第一三編 勝手と身勝手

「おーっす、小野おのっち、おっはよ~」

「…………ハヨザイアス……」

「暗っ!? 怖っ!? 感じ悪っ!? おいおい、夕方あさっぱらから最低の三拍子だな~お前。人類向いてないんじゃないの?」

「開幕からそんな罵詈雑言ばりぞうごんを笑顔で吐けるような人にだけは言われたくないですけどね……」


 出勤して早々騒がしい店長に若干うんざりしつつ、俺はいつもより割増で低いテンションでツッコミを入れる。

 ――昨日はあれから、ずっとこんな調子だった。

 七海未来ななみみくの車を見送ったあと、取り残された俺は当初の予定通り、久しぶりの自由な放課後を満喫するためにレンタルビデオ屋へ向かい、気になったものを数本借りて家で観たのだが……どれを見ても、まるで集中できなかった。

 恋愛ものは、今の自分のおかれた状況のせいで楽しめなかったし。

 アニメものは、直前に文字通り現実離れした美少女を見ていたせいで陳腐に映ってしまったし。

 アクションものは、コンクリートを叩き割ったあの女性のせいで「なんだ、その程度か……」みたいな感想しか抱けなかった。

 まぁ、普段からそこまで映画を楽しむタイプではない俺だ。それくらいは別にいい、別にいいのだが……。


「(それでも七海未来、アイツはいけ好かねぇ……!)」


 この気持ちばかりは、昨日からずっと膨らむばかりだった。

 たしかに、あの女は可愛い。ハッキリ言って、アイドルや芸能人など話にならないレベルだ。それは認める。

 おまけにあの大企業、セブンス・コーポレーションの社長の娘で、なんか化け物みたいな女性を従えている本気物マジモンのお嬢様でもあるらしい。だから、俺たち庶民のことを無下に扱うとか、格下に見ているとしても、多少の我慢は利く。

 だが……だが、それでも俺は、あのラブレターの件だけは、どうしても許せなかった。

 確かに身分違いの恋だろうし、本人にしてみれば鬱陶うっとうしいだけかもしれないが、それでもあれはあんまりだろう。

 もし仮にあの女があのラブレターをきちんと読んだ上で、「ふんっ、庶民ごときがわたくしに恋い焦がれるなんて、千年早いですわ!」などとほざきながら手紙をビリビリに破り捨てた、とかだったら、俺は「嫌な女だ」と思いこそすれ、ここまで悪い気分にはならなかっただろう。

 だが七海未来は、ラブレターをラブレターとしてさえ受け取らなかった。本当に、ただの紙屑として、ただの紙屑と思ったまま捨てたのだ。想いに応えるどころか、受信すらしていない。


「ふざけやがって……」


 俺は言葉にしがたい苛立ちを抱えたまま、エプロンをつけて更衣室を出る。

 本当は今日、学校で七海未来に直談判してやるつもりだったのだ。……あのコンクリート女がいないなら、だが。

 しかし、七海未来は久世くせが言っていた通りに不登校気味らしく、今日は学校に来ていなかったのである。もしかしたら俺が絡んだせいかもしれないが……だからといって、俺に罪悪感のようなものはない。


「見てろよ……絶対、目にものを見せてやる……!」

「……お、小野っち、大丈夫? 今日のキミ、いつにもましておかしいんだけど……」


 店長がすごく心配そうな顔で言ってくるが、そんなことは関係ない。俺は絶対に、あの女を改心させてやる。

 そんな決意とともに、厨房からホールへ出たその時、丁度入り口のドアベルがカランカラン、と小気味いい音を鳴らした。


「いらっしゃい――ませ……」


 俺はいつも通りのビジネススマイルとともにその客のもとへ向かい――そして固まった。

 なぜなら、そこに居たのは……。


「な……七海、未来……」


 サングラスにマスクという重装備でやって来るこの喫茶店の常連客〝七番さん〟こと――七海未来だったからだ。



 ★



「ご注文はお決まりですか?」

「ブラックコーヒーとフルーツケーキセット、バウムクーヘンを一つずつ」

「あいにくどれも品切れしておりまして」

「じゃあカフェラテとチーズケーキ、アップルパイを一つずつ」

「あいにくどれも品切れしておりまして」

「……何ならあるのかしら」

「お客様が注文されないような品なら、すべて万全にご用意いたしております」

「じゃあそこから適当に見繕ってくれればいいわ」

「かしこまりました。激辛唐辛子スープと激辛担々麺、そして激辛カレーライスをご用意させていただきますね」

「……それ以外の選択肢はないのかしら?」

「あいにくどれも品切れしておりまして」

「だとしたら激辛料理屋に改名した方が賢明だと思うけれど」


 俺のあからさまに無礼な接客態度に、いつものようにずっと本に向けたままだった七海未来はサングラスを外し、初めてまともにこちらを見た。


「……どこかで見たような顔ね」


 すでに俺のことなど忘れているらしいお嬢様に、イラッときた俺は七番テーブルを叩いて声を上げる。


「昨日の今日で忘れてんじゃねぇよ! ……そういや、まだ名乗ってなかったかもだけど!」

「いえ、名乗らなくていいわ。覚えるつもりはないから」

小野悠真おのゆうまだ、以後お見知りおきを!」


 ダンッ、と再度机を叩きながら青筋を浮かべる俺に、七海未来は露骨に鬱陶しそうな目をして俺のことを睨む。


「……貴方、たしか昨日の放課後に絡んできた男ね」

「おーおー、思い出せたじゃねぇか。その節はどうも」

「それで、私になにか用かしら?」

「いえいえ、学校サボっといて喫茶店でお茶とは、流石お嬢様は悠々自適な暮らしをされてるなぁと思いまして」

「仮にも喫茶店を名乗るならコーヒーの一つくらい用意しておくことね」


 俺の安い皮肉など反論する価値もないとばかりに、再び視線を本へと戻す七海未来。……こ、この野郎……!


「(だいたい、いつもなんの本読んでるんだよコイツ……!?)」


 思いながら、彼女の手にしている本の背表紙に印刷されたタイトルを見ると――


〝純愛高校生物語〟。


「よりにもよってお前がそれ読むんかいっ!!」


 衝撃のあまり、思わず大声で叫ぶ俺。そんな俺に、七海未来は鬱陶しそうに目を向けてくる。


「いつまでそこに居るつもりなのかしら? 早く注文したものを持ってきなさい」

「うるさいんだよ、本当に激辛スープ飲ませてやろうか!? というか、お前そのキャラで恋愛小説とか読んでんじゃねぇよ、ふざけてんのか!?」

「どうして貴方にそんな文句をつけられているのか、理解できないのだけれど」

「人の好意に踏みにじっといてんなもん読むなっつってんだよ!」

「……なんの話?」

「昨日のラブレターの話!」


 い、イライラすんなコイツ! なんか、いちいち「何を言っているのかしらこの庶民は?」みたいな目で見られている気がして倍増しで腹立つ! 本人がそんなことを思ってるのかは知らんけど!


「ラブレター……? あぁ、そういえば昨日もそんなことを言っていたわね」

「それすら忘れてんのかよ、ふざけんな! 俺がどんだけそのことで気ぃ悪くしたと思ってんだ!」

「知らないわ。その恋文は貴方が私に送ったの?」

「んなわけねぇだろ! こちとら十年間好きな女が同じ学校に――!」


 そこまで言って、俺はハッと口を押さえる。勢い余って余計なことを口走ってしまった。

 しかし七海未来は俺の恋愛事情になど欠片も興味がないらしく――まぁそりゃそうだろうが――、「だったら」と話を続けてくる。


「どうして貴方は、そんなに私が気に食わないのかしら?」

「ど……どうして、って……」


 純粋な疑問をぶつけられ、俺は一瞬返答に迷い――そして、やがて口を開く。


「俺はただ……あのラブレターをお前に送った奴らみたいに〝勇気〟を出した連中には、多少の見返りがあってほしいだけだ」

「……? 勇気……?」


 七海未来は俺の言葉の意味を図りかねるかのように首をかしげる。


「……ただ手紙を下駄箱に入れるだけの行為の、一体どこに勇気が要るのかしら」

「いや、そりゃ言葉にすりゃそれだけのことかもしんないけど! ……でも、やっぱり怖いだろ。人に……す、好きって伝えるのは……」


 少なくとも、俺には無理だった。十年あっても、想いを形にすることは出来なかった。

 だからこそ、俺は彼らの――七海未来にラブレターを送った連中の〝勇気〟をたたえたい。せめて、送られた手紙くらい、きちんと読んでやってほしかった。

 だが……そんな俺の想いは、やはり彼女には届かない。


「……理解しかねるわ。本当に勇気のある人間なら、面と向かって好意を口にするでしょう。この小説の主人公のように」


 言いながら七海未来は、俺に小説の終盤付近のページを見せつけてくる。そこには確かに、「君のことが好きだ」とヒロインに告げる主人公が描写されていた。


「これほど端的で、誰にでも出来る方法があるのに、それをせずに手紙という手法に〝逃げた〟だけ。貴方の言う〝勇気〟は、私にはそうとしか感じられないわ」

「…………! た、たとえそうだとしても! せめて手紙を読んでやるくらいのことはしてやってもいいだろ!?」

「どうして私が、許可もなく下駄箱に入れられていただけの紙屑かみくずに目を通さなければならないの?」

「ど、どうしてって……! お前への想いがつづられた手紙なんだぞ!? 普通、ちょっと読んでやるくらいのことは――」

「貴方の考える〝普通〟を私に押し付けるのはやめてもらえるかしら。私に言わせれば、それが大切な内容だと言うのなら、なおさら直接言葉にするのが〝普通〟よ」

「…………ッ!」


 淡々と重ねられる七海未来の正論に、俺はそれ以上、反論を重ねることが出来ない。


「私に対して好意を抱くのは勝手よ。けれどその好意に対して、私側がどう対応するかまで求めてくるのは、ただの〝身勝手〟だわ」


 そう言って、七海未来は改めて俺の顔を見た。

 その真黒の瞳に射抜かれるのは、やはり、どうしようもなく怖くて。


「ブラックコーヒーとフルーツケーキセット、バウムクーヘンを一つずつ。…………それとも、まだ品切れ中かしら?」


 言外に「言いたいことはもう済んだか」と問われ――俺は、どうしようもない敗北感とともに、小さく頭を下げる。


「……かしこまり、ました……」


 項垂れるような一礼の後、俺は負け犬のように厨房へと戻る。……彼女に論破され、考えを改めさせられなかったことが、悔しくて仕方がなかった。

 そしてそんな俺の背中になど、きっと彼女は一瞥いちべつもくれてはいないのだろう。なぜなら俺など、彼女にとってはとるに足らない存在に違いないのだから。

 それは奇しくも、あのラブレターたちと同じように。

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