第一四編 等価の〝勇気〟

「店長……七番テーブルの注文です……」

「お~、良かった、暇すぎて干からびるところだったぜ」


 俺が厨房に戻ると、椅子をグラグラさせて遊んでいた店長がヘラヘラした笑顔で出迎えてきた。……バイトの俺が心配するのも変な話だが、大丈夫か、この店。

 すぐにやる気を出して勢いよく注文品の準備を始める店長。そんな彼女と入れ代わるようにして椅子に座ると、俺は長いため息とともに机に突っ伏した。


「おいおい小野おのっち、お前よく店長さまの前でサボタージュ出来るなこの野郎。別にいいけどさ」

「さすが店長さま、いつもサボってるだけあって理解がありますね」

「しばき倒してやろうか」


 言葉とは裏腹に、店長の言葉にトゲはない。忙しいときにサボったりすれば流石に怒られるだろうが、必要なときにきっちり働きさえすれば、彼女はサボりに対してかなり寛容だった。

 まぁそもそも、今店にいる客は七海未来ななみみくただ一人。仕事をしようにも、やることがないのである。ちなみに店内清掃やテーブル拭きなどは、夕方までのアルバイトが済ませてくれている。


「……店長。店長ってぶっちゃけモテる方ですか?」

「なんだいきなり。モテるかモテないかで言えば、まぁぶっちゃけモテないけど」

「ですよね……」

「おいその相槌死ぬほど腹立つからやめろ」


 言葉通りの苛立ちが滲んだ声で店長が言ってくるが、俺はそれを無視スルーしながら再びため息をつく。……いや、一応店長の名誉のために言っておくが、彼女はそれなりの美人ではあるのだ。……ただ性格がアレなだけで。


「……店長ってあれですよね、『喋らなきゃいいのに』って言われるタイプですよね」

「なんなの小野っち、お前あたしに喧嘩売ってんのか? ……ちなみにその台詞なら、学生時代の友人ほぼ全員に言われた」

「分かりました、俺が悪かったので涙声にならないでください」


 後ろから聞こえてくる鼻をすする音に、なんだか俺まで泣けてくる。店長がいい年こいて独身である原因は、彼女が仕事一筋なせいだと信じたい。……信じたいが、おそらくそれだけじゃないんだろうなぁ……。


「……店長。もし、もしもですよ? いや、九割九分あり得ないとは思うんですが、もし、仮に、万が一、世界線に超常的な力が働いたとして――」

「お、おうおう、なんだなんだ? めちゃくちゃ〝もし〟の話だな。どんだけ確率の低いことを――」

「もし店長にラブレターを送る人がいたら、店長はその人のことをどう思いますか?」

「どういう意味だよ! あれか、あたしにラブレターを送るような奴が現れるのは、世界線に超常的な力でも働かない限り無理だってか!?」


 後ろから後頭部にアイアンクローをかまされ、俺は「いだだだだだっ!」と悲鳴を上げる。


「だ、だって普通に考えて、シンプルにあり得ないでしょ!? 店長ですよ!?」

「『店長ですよ!?』ってなんだよ! お前の中のあたしってどんだけ色恋沙汰に無縁なの!?」

「えっ!? 縁あるんですか!?」

「そんなに目見開くほど驚愕する!?」


 心外そうな様子の店長はしばらくプリプリと怒っていたが……やがて俺の質問に答えてくれた。


「えーっと、あたしにラブレターを送る奴がいたら? そんなもん、嬉しいに決まってるだろ?」

「いやラブレターそのものじゃなくて……その、ラブレターを送ってきた相手そのもののことを、どう思いますか?」

「どうって……好きかどうかってことか? んなもん実際に相手がいないことには答えようもないだろ。まぁ十中八九好きになるけどさ」

「十中八九好きになるんですか……」


 どんだけ色恋沙汰に無縁なんだ、この人。このまま行くと、悪いおっさんに騙されたりしそうな勢いだぞ。

 急に店長の将来が心配になってきたが、俺はかぶりを振って話題を戻す。


「なんというか……そうです、告白の手段としてラブレターを選ぶ人って、どう思いますか?」

「んあぁ? いや、どうって言われても……別に、いいんじゃないの? あー、まぁ、SNSとかで告られるのは流石に抵抗あるけどさ。でもちゃんとしたラブレターなら全然いいと思うぞ」

「そう……ですか……。じゃあ、直接面と向かって『好き』と言われるかラブレターを渡されるかだったら、どっちが――」

「直接に決まってんだろ!」

「うおっ!?」


 俺が思わず椅子から転げ落ちそうになるほどの勢いで、店長が声を上げる。す、凄まじい食い付きだった。


「いやまぁラブレターにはラブレターの良さがあるけどな!? それでもやっぱ告白は夕暮れの屋上で、面と向かってされるのがテンプレかつ最強に決まってんだろ!? 想像してみろ、小野っち! もうすぐ日が沈むって状況で、陽に照らされてんだか顔に血ぃのぼってんだか分かんねぇ面した男が、照れ臭そうにしながら、それでも抑えきれねぇ想いの丈をあたしにぶつけてくる場面を! そしてそれを受けて同じくらい真っ赤な顔して、恥ずかしそうに頷くあたしを! 最高にキュンッキュンするだろ!?」

「…………想像してみたら……ウッ、吐き気が……」

「なんでだよ!」


 口元に手を当ててえずく俺に、店長がチョップをかましてくる。……とてもイタい……二つの意味で。


「ま、まぁ店長のイタい妄言はさておき……」

「妄言言うな」

「じゃあやっぱり……ラブレターに頼るのは〝逃げ〟だと思いますか? 直接告白すればいいものを、手紙という方法に逃げた奴だと、そう思いますか?」

「ん? いや、それはまったく?」

「へ?」


 意外な答えに、俺は思わず間抜けな声を出す。


「直接告白されるのはそりゃ最高だけどさ、別にラブレターが〝逃げ〟だとはあたしは思わないな。だって、手紙ってのはその気になれば一生残るもんだぜ? 相手次第じゃ、十年とか経っても後生大事に、手元に残してるかもしんないんだぜ?」

「は、はぁ……まぁ、そうかもしれませんけど……」


 なにが言いたいのかがよく分からない俺に、店長は「だからよ」と続けてくる。


、その想いは本気だってことだろ? たとえ一生残っても構わねえってほどにさ。それって場合によっちゃ、直接告るよりもよっぽど〝勇気〟が要ると思わないか?」

「……!」


 店長の言葉に、俺は大きく目を見開く。それは――それは恐らく、俺が今、一番欲しかった言葉だったから。

 そうだ……七海未来は、まるで直接想いを言葉にする方が〝勇気〟が要ると言わんばかりだったが……そうじゃない。


 ――自分の想いを表現するのは、いつだって怖い。〝勇気〟が要る。

 少なくとも〝ただ好きなだけ〟ではとてもじゃないが行動に移すことなんて出来やしない。……そんなこと、俺は十年も前から知ってたはずじゃないか。


「ほい、七番テーブルさんお待ち~」


 手早く用意されたコーヒーとケーキ、そしてバウムクーヘンが載ったトレンチを俺の前に差し出してくる店長に、俺は最後に一つだけ問い掛ける。


「店長。店長は……ラブレターを読んでもらいたいという想いは、〝身勝手〟だと思いますか?」

「んん? 今日の小野っちは随分弱気な質問をするなぁ?」


 店長は「なにを分かりきったことを」と言わんばかりの顔で、そして笑いながら言う。


「人を好きだって感情なんて、自分の中にしかないんだぜ? だったらんなもん、〝身勝手〟で当たり前だろ。直接告ろうが、ラブレターに託そうが、よ」

「…………ですよね」


 俺は力強くトレンチを握り締め、そして勢いよく厨房を出る。


「七番テーブルさん、行ってきます!」

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