第一六編 二人目を探せ

小野おのっち、久世くせちゃん。そろそろ〝二人目〟を解禁にしようと思うんだが、どうだろう?」


 久世真太郎くせしんたろうが俺の働く喫茶店〝甘色あまいろ〟でバイトを始めてから一ヶ月ほどが経過したある日の夜。あらかたの仕事を終えて、最後店内の清掃をしていた俺たちに、モップに顎を乗せてサボっていた店長――一色小春いっしきこはるが、唐突にそう切り出してきた。


「……わけ分かんねぇことほざいてる暇でもあったら手を動かしてくださいよ。言っときますけど、掃除だって立派な仕事ですからね。その辺の意識しっかり持って貰わないと、いつかクビにしますよ?」

「アルバイトにクビにされる店長ってなんなのさ!? や、やってるやってる! ほらあたしって、綺麗好きだしね!?」


 慌てたようにモップ掛けを始める店長に、俺は小さくため息をつく。


「店長が綺麗好きとか……冗談は婚期だけにしてください」

「どういう意味だコラァッ!? まだ私二〇代だぞ!?」

「いや、二九歳を〝二〇代〟って表現するのは流石に詐欺でしょ」

「どういうこと!? 二九歳だってちゃんと二〇代じゃんか!」

「いや、二五過ぎたらもう二〇代名乗るのはきついですよね。他の年代と比べても詐欺感が特に顕著というか……〝お姉さん〟と〝おばさん〟の境界がそこにあるというか。たとえば四〇歳の人と四九歳の人が並んでもそこまで大差ない気がしますけど、二〇歳ハタチと二九歳が並んだらなんというか、〝劣化〟がより一層際立つ気がしません? それをまるで〝同年代〟であるかのように表現するのは厚かましい、いや、図々しいって感じですよね。それに二九歳ってほぼ三十路だし――」

「小野くん、もうそれくらいにしてあげてくれ! 店長が、店長の涙腺がもう限界だから!」


 久世の制止を受けて店長の方を見ると、彼女はズーン……という効果音がこの上なく似合う表情で、あからさまに落ち込んでいた。


「い、いくらなんでも言い過ぎだろう、小野くん。女性に対してあれはひどいよ……」

「わ、悪い。ついいつものノリで罵倒を……」

「どんなノリなんだいそれは……店長は年齢、というか婚期のことを気にしてるんだから、親しい仲だからといって、あんまりそこを突くのは良くないよ」

「だ、だな。よし、一応フォローしとくか……」


 ヒソヒソと久世とやり取りをし、俺はゴホンと咳払いを一つ。自分の涙でモップ掛けを始めそうな様子の店長に向けて「あー、そ、そういえば」と切り出す。


「て、店長って……美人ですよねー?」

「マジでッ!?」


 一瞬で太陽のような笑顔で勢いよく振り向く店長。……あまりにも単純すぎる彼女を見て、俺は久世に「(言わなきゃよかったよ)」とアイコンタクトを送るが……彼はそっと目を逸らすばかりだ。


「いやー、やっぱ小野っちもそう思ってたんだな!? よく分かってるじゃないか、朴念仁の非リア代表みたいな顔して!」

「誰が朴念仁の非リア代表ですか」

「そういや今日も高そうなスーツ来たお客さんに『店長さん、お若いですね』って言われたわ! 参ったなこりゃ! モテモテかよあたし!」

「『お若いですね』って……どちらかと言えばオバサン相手に言うことだよな? ってことは店長はむしろ老けて見えてるってことなんじゃ……」

「小野くん!」


 小声で話す俺たちに気付かず、店長はなおも浮かれ調子でくるくると店内を舞い踊っている。……テンションが戻ったのはいいが、せっかく集めたホコリを吹き飛ばすのはやめてほしい。


「え、えーっと、それで店長。〝二人目を解禁〟というのは、いったいどういうお話でしょうか?」

「ん? おう、そうだったそうだった! その話だったな!」


 久世の好アシストにより、奇妙な踊りをやめた店長は、手近にあった五番テーブルの椅子を引き出すと、そこにどっかりと腰を下ろした。


「久世ちゃんも一応知ってると思うけど、今いるバイトの子――朝から夕方までのシフトを埋めてくれてる大学生の子たちなんだけど、その子たちが二人、この年末で〝甘色ウチ〟をやめることになってるんだ」

「え、えぇ。その穴埋めとして、アルバイトを募集されていたんですよね?」

「そうそう。まぁ二人とも大学で忙しい身だから今もあんまりシフト入れてないし、久世ちゃん一人でも十分その穴埋めにはなってるんだけどさ。それでもやっぱ、二人分が抜ける穴に補充が一人だけってのはちょっと無理があってね」

「あー、だからもう一人、新しいバイトが欲しいってことですか?」


 俺の問いに、店長は「そういうこと」と頷く。


「流石に新人二人を抱えるのは、教育係の小野っちも大変だろうと思ってたし、今年いっぱいは久世ちゃん一人でもいいかなーって考えてたんだけどね。でも久世ちゃんが予想以上にやってくれてるおかげで、早いとこ〝二人目〟を加入させてもいいかなって思い始めたんだ」

「あ、ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げる久世の横で、俺は「でも店長」と言葉を返した。


「率直に言って、これ以上のバイトって要るんですか? うちって平日はそんなに忙しくないし、土日は俺も久世も朝からシフト入ってますよね?」

「まあな。アルバイト一人増やすにも人件費はかかるわけだし。でもな、少数のアルバイトの子に頼りすぎるのはなるべく避けたいんだよ。急な休みとかに対応できなくなるだろ?」

「あぁ、まぁ、たしかに……」


 とはいえ、俺は多少体調が優れないくらいならバイトを休んだりしないのだが。現に、今のところ俺はシフトに穴を空けたことは一度もない。もちろん久世もだ。


「それにアルバイトは年に稼げる金額に上限あるだろ? ……まぁ、久世ちゃんはアレかもしれないけど……」

「…………はい」

「……?」


 急に声のトーンが落ちた二人に、俺は違和感を覚える。……今のは、いったいどういう意味だ……?

 しかし俺が問いただすよりも早く、店長が「とにかく」と話を切る。


「新しいアルバイトの子を探してきて欲しいんだ。平日の夕方から、そして土日の朝から入れるような子。身近にそういう子がいたら、声をかけてみてくれないか?」

「はあ……」


 店長からの依頼に、俺と久世は顔を見合わせ、そして半分仕方なくではあるものの、引き受けることにしたのであった。



 ★



「つってもなぁ……久世、お前誰かバイトしたそうな奴とか知ってるか?」

「あいにくだけど、心当たりはないね……」


 翌朝。一年一組の教室の前でバッタリ会った俺と久世は、新しいアルバイト探しのことで頭を悩ませていた。


「というか、お前が女子に声掛けたらいくらでも釣れるだろ。もうその辺の奴でいいんじゃないか?」

「小野くん、そういうのは冗談でもやめてくれ。僕は人の好意につけこむような真似をするのはごめんだよ」

「あー……はいはい、悪かったよ。お前はそういう奴だったな」


 まったく、相変わらずのイケメン野郎だ、久世真太郎。こんな軽い冗談であっても、聞き流せないことにはキッチリ突っ込んでくる。

 俺からすれば堅苦しいだけにしか映らないが、こういうところに女の子は惚れるもんなんだろうか。

 ……ん? あれ、そういえば……


「あっ……」

「えっ?」


 俺が思考の隅になにか引っ掛かるものを感じていたその時、久世が何かに気付いたような声を上げた。その声に釣られて彼の視線の先を見ると……あぁ、またアイツか……。


「み、未来みく……」


 ポツリと呟きを落とした久世の視線の先にいたのは、制服姿でもやたらと目立つ美少女、七海未来ななみみくだった。相も変わらずその現実離れした美しさで、朝の廊下から音という音をすべて奪い去ってしまっている。

 そして彼女はそんな視線の中をスタスタと歩き、さっさと自分の教室へ入っていった。途端に、久世が安堵あんどしたように息をつく。


「……お前、ほんと七海未来アイツのこと苦手な。幼馴染みじゃなかったのかよ?」

「いや、まぁ、僕はなぜだか露骨に嫌われているからね……」


 参ったように肩を落とす久世。……こんなイケメンですら太刀打ち出来ないとか、あの女は本当に別格なんだな……。


「というか、僕からしてみれば小野くんに疑問があるくらいだよ。いつの間に彼女と親しくなったんだい?」

「はあ? いや……親しくなった覚えはねえけど」


 いきなり変なことを言ってくる久世に、俺は素で「何言ってんだコイツは」という目で彼を見る。なにせラブレターの件の後、俺はあの女とほとんど話してもいないのだ。

 もちろん七海未来は今でも〝甘色〟には来ているから、俺が接客をしているのだが……それだって久世が対応すると睨まれるから仕方なく、という側面が強い。本当は俺だってあの女と関わりたくなどないのだから。

 しかし、そんな俺に対して久世はなぜか羨ましそうな顔をした。


「十分親しいと思うよ……僕なんて、幼馴染みなのに口をきいても貰えないんだから……」

「……まぁ……七海未来アイツ、偏屈そうだしなぁ……」


 七海未来が、久世の何が気に入らないのかは知らないが。というか、あんまり興味もない。他人と他人の関係なんて、外野からとやかく言うようなもんでもないしな。

 でも……ふむ……。


「……なぁ、もうアイツでいいんじゃないか? 新しいアルバイト」

「…………え?」


 俺の言葉に、今度は久世が「何言ってんだコイツ」というような顔をした。……人からされるとすげぇムカつくな、この顔……。


「あいつって……もしかして、未来のこと? 彼女を、誘うつもりなのかい?」


 余程怖いのか、若干震える声で聞いてくる久世に、俺は「だってさ」と言葉を続ける。


「アイツうちの常連だろ? 店長曰く、俺がバイト始める前からほとんど毎日来てるらしいし、メニューも覚えてるだろうし……下手な奴連れて帰るよりよっぽど即戦力になると思わないか?」

「い、いやでも……彼女は……」


 久世がなおももごもごと言おうとしているが……〝バイト探し〟の面倒さを一度経験している俺は、この名案を捨てるつもりなど既に微塵もなかった。


「よし! そうと決まれば行くぞ久世! 一組ここ、お前のクラスだろ!」

「ええっ!? ちょっ、小野くん!?」


 何か言いたげな久世を無理矢理連れて、一年一組の教室に向かう。

 そんな中俺は……誰か他に誘うべき人物を居るということを、失念しているような気がした。

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