第一二編 お嬢様
校舎から勢いよく飛び出し、俺はそのまま真っ直ぐ正門へ向かう。
ともかく、今のこの時間なら開いているのは正門だけ。つまり〝七番さん〟が――
「(それなら、絶対に間に合う!)」
俺は久々に全力で走っていた。
実際のところ、七海未来となにを話すのかなんてまったく決まっていない。しかしそれでも、なにか一言言ってやりたかった。
完全に私情ではあるが――〝勇気〟を出した人たちには、たとえその恋が報われなくても、次に繋がるなにかを得てほしかったから。
〝正しい失恋〟を、してほしかったから。
「七海さんッ! 」
正門付近を歩く七海未来の背中に追い付き、俺は大きな声で彼女を呼び止める。
しかし、彼女はこちらをちらりと
「お、おい!? ま、待ってくれって! 話を聞いて――」
俺は慌てて彼女の前に回り込み、その進路を塞ぐようにして立ち止まってから――
「……なにかしら」
――その宝石のように真っ黒な瞳に射抜かれ、俺はぐっと言葉を詰まらせる。
改めて見ても、やはりこの世のものとは思えない美しさだった。
身長こそ平均的な女子くらいなのだが、だからこそ、精緻に造り上げられた人形のような可憐さが際立っている。
染められるどころか髪型すらいじられていない黒髪に加え、スタンダードな制服姿という着飾りのなさ、そして無知な俺でも分かるほどの化粧気のなさ。それでいてなお、周囲の景色が霞むほどの端麗さ。
七海未来。俺がこれまでの人生で目にして来た何物よりも美しいこの少女は、俺のことを無表情に、しかし迷惑そうな目で睨み付けている。
「――ど……どうして、手紙を捨てたり、するんだ……」
ようやく、喉の奥から
不思議なことに、足が震える。俺はそれほど高身長ではないとはいえ、彼女と比べれば身体の大きい男だというのに、それでも目の前の少女が怖くてたまらない。
その根源は彼女の次元違いの美しさか、それとも敵意すら滲んだ瞳だろうか。あるいはその両方かもしれない。
「……? 手紙……? なんのことかしら?」
透き通る水のように綺麗な声で、七海未来が問うてくる。
声量はまったくといっていいほどなのに、それでも聴覚に直接訴えかけてくるかのようにハッキリと澄んだ声だ。聞き取り違いの余地もない。
だからこそ……俺は自分の耳を疑った。
「なんのこと……って……さっきアンタ、捨てただろ。下駄箱に入ってた手紙……ラブレターを」
「ああ……あれのこと……」
まるで遠い過去のことを思いだすかのように、既に彼女のなかでは〝どうでもいいこと〟として処理されていたかのように、七海未来が呟く。
「あれ、ラブレターだったのね」
「……は?」
俺は再び耳を疑う。
……今、この女はなんと言った?
「私は、勝手に下駄箱に
俺は、自分の背筋が凍るような感覚を覚えていた。
だって今、この女は間違いなく素でそう言った。
人から送られたラブレターを読まないどころか、「ラブレターである」という認知すらしていない。
――本気で、〝紙屑〟としか思っていない。
「……話はそれだけかしら?」
「…………それ、だけ、って……」
俺の言葉が聞こえているのかいないのか、七海未来はそのまま、何事もなかったかのように門に向かっていく。俺はその後ろ姿を呆然と視線で追い、なにか言ってやろうとして――しかし、喉が震えて思うように声が出せなかった。
……人の好意に対し、なんとも思わないだけならまだいい。ラブレターを送られたからと言って、そのすべてに真摯に
ただ、無下に扱ってほしくはなかっただけ。たとえ捨てるとしても、あんな人目につくところに無造作に捨ててほしくはなかっただけ。
俺が言いたかったことなんて、端的にはそれだけだったのに。
だが彼女は、自分へ宛てられた恋文を無下に扱うどころの騒ぎではなかった。
ラブレターに目を通さないなんて可愛いレベルじゃない。目を通さないどころか、意識すら向けていない。彼女の目にはあの手紙たちは、普通のゴミとなにも変わらず映っている。
そしてなにより――あれがラブレターだと教えられても、平然と〝それだけ〟で済ませられる目の前の女に、俺は怒りを通り越して不気味さすら感じていた。
――もし、もしも俺が
そう考えただけで、心臓を握り潰される思いだった。悲しいとか悔しいとか、もはやそういう話でさえない。
想いを綴ったラブレターが、勇気を出して下駄箱に入れたラブレターが、そこらの紙屑と等価に扱われるなんて、手紙を送った本人が知ったらどう思うだろう?
「…………おかしいだろ、こんなの……!」
俺は、強く拳を握り締める。
「想いは必ず叶う」なんて思っちゃいない。想うだけで恋が成就するのなら、俺はとっくに桃華と結ばれている。
でも、そうじゃないから。だからこそ〝告白〟や〝ラブレター〟とは、その本人の〝勇気〟の結晶と言える。つまりは、どれだけ本気で相手を思っているかの証明。
当然、その恋が無様に破れ去ることだってある。しかしその〝正しい失恋〟は、必ずその者にとって大きな意義を生むだろう。
――相手がその想いを、認知してくれさえすれば、の話だが。
言い知れぬ怒りをバネに地を蹴り、俺は再び七海未来を追う。既に正門の外へ出た彼女の背中は見えない。
自分でも、どうしてここまで必死になっているのか分からない。何度も言うが、俺は別にあのラブレターの送り主たちの知り合いでもなんでもない。
でも、それでも。
「七海さんッ!!」
正門を潜るやいなや、俺は大声で彼女の名を呼ぶ。
しかし、そこに彼女の姿はなく――代わりにそこに居たのは、ピカピカの高級車のドアを
まるで執事のような、あるいは騎士のような風格を
「――お嬢様になにか御用でしょうか」
「……は?」
……今なんて? お、お嬢様?
俺の心の声を読んだかのように、目の前の女性は小さく頷く。
「はい――セブンス・コーポレーショングループの最高責任者、
――セブンス・コーポレーション。
それは、おそらく今の日本に並び立つもののない、文字通り、世界有数の大企業の名だ。学生の身の俺でさえ、日にその名を聞かないことなどそうそうないほどの。
そんな〝超〟が三つも四つも付くような大企業の、お嬢様……?
「――
「ハッ! 申し訳ございません、お嬢様!」
車の中から聞こえたくもぐった――それでいてなお
俺は先ほどから衝撃の連続でうまく働かない頭を振り、とにかくまずは七海未来を引き留めようとして――
「――それより先へ進めば、
――ビシィッ! という耳を裂くような音によって、俺の足は強制的に止められた。
見れば……俺の足先数センチほどの位置にあるコンクリートの地面が、まるで鋭い刃物で斬り裂かれたかのようにパックリと割れている。
ギギギ……と頭を動かして目の前の女性を見ると、彼女の左手には教師が授業中に使う指示棒のような形状のものが握られている。……当然刃などついていないのだが……もしかして、あれで割ったのか? ……コンクリートを?
「(……え? 化け物?)」
俺が恐怖を通り越した不気味さ――をさらに通り越し、ヒクヒクと頬をひきつらせて半笑いになっている間に、女性は運転席へと乗り込む。そしてそのまま車は走り出し、あっという間に見えなくなってしまった。
……俺はそれを半笑いのまま見送り、そして、やがて呟いた。
「……なんなんだ、
……俺はなんとなく、
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