第二四編 現状打破の妙案

「では改めまして……新しいアルバイトの桐山桃華きりやまももかさんだ。はい拍手ぅー!」

「いえーい」

「い、いえーい……」


 約一週間後、〝甘色あまいろ〟の事務所に集められた高校生アルバイト組――俺と久世くせは、店長の号令のもとに新たなバイト仲間である桃華に向けて盛大に……とは言いがたいかもしれないが、とにかく彼女を歓迎していた。

 俺はもう店長のノリにだいぶ慣れているが、まだ一月程度の付き合いしかない久世は、俺の動きをチラチラと真似つつ、場の空気を壊さないようにノリを合わせている。いや、別に俺たちに合わせてもらう必要性とかまったくないんだけどな。


「き、桐山桃華ですっ! こ、この度はお招きいただきまして、誠にありがとうございますっ!」

「ホームパーティーか。いや、確かにこっちから招いたんだけどさ、バイトに」


 ガチガチに緊張しているらしい桃華――主に久世のせいだろうが――に、俺はため息混じりにツッコミを入れる。


「あ、アルバイトとして入ったからには、身命しんみょうなげうち、この肉体が朽ち果てるまで尽くす覚悟を――」

「せんでいい。いいか、〝甘色ここ〟のバイトの良いところは、〝やりたくない仕事は全部店長に押し付けられる〟ってところだからな?」

「……おい小野おのっち、お前そんな気持ちで働いてたんかこの野郎」

「いだだだだだっ!?」


 店長の両拳でこめかみのところをグリグリされ、悲鳴を上げる俺。そしてそんな俺たちを見て「あ、あの、新人さんの前なので……」と遠慮がちに制止を促してくる久世。そんな彼に……俺と店長は二人、目を見合わせる。


「おい久世、お前なに一人だけ常識人ポジ気取ってんだよ」

「そうだぞ、久世ちゃん。ちょっとズルいんじゃないか?」

「え、ええっ!?」


 唐突に矛先ほこさきを自分に向けられ、心外そうな声を上げる久世。


「久世ちゃんだって普段はもっとふざけたキャラだったじゃないか」

「ふざけたキャラ!? 僕ってそんな風に認識されていたんですか!?」

「そうだな。そのせいで〝七番さん〟――〝甘色うち〟の常連に蛇蠍だかつのごとく嫌われてるんだもんな?」

「初耳だけれど!? ぼ、僕が彼女に嫌われてるのは、多分だけれど、もっと別の理由なんだと思うし――」

「いやいや、やっぱり人間性は大事だって、久世ちゃん。ほら、先週だって久世ちゃんはあたしに思いっきり抱き着いてきただろう? あたしだから受け入れてやったけど、ああいうの、女子からしたらセクハラにしか見えないからな?」

「いや抱き着いてきたのは店長の方ですよね!? なんで僕側から店長に抱き着いたみたいになってるんですか!?」

「おい久世。いくら店長が女として終わってるからって、『抱き着く価値もない』は流石に言い過ぎだろ」

「僕そこまで言ってないよね!?」

「つーか小野おのっち。お前今さりげにあたしのこと、『女として終わってる』とか言いやがったなこの野郎」

「いだだだだだっ!?」


 再びグリグリ攻撃を仕掛けてくる店長。こめかみにダメージを蓄積させられる俺。そして「だ、だから新人さんの前ですから!」とさっきも聞いた台詞を繰り返してくる芸のないイケメン野郎。

 ハッキリ言ってバラバラにも程がある俺たち三人に――しかし桃華はしばらくポカーンとそれを見ていたかと思えば、突然クスクスと笑いだした。


「なんだか……緊張してるのが馬鹿馬鹿しくなってきたかも」

「お、おう。そうだよ、緊張なんかしなくていいって」


 楽しそうにそう言う桃華の笑顔に、俺は不意にドキッとさせられつつ、しかしなんとか平静をよそおって言葉を返す。


「お前がどんなヘマしたって、全責任は持つからさ。久世が」

「えっ、僕が!?」

「そうだな。やっぱり教育係を任せた以上、ももっちが一人前になるまでは尻拭いてやんのが〝イイ先輩〟ってもんだ」

「うわぁ……女子の尻拭くとか、露骨なセクハラだな久世……」

「流れるように僕をセクハラ犯罪者みたいな目で見てくるのはやめてくれないかい!?」

「あ、あの……流石にいきなりお尻を触られるのは、ちょっと抵抗が……」

「桐山さんもなんで真に受けてるんだい!? こ、この人たちの言うことは信じちゃ駄目だよ!?」

「……接客の基本は〝笑顔〟と〝気持ちのいい挨拶〟だ」

「いつだって〝お客様の立場に立った接客〟を心掛けて貰いたい」

「ちょっと二人とも!? とってつけたように綺麗なこと言い出さないでくれますか!?」

「え、えっと……今二人が言ったことも信じちゃ駄目なのかな……?」

「いや今のは信じていいけれど! ……ああもう、店長に小野くん! いい加減にしてください!」


 ツッコミが追いつかなくなり、思わず声を荒げる久世。……ちょっと悪ノリが過ぎたか。

 これ以上は流石に可哀想なので、俺と店長は「ごめんごめん」と軽い調子で謝る。


「まぁ冗談はこのくらいにするとして。でも実際、緊張なんかしなくていいからね、桃っち」


 店長は柔らかく微笑みながら桃華の方を向く。……どうやら彼女の呼称は〝桃っち〟で決まったらしい。


「何かを新しく始めるとき、最初から上手に出来る奴なんかいない。色んなことを経験して、失敗して、そして少しずつ上達していってくれればいい。――期待してるよ?」

「は……はいっ!」


 珍しくまともなことを言う店長に、桃華は〝やる気〟に点火されたように、それでいて不要な緊張や気負いをすっかり払拭された様子で、元気に返事をした。そんな彼女の姿に、俺と久世も顔を見合わせて笑みを浮かべる。


「よっし! じゃあそろそろ仕事に取り掛かろうか! といっても、今日も今日とてお客さん居ないけどな! 頑張ろうぜ!」

「なんてアガらない号令なんだ……」

「あ、あはは……」


 ――いい雰囲気を最後の最後で台無しにするあたり、やっぱりうちの店長はモテないんだろうな、と再確認させられた、



 ★



 桃華が〝甘色〟で働き始めて数日。彼女はなかなかの仕事ぶりを見せつつあった。

 もともと頑張り屋で真面目な面の強い桃華は、仕事の覚えも早く、なによりその持ち前の明るさと分けへだてのなさで、接客業務も物怖じせずにこなしている。

 流石に基礎スペックが高い久世の時と比べるとミスの回数は多いものの、それでも俺の時と比べれば大した成長速度だろう。……俺は初日にしたミスを、一ヶ月後にまたやらかしたりしたからな。


「ありがとうございますっ、またお越し下さいませっ!」


「…………そんなに見つめていると、まるで変質者のようね」

「!? は、はあっ!? みみ、見つめてねぇよ!」


 元気な声ときれいなお辞儀で客の見送りをする桃華の後ろ姿を横目で見ていた俺は、ちょうど注文の品を届けたところだった常連客――七海未来ななみみくに指摘され、それを慌てて否定する。

 彼女は相変わらずのサングラスマスク姿で読書に勤しみながら、同じく相変わらずの綺麗な声で言ってくる。


「……ストーカーは犯罪よ」

「おい、その発言の意図はなんだ」

「いえ。ただ貴方にはその素質があるような気がしたから」

「あってたまるかそんな素質! 百歩譲ってその素質があったとしても、俺はストーカーにはならねぇ!」


 俺の宣言に――何を宣言しているんだという話だが――、七海未来は「世の中のストーカーたちも最初はそう言っていたんでしょうね」などと言いつつ、興味なさげにペラリと本のページを捲る。

 今日の本はまた一段と分厚いが、既に九割方読了しているらしかった。本を読むペースの速さも相変わらずである。


「――そんなに彼女のことが好きなのに、結局貴方はその想いを告げないままなのね」

「…………」


 本に目を向けたままそう言ってくる七海未来。口調こそ皮肉っぽいが、そこに含みや他意は無いようである。ただ彼女の率直な感想をそのまま口に出しただけのような、そんな雰囲気だった。

 だからこそそれは、七海未来にとっての純粋な疑問であるとも言える。


「ラブレターの件ではあんなに私に噛みついてきた貴方が、自分の恋愛に関しては消極的だなんて、おかしな話ね」

「…………」


 七海未来の言葉に、俺は答えを返さなかった。

 ――彼女はなにも分かっちゃいない。それは、どこも〝おかしな話〟なんかじゃないんだ。

 むしろあれは、俺が消極的な――〝勇気〟のない男だったからこその行動だったと言える。

 もしも俺が自分の恋に積極的な奴だったなら、あのラブレターの一件で七海未来に物申すような真似はしなかっただろう。憤りはしても、わざわざ追いかけてまで直談判したりはしなかったはずだ。

 なぜなら、俺が誰とも知れぬラブレターの送り主たちのためにあんな行動を起こしたのは、彼らの〝勇気〟を高く高く評価したから。


 ――俺が一〇年あっても出せなかった〝勇気〟を出した彼らのことを、応援してやりたいと思ったからなのだから。


 俺が無言のままでそう考えていることを知ってか知らずか、目の前の少女は本に目を向けたまま、「それとも」と言葉を続ける。


「あんな露骨な好意を見せつけられた上で行動を起こすほど、愚かではないということなのかしら?」

「!」


 俺が彼女の言葉を受けて後ろを振り向くと、そこでは顔を赤くした桃華が、嬉しそうに久世と話しているところだった。

 接客の良さを褒められているのだろうか。笑みを交わし合う彼らの姿に、俺は無意識のうちに視線を逸らしてしまう。


 ――最初から分かっていたことだ。

 なることを覚悟して、その上で桃華の恋を応援するために、俺は彼女を〝甘色〟に誘い込んだのだから。


「(――いちいち傷付くな。一度決めたことだろう、あの笑顔のために……俺は恋を捨てたんだろう)」


 そう自分に言い聞かせながら俺は、この数日間の桃華と久世の様子を思い返す。

 彼らの関係は、極めて良好な様子だった。元々人の良い二人だし、双方の真面目な気質も相まって、仲良くなるのにそう時間はかからなかったらしい。


 しかしその一方で、恋愛的な観点から見たとき、久世真太郎くせしんたろうという男はやはり、とんでもなく厄介な野郎だと再認識させられる。

 というのも、彼は桃華からの好意にまったく気付く気配がないのである。

 いや、まだ同じバイトを始めて数日だから仕方がないとも言えるのだが……それでもこの、明らかに他人に無関心な七海未来をして「露骨」とまで言わしめるほどに好意的な桃華の気持ちにすら気付かないというのは相当だろう。鈍感というにも限度がある。


 そしてそれの何が厄介かと言えば、このままでは俺の方がもたないであろうことが明白ということだ。

 桃華が他の男に恋慕する姿を見せつけられ続けるというのは、正直なところかなりキツい。いっそのことさっさとくっついてくれた方が、俺としても諦めがつくというか、一区切りがつくと思うのだ。

 しかしこのままではあの二人がくっつくどころか、久世は桃華からの気持ちに気付きもしないだろう。ついでに言えば、桃華が自分の恋愛に関してはかなり奥手であるらしいこともそれに拍車をかけている。

 現状を打破しない限り、俺は延々と〝桃華が久世に好意を向け続ける光景〟を遠巻きに眺めながらアルバイトをすることになってしまう。なんだその地獄は。


「(だからって〝鈍感〟だの〝奥手〟だの、他人の性格的な部分なんか、俺には変えようもねぇし……変えるとすれば……いっそ久世あのバカの方を桃華に惚れさせるとか――)」


 ――そこまで考えたとき、俺の中で妙案が浮かんだ。

……正直成功確率は高くない。というか、すら怪しい話なのだが……だが、可能性はある。


「……なぁ、一つ、聞きたいことがあるんだけど、いいか?」

「……?」


 突然真剣な声でそう言った俺に、七海未来がちらりと視線をこちらに向けた。

 そして俺は少し間をおいてから、意を決して彼女に問う。


「――久世の好みのタイプって、知ってるか?」

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