第一九編 確認

 ――なんだか最近つまんないな。


 そんなことを考えながら、私はぼんやりと教室の窓からグラウンドを眺めていた。

 そこでは二年生の男子生徒たちが、楽しそうに体育のサッカーに興じている。それを女子生徒たちが遠巻きに眺めながら、時折手を叩いたり跳び跳ねたりしながら、これまた楽しそうに見学している。

 私はスポーツをするのは好きだが、観戦や応援の楽しさは理解できない。観るくらいなら実際にプレイした方が楽しいだろうと心底思う。

 もちろん、だからと言ってスポーツ観戦が趣味の人たちを馬鹿にするつもりもない。……まあ、一生懸命プレイしているスポーツ選手に対して罵声ばせいを飛ばすようなオッサンなんかは嫌いだけど。


「――ちょっと、聞いているの? 金山かねやまさん」

「…………」


 教壇の方から数学の女性教諭に名を呼ばれ、私――私立初春はつはる学園一年二組の金山やよいは、机に頬杖を付いたまま、チラリと視線だけをそちらに向ける。

〝センセイ〟に対してこの態度がなっていないのは自覚している。が、私はどうにも昔から〝オトナ〟というものと相性が悪いらしい。

 口うるさい両親や教師、愛想のない私を見てヒソヒソと話す近所のオバサンたち、最近私を見る視線がイヤらしくなっているバイト先の店長。

 出会う相手が悪いのかもしれないが、それを踏まえても私という人間は、オトナと上手く付き合っていくことが苦手らしかった。


「ちょうどいいわ、金山さん。ここの問五、前に出て解いてごらんなさい」

「…………」


 若干意地の悪い声色で、センセイが言ってくる。……これだから、オトナは嫌なんだ。

 数学の教科書に用意されている設問は、大抵〝最後の数問〟が応用問題にされていることが多い気がする。設問が問一から問五まであるとしたら、問四、問五あたりがそれだ。

 だから、なんとなく授業を聞いているだけの生徒や、板書をノートに写しているだけの生徒はこれに引っ掛かって赤っ恥をかく。そして、授業を真面目に聞くようになる。

 要するにあのセンセイは、私に恥をかかせたいのだろう。


「さあ、早く」

「…………ハイ」


 センセイに促され、私は気だるい身体を起こして立ち上がる。

 まったく、オトナというのは面倒だ。授業を聞かせたいのなら、聞きたくなるように教え方を工夫するなりすればいいのに。こんな回りくどいやり方をするから、教師と生徒の溝は深まるのだ。「恥をかきたくないから」なんて理由で身に付けた知識が定着するものか。

 私はチョークを手に取ると、カツカツと黒板に公式を記していく。当然だが、適当に答えているわけじゃない。私が自分で考えて、導き出した〝解答〟である。


「ぐっ……せ、正解よ……」


 最初は怒ったような顔の裏に意地悪な本性を隠していたセンセイが、露骨に悔しそうな顔をしてうめく。……私がこの程度の問題を本気で解けないと思われていたことにこそ、私は腹が立った。

 教師というのは、生徒に自習を促す割には〝生徒の自習〟を信用していない気がする。今の問題だって、私が家で自主的に予習をしてきたから解けただけだというのに。

 教科書というのはよく出来ている。信用ならないセンセイに教わるよりも、自分で学んだ方がよほど身に付くことから、数学や化学のように〝答えが決まっている〟分野の勉強は、私は自習だけで済ませていた。

 だから授業にいちいち集中する必要などない。既に理解していることをタラタラと説明されてもつまらないだけ。だから窓の外を見ていただけ。それを見て「金山さんは話を聞いていないからこの問題が解けない」などと判断してくるのはやめてほしいものだ。


「(……ま、別にオトナからの期待も信頼も要らないけどさ)」


 席に戻った私は、また窓の外を眺めながら物思う。


 ――なんだか、最近つまんない。


 友達と話すのは楽しい。一人で好きなことをするのも楽しい。

 だけど、なんだかつまんない。心のどこかで冷めている。

 私の親友たる少女はむしろ真逆だった。最近やたらとイキイキしている。毎日を楽しそうに過ごしている。

 その理由は、彼女に恋慕う相手がいるからだろうか。私も恋をすれば、彼女のように日々を楽しく過ごせるのだろうか。


「(……無理だろうな。恋とか、私のガラじゃなさすぎる)」


 思えば私は昔から、誰かを恋愛的な意味で好きになったことがほとんどない気がする。性格が男っぽいからというのもあるだろうが、男子というのは子どもっぽくて、どちらかと言えば嫌いだった。クラスの男子たちの方も、女子生徒から妙に懐かれている私のことを若干恐れているように見えた。……苦手意識はお互い様か。

 私には一〇人ほど幼馴染みがいて、うち半数は男子だったのだが……まともに関わったことのある男子なんて彼らくらいのものだろう。いや、そんな彼らでさえ、中学生の頃にはほとんど話さなくなってしまったのだが。


「――今日の授業はここまで。……次の授業内容は少し難しいから、各自しっかり予習をしておくように」


 ふと気付けば、チャイムの音とともにセンセイがそう言ったところだった。最後に私を軽く睨んだのは、おそらく見間違いではないだろう。別にどうでもいいけど。

 私は欠伸あくびを噛み殺して伸びをする。そして休み時間になるといつも、呼んでもいないのにトテトテと寄ってくる少女の方へ目を向けた。

 しかし彼女――私の幼稚園からの親友、桐山桃華きりやまももかは、なにやら近くの席の男子生徒に話しかけられているようだった。

 どうやら数学ことで質問をされているようだが……私には「可愛い女子と話したい」という薄汚れた下心が見え隠れしている気がしてならない。

 まあ、人付き合いのいい桃華はそんな男子相手にも嫌な顔一つせずに親切にしてしまうのだが。私には到底真似できないことだ。ある意味尊敬できる。


「(……トイレでも行くか)」


 私が席を立つと、近くの席の女子から「やよい、どこ行くんー?」と声をかけられる。私はそれに「自販機ー」と適当に返事をし、さっさと席を離れた。「一緒に行く」とか言われても面倒だ。たとえ友達でも、不必要なほどベタベタつるむのは私の性分ではない。

 そして教室を出ようとしたところで――気付く。

 入り口の引き戸の陰から、こちらをジーッと覗いている……どこかで見たような顔の男子生徒の存在に。


「…………キモいよ?」

「第一声がそれかよ。泣くぞ?」

「泣くなよ。キモいよ?」


 私の軽口に「どうあがいてもキモいんかい」と返してくるのは、私の幼馴染みの一人、小野悠真おのゆうまだった。イマイチパッとしない外見に、一七〇前後の中途半端な背丈、ついでに体格まで普通という、容姿において特別優れたところも劣ったところもない、普通を絵に描いたような男だ。


「何してんのよ、そんなとこで。なんか用?」

「……例の件で、少し」

「どの件だよ。アンタとそんな込みった話した記憶とかないんだけど」

「こんなところで話すような内容じゃない。場所を移すぞ」

「問答無用か。私、今からトイレ行くとこなんだけど?」

「……今なら自販機で〝超カフェインフルマックス〟というコーヒーを二本まで奢ってやるぞ」

「最高に要らない。というか、トイレ行こうとしてる奴に利尿効果あるもんカフェインらそうとするな」


 ツッコミつつも、まあ実際はそこまでトイレに行きたかったわけでもない私は、仕方なくこの幼馴染みに付き合ってやることにした。

 といっても、私と小野はそこまで親しいわけじゃない。正直なところ、コイツが私になんの用があるのか、皆目検討もつかないのだが。

 ともあれ一階に下りてすぐのところにある自動販売機コーナーまで行くと、私は小野に紙パックの豆乳を奢らせ、そしてすぐ近くのベンチへと腰かけた。


「で? 本当になんの用?」


 紙パックにストローを差し込みつつ問いかけると、小野は「あ、ああ」と少し歯切れ悪く切り出してくる。


「へ、変なこと聞くけど、いいか?」

「……色目いろめ使ってきたら肋骨あばらぼねへし折るけど、それでもいい?」

「いやそれはないから安心しろ。というか色目使っただけで罰が重すぎない?」

「重くないよ。アンタの肋骨の価値って、おおよそこの紙パックジュースと同じくらいだし」

「安っ!? 俺の肋骨って一一〇円で買える程度の価値なの!? というか、それはそれでお前への色目使う罰も軽いな!」

「いや、〝自分に色目を使った罰〟を過剰に重くする女って、実際どうよ?」

「たしかにだいぶイタいけども!」


 まあそもそも、小野コイツは私に――というか、女子に色目を使えるようなタイプじゃないだろうけど。

 しかし、じゃあ一体なにを聞きたいというのか。

 そんな私の無言の促しに、小野はなぜか緊張したおも持ちで聞いてきた。


「も……桃華って、今、バイトとかしてんのかな?」

「はぁ……? いや、まだなにもしてないはずだけど……」


 なぜそんなことを真剣な声で、しかも本人にではなく私に聞くのか。バッタリ会った時に交わす雑談としてならまだしも、わざわざこんなところに呼び出してまで聞くようなことか?

 そんな疑問符を浮かべる私に気づかず、小野は「そ、そうか……」と安心したような、それでいてガッカリしたような、複雑な表情で息をついた。


「……実は〝甘色あまいろ〟……うちの喫茶店の新しいバイトに、桃華を誘おうかと思っててさ」

「!」


〝甘色〟というのは以前、私と桃華が何度か足を運んだ喫茶店だ。それなりに値が張るせいで、正直あまり学生に優しい店ではなかったが……個人的にはそこそこ気に入った雰囲気の店だった記憶がある。

 小野コイツはそこでアルバイトをしていて……そして。


「……たしか、久世真太郎くせしんたろうも、だったよね?」

「あ、ああ……」


 久世真太郎。学年一のイケメン。

 基本的に男子に興味のない私でさえ、格好良いと思わせられてしまうほどのオーラを持った男だった。

 そしてなにを隠そう、その久世真太郎は、桃華が今まさに恋い焦がれている相手なのである。


「……ふーん、いいんじゃない? あの子もたぶん喜ぶよ」

「そ、そうか……」


 私の相槌に、しかしなぜか小野の顔は晴れない。なにか、腹の底が割りきれていないような、そんな表情をしている。


「……で? 私から桃華にその話を通しとけばいいの?」

「! い、いや、違う。確認したかっただけ、だ」


 慌てたようにそう言ってくる小野に、私はやはり疑問符を浮かべた。

 てっきり、私から桃華に「〝甘色〟でバイト募集してるってさ」という話をつけさせるために呼び出されたのかと思ったのだが……そうではないのか。

 しかし、だとしたら小野コイツは、本当にただ「桃華が今バイトをしているのかどうか」を私に聞きたかっただけなのか? ますます訳が分からない。


「……後から、その話をから、お前はなにも伝えてくれなくて、大丈夫だ」

「(つけに行かせる……?)」


 まるで、自分ではない第三者に行かせるかのような言い方だ。


「まあ……よく分かんないけど、だったら話はもう終わりでいいんだね?」

「あ、ああ。ありがとう、助かった」

「いや、全然大したことはしてないけどな」


 言いながら私は立ち上がると、そのまま教室へ向かって歩きだす。

 途中でチラリと振り返ってみれば――小野はなにやら真剣な表情で、黙ってうつ向いている。

 その横顔はなぜだか――私にはひどくつらそうに見えてしまった。

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