。よくそんなの飼おうと思ったよね。友達ながらドン引きだわ」

いわれのない中傷はやめてくれないかな!? だいたいやよいちゃんは知ってるでしょ!? ワタシ、ムシ、ムリ!」

「なんで急に片言カタコトなんだよ」


 両手で大きなバッテンを作る桃華にツッコみつつ、私はくすりと笑みをこぼす。相変わらず、いちいちリアクションが大きくて飽きない子だ。私はそこまで他人とつるむのが好きではないが、この子だけは昔から、どれだけ一緒にいても嫌になったことはない。

 もっとも、私と桃華の相性が特別良いというわけじゃない。どちらかと言えば、桃華の持つ特性のようなものだ。この子は誰とでも仲良く出来るし、誰とだって自然に馴染める。この子のことが嫌いだという人に、私はまだ会ったことがないくらいだ。

 天真爛漫で優しくて、良くも悪くも素直で正直。歳を重ねるごとに誰もが少しずつ失くしていくはずのそれらを、この子はすべて手の中に大事に収めたままなのである。


「(そりゃ、クラスの男どもがこぞって仲良くしたがるわけだ……)」


 可愛くて、優しくて、素直で、しかも話していて面白い。ついでに言うと、この子はコレで頭もかなり切れる方だ。……まあ天然的な馬鹿っぽさはあるんだけど。

 そんな桃華は当然、男子生徒の憧れの的である。容姿については一組のお嬢様――七海未来ななみみくには劣るだろうけれど、内面的な魅力も踏まえれば桃華だって負けていないはずだ。

 とはいえ、どこの馬の骨とも分からない男に、私の大切な幼馴染みをくれてやるつもりは微塵もないが。

 この子の悲しむ顔だけは――私は絶対に見たくないのだ。


「……ね、ねぇやよいちゃん……本当に私の話、聞いてる……?」

「…………ご、ごめん」

「もー! やよいちゃんのバカァッ!」


 ……考えているそばから、桃華の悲しそうな顔を見てしまった。ついには両手もろてを振り上げて怒りだす彼女に、私は「どうどう」と制止を促す。

 そんな、私たちの間ではわりと良くあるやり取りを繰り広げていた時だった。


「――桐山さん。今、少しいいかな?」

「よくないです! 私今ちょっと怒ってるん……で……」


 興奮冷めやらぬ桃華がくるりと振り返り――そしてあっという間に静かになった。そしてその代わりとばかりに、彼女の顔があっという間に紅潮していく。

 そんな桃華の目の前に立つ人物を見て、流石の私も少しばかり驚いていた。なにせそこにいたのは――


「こんにちは。えっと、前に一度だけ話したことがあるんだけど、覚えてもらえているかな? 一年一組の、久世真太郎くせしんたろうといいます」


 ――学年一のイケメンとして名高い男子生徒にして、桐山桃華の初恋の相手こと、久世真太郎だったからだ。

 爽やかに挨拶してくる想い人たるイケメンを前にし、桃華はといえば「へ……あ……う……?」などと、〝言語機能が一時停止した人〟のようになってしまっていた。ちなみに彼女、もはや顔どころか耳まで真っ赤に染まってしまっている。

 私は硬直している友人をフォローすべく、彼女の代わりに口を開く。


「……覚えてるよ、久世くん。〝甘色あまいろ〟、だっけ? 喫茶店で話して以来だね」

「良かった、忘れられてなかったんだね、金山かねやまさん」


 ニコッと嬉しそうに笑うイケメンに、私の中にも一応は備わっているらしい〝ときめきメーター〟が「ギギッ……」という錆び付いた音と共に、わずかながら反応を示した。……私に色恋沙汰への興味など皆無だと思っていたのだが、これがイケメンの魔力というものなのだろうか。

 枯れた私でさえこれなのだ。この純真無垢幼馴染みからすれば、目の前にいるのはちょっとした生物兵器みたいなもの。そりゃ言語機能くらい破壊されてもおかしくないだろう。


「えっと、実は桐山さんに話があってきたんだけど……」

「ひゃ、はひゃいっ!?」


 ガタッ、と椅子を蹴って立ち上がる我が幼馴染み。その両手両足はピシッと伸ばされている。……好きな人というより、超怖い先輩に絡まれている時の運動部員みたいな反応だった。


「その、ちょっとしたお願いというか、勧誘みたいなものなんだけど――」


 それを聞いた瞬間、桃華は両目をカッと見開き、そしてどこで身に付けたのか知らないが、無駄に洗練された敬礼と共に声を張り上げる。


「はひっ!? つ、つつしんでお受けいたしまひゅっ!?」

「ええっ!? ま、まだ何も言ってな――」

「愚かしき我が身を粉にする所存で尽くさせていただきまひゅっ!?」

「不要すぎるほどの覚悟! い、いや、そんな大層なことじゃないし……話を聞いてもらって、無理そうなら全然断ってもらっていいから……」

「だだ、大丈夫ですっ!? ここにいるやよいちゃんを生け贄に捧げてでも成し遂げてみせますっ!?」

「オイ、勝手に私を生け贄に捧げるな」

「ぎゅえっ」


 流石に幼馴染みの見苦しい姿をさらし続けるわけにもいかず、私は仕方なく桃華の鳩尾に裏拳を叩き込んだ。桃華は潰れたカエルのような奇声を発し、バタリと机の上に倒れる。

 ……おっと、そんな私の洗練された一撃を見て、久世真太郎が若干引いているようだった。なんとか場を立て直さなければ。


「……ごめんね。この子――たまにああなるの」

「だとしたらだいぶ深刻そうだけど大丈夫!?」


 驚愕的な顔をする久世真太郎。……たしかに、たとえ〝たまに〟でもあんな風になる女子高生なんて、割と女として終わってるな。


「うえぇ……い、痛い……鼻からスイカを出すくらいの痛みだよ……」

「出したことあんのかよ」


 ヨロヨロと起き上がりながら妊婦みたいなことを言う桃華に冷たく言葉を返す私。

 しかしどうやら私の一撃のお陰で桃華は多少なりとも平静を取り戻せたようだ。顔は依然として赤いままだが、久世真太郎と会話が出来るくらいには落ち着いたらしい。


「え、えっと……そ、それで、久世くん。私にお願いって、なにかな?」

「あ、うん。実はね――」


 ――久世真太郎の話を要約すると、「桃華をアルバイトに誘いたい」というものだった。

 そしてそれを聞いて、私はようやく小野が――久世真太郎と同じ喫茶店で働いてるアイツが――なぜ私にあんなことを聞いてきたのかを理解する。

 要するに小野が言っていた「話をつけに行かせる」というのは、久世真太郎から桃華をバイトに誘わせる、という意味だったわけだ。


「(……でも、わざわざ久世に桃華を誘わせるってことは……小野アイツ、知ってるのか? 桃華が久世を好きだってこと……)」


 普通に考えて、ただバイトに誘いたいだけなら、一度話したきりの久世真太郎ではなく、幼馴染みである小野が桃華を誘うべきだろう。そしてそうしなかったということは、何か別に狙いがあるということ。つまり「桃華と久世をくっつける」だとか、そういった目論見もくろみがあると考える方が自然だ。

 そして、もしそうだとすれば、小野は「桃華が久世のことを好いている」ことを知っているということになる。


「(……そういや、確かに小野アイツのいる前でそういう話をしたことがあるようなないような……あんまり覚えてないけど)」


 基本、私の小野に対する認識は〝喋る空気〟みたいなものだ。居ても居なくてもそれほど影響はないというか……。特別信用したりはしてないけど、いちいち警戒もしないというか……。

 だからつい、小野アイツの前でぽろっと、桃華の久世真太郎に対する恋慕を匂わせるような発言をしたことがある……のかもしれない。


「(……しかし、だからってわざわざそんなバックアップしてくれるようなキャラだっけ、小野って。そんな気が利く真似が出来る奴じゃなかったような……)」


 何度も言うが、私と小野は一応幼馴染みではあるが、そこまで親しい間柄じゃない。だから小野アイツ性格キャラまでは私も把握しきれていない部分がある。

 いや……でもそういえば、前に〝甘色〟に行くきっかけになったのは小野アイツが、久世真太郎があの喫茶店でバイトを始めたと教えてくれたからだったか? だとしたら、〝小野、案外気が利く奴説〟は事実なのかもしれない。

 もし小野アイツが「幼馴染みである桃華の恋を応援してやりたい」みたいな奴だったなら……私の中で小野の株は急上昇だ。「なんだよ、やるじゃないか」と言って、その肩をポンポンと叩いてやりたい。


「(……でも――本当にそうか……?)」


 なぜかほんの一時間ほど前の光景が、私の瞼の裏によみがえる。それは自販機横のベンチで、ひどくつらそうな表情をしていた小野の姿だった。

 ……と、そこで私はふと、教室の出入り口付近に人の気配があることに気が付いた。


「(あれ……小野……?)」


 その人物がちょうど立ち去るところだったためハッキリとは視認できなかったが……それは小野悠真らしき男子生徒だったような気がする。

 まあ、久世真太郎を送り込んだのは小野アイツなんだろうし、別に彼がここに居たとしてもなにも不思議はない。不思議はないのだが……。


「(……なんだろう……この違和感というか、モヤモヤ感は……)」


 幼馴染みの恋を応援する。それ自体はいい。というか、私的には非常に高ポイントな行動だ。

 しかし……その行動と、あの小野の表情がどうしても噛み合わない。

 だって、あれではまるで――


「(――小野アンタが、桃華に失恋したみたいじゃないか)」


 桃華の――惚れた相手の恋を応援するような真似をしているから、あんな苦悶くもんの表情を浮かべていたみたいじゃないか。

 私はちらりと、久世と嬉しそうに言葉を交わす桃華の姿を見る。

 もし、もしも私の想像通りだとしたら、この光景は彼にとって……。


「(……いや、考えすぎだな。なにもかも恋愛と結びつけるなんてどうかしてる。どうせバイト勧誘の仕事が面倒だから久世に押し付けただけでしょ。小野だし)」


 そう考えてふるふると首を振り、変な考えを脳みそから放り出す。先ほど錆び付いた〝ときめきメーター〟が稼働したせいで、頭が変になっているだけに違いない。

 ……そのはずなのに、あのつらそうな顔をした小野の姿は、どうしても私の瞼の裏から消えようとはしてくれなかった。

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