第一七編 勧誘大作戦(失敗)
以前も述べた通り、私立
通称〝特待組〟の一組と、〝スポ薦組〟の七組。特にこの一年一組、〝特待組〟の放つ独特のオーラは、未だに慣れることができない。
……まぁ「未だに」と言っても、俺はこのクラスの知り合いなどほとんどいないので、そもそも関わり合いになる機会自体が少ないのだが。
故に、そんな一年一組の教室に乗り込むにあたり、俺の感想など一つに決まっていた。
「(は……入りづれえぇぇ……!)」
「……あの、
俺のすぐ隣で呆れたように言ってくる
そもそも、学年一のイケメンである
そんな状態で苦手な一組に乗り込むなど、そうそう踏み切れるものではなかった。かといってこのクラスに所属する久世を連れずに〝特待組〟に入る勇気もない。
「……久世。もうお前一人で
「ええっ!?」
腰の引けた俺の提案に、さしもの久世も「そりゃあんまりだ」というような顔をする。
「ほら、俺って一応お前の先輩だろ? 色々仕事、教えてやっただろ?」
「いきなり恩を売りつけてくるね!? そ、それはもちろん、感謝してるけど……!」
「だったらほら、俺のために
「思い出したように店長を引き合いに出すのはやめてくれないかい!? さ、さっきも言ったけど、僕は
「馬鹿野郎、何ビビってんだ! 人と関わることを過度に恐れるんじゃねぇ! いいか、接客業の極意ってのはな、どんな場所、どんな人が相手でも堂々と、変わらない自分で居続けることなんだよ!」
「は、はいっ!」
真剣な声で叱りつけた俺に、アルバイトを始めたばかりの頃を思い出したのか、反射的に姿勢を正す久世。
そして彼はしばらくの間その体勢で何かを考え込んだ後……ゆっくりと、疑問を口にする。
「……あ、あの……それなら小野くんだって、一組に堂々と入って未来に話を通してくればいいんじゃ……」
「と、とにかく! これはお前に与えられた試練なんだよ! いいからさっさと、行ってこいっ!」
「うわぁっ!?」
どんっ、と久世の背中を強く押し、無理矢理教室に突っ込む俺。
彼はそんな俺を一瞬だけ恨みがましそうな目で見てきたものの、すぐにクラスメイトたちに声をかけられ、「お、おはよう皆!」と爽やかな挨拶を交わし始める。
「(いいぞ、その調子だ。その流れでさっさと
「(か、簡単に言わないでよ……)」
接客業特有のアイコンタクトで指示を出す俺に、久世が困ったような目をする。……心なしか、その膝は震えているようにも見えた。
しかしそこは万人に好かれるイケメン野郎。彼は一度目を閉じたかと思えば、次に目を開いた時にはキリッとした表情で教室の奥――窓際後方の席で本を開いている七海未来のことを見据えた。
そしてスタスタと彼女の机の側まで歩いていこうとして――
「…………」
「ヒッ!?」
――顔を上げた七海未来に「こっちに来れば殺す」と言わんばかりの殺気に満ちた瞳で睨まれ、水をかけられた猫のような悲鳴を上げて動きを止めた。
そして彼はそのまま一八〇度身体を反転させると、真っ直ぐに俺の方へと逃げ帰ってくる。
「…………お前、使えねぇな……」
「ひどい! 一生懸命頑張ったのに!」
俺の素直な感想に傷付いたように、久世がシクシクと両目を覆う。
……まぁ、あんな目で睨まれりゃ、誰だって怖いわな。
「……よし、仕方ねぇ。作戦変更だ。後輩、お前の
「お、おぉ……! 小野くんが、普段と違って格好良く見える……!?」
普段の俺は格好良くないと言いたいのかコイツは。
「いいか、作戦はこうだ。先ずはお前が教室に入る。といっても、目的は七海未来との接触じゃない。お前はとにかく、中にいるクラスメイトたちの気を引き付けてくれ」
「な、なるほど? ち、ちなみにその行動にはいったいどんな意味が……!?」
「決まってるだろうが」
俺は「フッ……」とニヒルに笑うと、物分かりの悪い後輩に言ってやる。
「なるべく俺の存在を、一組の連中に気付かれたくはないからだ」
「…………」
「…………」
「…………まぁ、小野くんは、そういう人だよね」
「うるせぇ! と、とにかく作戦決行だ!」
若干白けたような目を向けてくる久世を再び教室に突貫させ、その陰に隠れるようにして俺も初めて一組へと足を踏み入れる。
当然一部の生徒からは「誰だアレ」みたいな目で見られるが……それも、気を利かせた久世が話しかけるだけであっさりとなくなる。なんだ
その隙に俺は教室の奥へと進むと――一人で本を読んでいる彼女に、声を掛ける。
「……よう。相変わらず読書三昧かよ」
「…………今度は貴方なのね。久世くんといい、私に何か用なのかしら?」
七海未来は本から顔も上げないまま、興味なさげに問うてくる。……まぁ、久世みたいに話しかける前から玉砕せずに済むだけ、
「…………お前、ほんと本好きなのな」
「……読書は好きだけれど、学校でのこれは一種の処世術よ」
「は? どういう意味だよ?」
意味が分からず問い返す俺に、七海未来は本のページをめくりながら言う。
「――集中して読書をしている人間に声をかけるなんて、やむを得ない用事がある人か、貴方のような無礼者くらいだということよ」
「!」
俺は一瞬、暗に自分が迷惑だと言われたのかと思ったが――いや、実際それもあるのかもしれないが――、違う。
彼女の目はむしろ、教室にいる生徒たちの方にこそ、向けられているような気がした。
「……そろそろ予鈴が鳴るわ。話があるというなら、昼休みに屋上に来なさい。ここは人の目が多いから」
意外にも話を聞いてくれるつもりはあるらしく、そんな提案をしてくる七海未来。……たしかにもうすぐチャイムが鳴るし、何より一組の生徒の中からチラチラとこちらを窺うような者が見受けられる。アポイントさえ取り付けられたのなら、これ以上の長居は無用だろう。
「…………そうか。じゃあ、そうさせてもらう」
俺はすぐに彼女の机を離れると、クラスメイトの垣根の隙間から視線を送ってきた久世に「(とりあえず昼休みに)」というアイコンタクトを送り、そしてすぐに一組を出た。どっとした疲れと、嫌な汗が身体から流れ出てくる。
……あんな量の視線に常にさらされ続けてると思うと……俺はなんだか、久世や七海未来のことを本気で尊敬しそうになってしまうのであった。
★
陽光に照らされた学園の屋上に、その女はいた。
なんのことはない、いつもの彼女だ。〝甘色〟で本を読んでいる時となにも変わらない。ただ座っている場所が、喫茶店の椅子から、屋上に設置された古いベンチに変わっただけだ。
「……お前、いつもここで昼飯食ってるのか?」
「そうね。教室はあまり好きじゃないから」
そう言って、紙パックのミルクティーを口にする七海未来。……コイツ、お嬢様のくせにこういうのも普通に飲むのか。なんだか意外だ。いやまあ、よく考えたら超庶民的な喫茶店の常連なんだけどさ。
だが俺に言わせれば、この屋上の方がよほど居心地が悪い。なにせこの場所は本来、生徒の立ち入りが禁止されている場所だ。最近の高校では珍しくもないことだろう。
かといって別に厳重に施錠されているわけではなく、ツマミの鍵を回せば誰だって屋上に出ること自体は出来るのだが……。
「……教師に見つかったら面倒じゃないか? 絶対怒られるだろ……」
「あら……私の家のこと、貴方は知っているんじゃなかったかしら?」
「……あぁ、そういうことか」
彼女の言いたいことを理解し、俺は得心する。
つい今しがた考えていた通り――彼女は世界有数の大企業、『セブンス・コーポレーション』の現最高責任者の娘、つまりは洒落にならないレベルのガチお嬢様だ。……紙パックのジュースとか飲んでるけども。
そんな、少し気を悪くさせればどうなるか分からないようなお嬢様を相手に、学園の教師がいちいち屋上への出入り程度のことを咎めてくるとは思えない。触らぬ神に祟りなし、というわけだ。
「……お前、意外と平気でそういう小狡いことするのな」
「貴方には私が潔癖な人間に見えていたの? 随分と高く評価してくれているのね」
「…………前言撤回、なるほど、お前はそういう奴っぽいな」
てっきり正論を振りかざす女だとばかり思っていたが、これまで話してみた雰囲気からして、コイツがそんな一筋縄で行くような相手じゃないことは明白だった。そりゃ、相手の心理を利用する真似事くらいしても不思議じゃない。
「……それで、いったい私に何の用かしら?」
「ん? あ、あぁ……」
そう聞かれて、俺は〝甘色〟でのアルバイト募集のことを七海未来に話して聞かせた。
そして一通りその説明を聞いて――彼女は呆れたように息をつく。
「……悪いけれど、私はアルバイトは出来ないわ。家の方針というのもあるし、何よりわざわざ喫茶店で働くメリットが私にはないもの」
「で、ですよね……」
コイツの家が超大金持ちだということを思い出したのがついさっきだったので、この答えを想定できなかった今朝の自分を殴りたい。
今思えば、久世が
「(しかし……これでまた振り出しか……まったく、久世の時といい、アルバイトを見つけるのって楽じゃねぇな……)」
思えば、あのときもそうだった。昼休みにやたらと入りづらい一組に行って、それから――
と、そこまで考えて、俺は「ん?」と引っ掛かることがあることに気が付いた。
――そういや俺は、なんであの時一組に行ったんだっけ?
久世を勧誘するため? いやいや、んなわけねぇだろ。今でこそそこそこ話すとはいえ、アイツとは〝甘色(あまいろ)〟で会ってから初めて関わったようなもんなんだから。
でもじゃあなんで俺はあの時、一組に――
「…………あっ!」
「?」
急に声を出した俺に、七海未来がチラリと不思議そうな視線を投げ掛けてくる。
そ、そうだよ、なんで忘れてたんだろう。
そもそも、最初はそうするつもりだったじゃないか。
最初はアイツを誘うつもりで、俺は一組に行ったんじゃないか。
「
……失恋したとはいえ、想い人のことをここまで綺麗に失念していた俺は、やはり相当間抜けなような気がした。
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