第一一編 恋破れた恋文たち
久世の幼馴染みだという少女が教室――一年一組――へと入っていったことで、静寂に支配されていた廊下に、少しずつざわめきが戻っていく。
そのざわめき声の大半が、というよりすべてが、あの美少女に関する話題であるように感じられた。
「……なぁ、あれってうちの喫茶店の――〝甘色(あまいろ)〟の常連だよな? あの七番テーブルの……」
俺はまず、一番気になったことを久世に尋ねてみる。久世は、あの美少女に睨まれたせいでまだわずかに青い顔のまま、コクリ、と首だけで頷いた。
「……最初は驚いたよ……まさか、バイト先で彼女を見るなんて思いもよらなかったからね……」
「あぁ、そういや幼馴染みだって言ってたもんな。……しっかし、お前あの子に何したんだよ?」
「な、何って?」
「いや、すんげぇ睨まれただろ。この前も、そんで今も」
「そ、そうだね……でも、彼女と特になにかがあったってわけじゃないんだよ」
「嘘つけ、あんな殺気丸出しのガン飛ばしなんか見たことねぇぞ。というか、普通人生で〝殺気〟とか感じねぇよ。完全に世界観おかしかっただろ」
「そ、そんなこと言われても、なにもないものはなにもないんだよ。ただ……」
「ただ?」
「ただ……僕が彼女に――
そう言って、悲しげに目を伏せる久世。……そういえば、あの美少女が現れる前、「苦手な女の子がいる」みたいな話をしていたが……もしかして、あれがそれか?
というか、完璧超人みたいな
だが、流石に目の前でこんな風に落ち込まれると調子が狂う。俺は、少し無理やりに話題を転換させることにした。
「……しっかし、あんな美人が同学年にいたとか知らなかったな。まぁ俺は一組と関わりなかったから当然かもしれんが」
「いや、知らなくても無理はないよ。未来は、あんまり学校に来ていないからね」
「は? どういうことだ? 不登校ってことか?」
「まぁ、そんなところ。言い触らすような話じゃないとは思うんだけど……さっき
遠慮がちに、少し声のトーンを落としてそう言った久世に、俺は一瞬首をかしげそうになって……しかし、すぐにその意味を理解した。
「(ただ廊下歩いてるだけであんだけ注目浴びりゃ……そりゃ、嫌にもなるよな……)」
実際、俺自身も彼女に対して無遠慮な視線を送っていた一人だ。赤の他人からそんな風に見られ続けるなど、相当なストレスに違いない。
少なくとも俺なら、そんな状態で学校になんて来たくない。
「なるほどな。〝
「そういうことだね。学校でもそう出来れば良かったんだろうけど……」
「まぁ、マスクはともかく、学校でサングラスは流石に注意されるもんな」
そもそも年がら年中サングラスマスク姿という方が、よほど周囲から注目されてしまうだろうが。
「……というか、なんでそんな状態でまで学校来てるんだ? なんか事情でもあんのか?」
「うーん……普通に登校日数が足りてないってのもあるんだろうけど……彼女の場合、色々と他の問題もあるのかもしれないね」
「……?」
苦笑するようにそう言った久世の言葉の意味を、俺には理解することが出来なかった。
★
「じゃあなー、
「おー」
放課後、数少ない友人と別れの挨拶を交わし、俺は一年三組の教室を出た。
今日は珍しくバイトもなく、家でゆっくり出来そうだということで、俺の足取りはとても軽い。
「(しかし何をするかだな。久しぶりにゲームでもするか、それとも映画でも借りてきて観るか……)」
校舎内の階段を、教師に見咎められない程度の勢いで素早く下りながら、俺は今日の過ごし方について模索する。
ちなみに、俺の放課後の過ごし方に〝友人と遊ぶ〟みたいな選択肢はない。友人が少ないという理由ではなく、単純に誰かとつるむのがあまり好きではないからだ。……決して負け惜しみなどではない。
実際、友達付き合いで興味もない買い物に付き合わされたり、行きたくもないカラオケに行くくらいなら、一人で映画でも観た方がよほど有意義だろう。俺は割と本気でそう思っていた。
階段で一階まで下りると、そのまま廊下を進んで下駄箱へ向かう。
いつもならバイトの時間まで少しだけ教室で時間を潰してから学校を出るため、下駄箱付近は帰宅する生徒や部活動をしている生徒たちでごった返しているのだが、今日はホームルームの後すぐに教室を出たこともあって、他の生徒の姿はなかった。
「(これは一番乗りか? 一番乗りなのか?)」
特になんの名誉でも栄光でもない〝帰宅一番乗り〟への期待が、無意味に俺のテンションを引き上げる。……客観的に見れば相当キモい。
しかし、結局その期待は裏切られることとなった。たった一人だけ、俺より先に下駄箱にいる生徒がいたのだ。
「(ど、どこのどいつだ、俺の栄光を邪魔する奴は……!?)」
迷惑甚だしい怒りとともに、俺は下駄箱の主へと目を向け――そして、思わず硬直した。
なぜなら、そこに居たのは――
「(な……〝七番さん〟……!?)」
――今朝、廊下から音すら奪ってみせた美少女、〝七番さん〟こと久世の幼馴染みだったからだ。たしか名前は……
彼女はどうやら俺の存在には気づいていない様子で、下駄箱の前で何かを手にしている。プリント……いや、
それも一枚や二枚じゃない。十数枚はゆうにあるだろう。彼女はそれを無感情な瞳で眺めた末、小さなため息とともに、下駄箱の隅に設置されているゴミ箱へと放り込んだ。
そのまま下駄箱を出て正門の方へと向かった彼女の背中を見送り、俺は素早くゴミ箱へと駆け寄る。
「(い、いったいなんだったんだ……?)」
人の捨てたモノを漁るなど褒められた行為ではないが、俺はどうしても気になってしまい、彼女が捨てた紙の一枚を手に取った。
そしてその内容に目を通して――愕然とする。
――貴女が好きです。付き合ってください。
それは、ラブレターと呼ばれるべきものだった。
送り主の所属クラスや名前から始まり、彼女のどこが好きなのか、いつから好きだったのかなど、その想いの丈が事細かに、熱烈に記されている。
見れば、他の十数枚もすべてラブレターらしかった。勿論、送り主は全員違う。つまり彼女は、一度に十数人から告白されたようなものだ。
しかし……俺が驚いたのは、そんなことではなかった。
「なんで――なんで、捨てたんだ……?」
思わず、俺は呟きをこぼしてしまう。それほどまでに彼女の行動が衝撃的で、そしてなにより理解が出来なかった。
他人が、自分への好意を
おまけに、先ほど手紙を見ていた時の彼女の瞳。自分へ向けられたラブレターを、まるでゴミか何かのように見ていた。喜びの感情など、欠片も感じられない目をしていた。
「…………なんでだよ」
俺は、なぜだか無性に悔しい気持ちで一杯になった。
別に、このラブレターの送り主たちの知り合いでもなんでもないくせに、それでも妙に悔しくて、そして悲しかった。
だって……だって彼等は、少なくとも〝行動〟したのに。
十年間、ただ
きっと勇気を振り絞って、彼女の下駄箱に手紙を入れたに違いないのに。
――その結果がこれなんて、あんまりじゃないか。
俺はしばらくの間ゴミ箱に捨てられた恋文たちを見つめ、そして顔を上げると、すぐに自分の靴を上履きから履き替え、そして駆け出した。
――丁度いい。放課後の過ごし方が未定だったところだ。
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