第二〇編 胸の奥の痛み

桐山桃華きりやまももか、さん?」

「ああ。前に一度〝甘色あまいろ〟で会ってるだろ? ほら、お前がバイト始めてすぐくらいの頃」


 金山かねやまに話を聞きに行った後、その日の授業を終えた俺は、一年一組の教室前で久世くせに〝二人目〟の有力候補として、桃華のことを話題に挙げた。

 俺の出した名に首をかしげる久世が思い出せるように二人が以前会っていることを伝えると、彼は「いやいや、そうじゃなくて」とかぶりを振る。


「それはもちろん覚えているよ。確か金山さんっていう子と一緒に来た女の子だよね?」

「おお、よく覚えてるじゃないか。そうそう、その如何にも気強そうな……第一声で『キモい』とか平気で言ってきそうな、性格の悪い腐れギャルと一緒にいた子だよ」

「いや金山さんへの悪罵あくばが凄いね!? いったい何があったらそんなに罵倒文句がつらつらと出てくるんだい!?」

「俺、アイツのこと苦手なんだよ。ガキの頃からな」

「子どもの頃から……?」


 再び首をかしげる久世。……そういやコイツには、俺と桃華と金山あのふたりとの関係は腐れ縁だとかなんとか言ってたんだっけか?


「……俺とあいつらは幼馴染みみたいなもんなんだよ。お前と七海未来ななみみくみたいな感じだな」

「へ、へぇ……そそ、そうなんだ……」

七海未来アイツの名前出しただけで怯えすぎだろ……」


 突然自分の肩を抱いて震えだす久世に、俺は呆れてため息をつく。

 まあ、理由もなく嫌われてるらしいし、その気持ちが分からないわけでもないのだが。俺だって、幼馴染みながらも金山への苦手意識はあるわけだし。

 なんとなく一組の教室を覗いてみると、もう七海未来は帰宅した後のようだった。……そういやアイツ、いつも俺より早く下駄箱に居たりしてたな。どんだけ学校に興味ねぇんだよ。


「……それは分かったけれど、どうして桐山さんを? 彼女も未来みたいに〝甘色〟の常連だったりするのかい? あんまり見かけた記憶がないけれど……」

「あー……」


 そりゃそうだ、という言葉を俺は飲み込む。

 なにせ俺が知る限り、桃華が〝甘色〟に来たのはわずか二度だけ。それも一ヶ月近く前の話だ。

 どうやら、先に七海未来を「常連だから」という理由で――つまり、既に〝甘色〟のことをある程度分かっているからという理由で勧誘しているせいで、久世の中で〝二人目〟のハードルが上がってしまっているらしい。相も変わらず真面目な奴だ。


「……いや、確かに桃華は〝甘色ウチ〟の常連とかじゃないけどさ。でもそんなこと言ってたらそもそも初春はつはるで〝二人目〟なんて探せないだろ?」

「確かにそうだね。〝甘色〟に学生客はあまり来ないし」

「それに、別に始める前から〝甘色〟に詳しくなきゃいけないわけじゃない。極端な話、真面目に頑張れる奴なら誰だっていいんだ。そういう意味じゃ桃華は適任だぞ。ついでにアイツ自身、バイトをやりたがってたみたいだしな」

「なるほどね。そういうことなら、勧誘してみるには十分そうだね」


 うんうんと頷く久世を見て、俺は内心でほっとする。「小野くん、実はその子のことが好きなんじゃ?」なんて勘繰られてはたまらない。……この鈍感馬鹿に、そんな高性能な恋愛レーダーが搭載されているとも思っちゃいないが。


「それじゃあ小野くん、また後で。桐山さんに話を通しておいてね?」

「……え? いや待て待て待て!」

「うわっ!? ど、どうしたんだい?」

「どうしたんだい? じゃねぇよ! なに立ち去ろうとしてんだ!」


 いきなりきびすを返して歩き去ろうとした久世に、俺は慌てて制止をかけた。

 そんな俺に、久世はきょとんとした様子で「いや、だって」と言ってくる。


「桐山さんは小野くんの幼馴染みなんだろう? だったら小野くんから話を通した方がスムーズじゃないか」

「ぐっ……!」


 正論である。俺も久世の立場ならそう言うし……というか状況が状況でなければ、普通に俺から話を通していただろう。

 でも――駄目だ。


「(桃華を誘うのは、久世コイツじゃないといけない)」


 それが、俺が考え出した結論だった。

 というのも、桃華を誘うのが俺か久世かというだけで、今後の〝桃華の恋〟は大きく変化するからである。


 まず第一に、勧誘に失敗した場合の展望が違う。

 桃華を〝甘色〟に誘って、そしてもしも断られた場合、声をかけたのが俺では、その後桃華と久世の間に関係性を見出だすのは至難の業だ。せいぜい、久世が桃華のことを「一度小野くんが〝甘色〟に勧誘した相手」として認識する程度だろう。

 しかし、桃華を誘ったのが久世であれば、桃華は「久世くんから同じバイトに誘われた」ということで自信を持てるかもしれないし、次に二人が会った時、話すきっかけを作れるかもしれない。

 逆に疎遠になる可能性もないわけではないが、二人の性格上、その確率は低いだろう。


 第二に、勧誘に成功した場合の〝甘色〟での親密度が違う。

〝俺に勧誘されて久世と一緒に働く〟のと、〝久世に勧誘されて久世と一緒に働く〟のでは、桃華が久世と話す難易度は段違いだ。

 やはり〝勧誘した責任〟というのはある。俺が桃華を誘った場合、どうしたって仕事を教えたりするのは俺の仕事になりがちだ。もちろん俺がいない時は久世から教わることもあるだろうが、逆に言えば俺がその場にいる限り、二人が話すきっかけは減ってしまうことになる。

 しかし勧誘したのが久世であれば、「お前が誘ったんだからお前が責任もって仕事教えてやれよ」と言いやすい。要するに〝誘った者としての責任〟を自然に持たせられるのである。

 少し回りくどいかもしれないが、久世よりも俺の方が〝甘色〟に携わっていた期間は長い以上、どうしたって教育係は俺になりやすい。そうならないためには、今から手を打っておいた方がいいのだ。


 そして第三。これは、上二つと比べれば〝今後〟への影響とか、そういう類いの話ではないのだが……。


 ――単純に、俺に誘われるより、久世に誘われた方が桃華だって嬉しいに決まっているからだ。


 胸の奥にわずかな疼痛とうつうが走る。……これが最適解だと分かっていても、頭で納得したつもりでいても、この痛みだけは消えてくれないものらしい。


「……小野くん? どうかしたのかい?」

「…………いや、なんでもねぇよ」


 急に黙り込んだ俺を心配そうに見てくる久世。俺はそんな彼から視線を切ると、わざとふざけた調子で話を戻す。


「俺は先輩として、いや大先輩として、お前が新たなアルバイトを連れてこられるかを見定める義務があるんだ」

「いや大先輩って。小野くんがバイト始めたのって今年の四月なんだよね? じゃあ僕との差って長くても半年くらいなんじゃ……」

「〝くらい〟だと!? おいおい後輩くんよ、笑わせてくれるぜ! じゃあ聞くが、お前は俺との〝半年の差〟を埋められるというのか!? 物理的に!」

「物理的に!?」

「無理だろう、無理に決まっている! それとも今からタイムマシンを作って四月から高校生活をやり直してみるか!?」

「おかしいよ、小野くん! なんで新しいアルバイトの話をしていただけなのに、タイムマシンを作るなんていう壮大な話に発展しているんだろう!?」

「ふん、〝半年〟を甘くみるなよ。タイムマシンの一つもまともに作れない人間風情ふぜいが……」

「その言い方だと、まるで小野くんはタイムマシンを作れるかのように聞こえるよ……」


 久世は疲れたように息をつくと、「分かったよ」と言う。


「なんだかよく分からないけれど、僕から桐山さんに声をかければいいんだね?」

「あ、ああ……そ、そうだとも。ようやく俺の言葉の真意を理解できたようだな、ハッハッハ」

「いや、僕には小野くんのキャラが全然分からないよ……」


 ……そんな困ったような顔で俺を見ないでほしい。俺だって、結構無理してこんな謎キャラを演じているというのに。

 それに……こうしてふざけてでも居なければ、俺は胸の奥の痛みに負けてしまいかねないのだから。


「桐山さんは……たしか二組だったよね? 前に少し聞いたような気がするけれど」

「……ああ、そうだ。たぶんまだ教室にいるだろ。バイトの前に軽く声かけてきてくれ」

「そうだね。そろそろいい時間だし」


 チラリと時計を確認した久世は、スタスタとすぐ隣の二組にまで歩いていき、「失礼します」と綺麗な一礼をしてから中へ入っていく。……アイツ、ほんと物怖じとかそういうのと無縁そうだよな。七海未来が絡むと途端にヘタれるけど。


「…………」


 俺はなんとなく、二組の教室の外から、バレないように中を覗いてみた。

 やはり桃華はまだ帰っていなかったようで、金山と二人で駄弁っているらしかった。そしてそこへいきなり久世が声をかけてきたものだから、桃華は驚きと緊張が合わさり、パニックに陥っている。

 そしてそんな桃華の鳩尾みぞおちに金山が拳を叩き込み、「ぎゅえっ」という奇声とともに、桃華が静かになった。……金山アイツいて良かったな。あのままじゃ話進まないところだったぞ。容赦のないギャルに、久世が若干引いてるけど。


「(……うまく、いきそうだな)」


 打たれた場所をさすりながら、しかしお陰で少しだけ平静を取り戻せたらしい桃華は、久世となにやら嬉しそうに会話をしている。

 その顔は、何も知らない奴が見ても〝丸分かり〟なくらいに真っ赤で。

 それを見てしまった俺は――どうしてもそれ以上、その場に居続けることができなかった。


 俺は弱い。

 この胸の奥に走る痛みに、どうしても慣れることが出来そうにない。耐えることが、出来そうにない。

 一年二組の教室を離れた俺は、制服のブレザーの胸を掴んで息を吐く。

 放課後の廊下に差し込むオレンジ色の光が、今日はやけに鬱陶しかった。

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