第九編 歪な顔

 俺と久世くせがアルバイトをしている喫茶店〝甘色あまいろ〟は、私立初春はつはる学園から徒歩十分ほどの位置にある。

 店舗の規模はそこまで大きくも小さくもなく、またあまり人通りが多くない道路に面していることから、基本的には満席になるどころか、店内が混みあうことすら珍しい。今日のような平日ならなおさらだ。


「お待たせいたしました。ブラックコーヒーとサツマイモのタルト、そしてりんごとアーモンドのキャラメリゼでございます」

「……どうも」

「ごゆっくりどうぞ」


 俺は常連の一人であるサングラスにマスクの女性客、通称〝七番さん〟――どういうわけか久世が接客に行くと睨まれるらしい――のテーブルに注文の品を運び終えると、ちらりと店内の壁に掛けられた時計に目を向ける。

 時刻は五時半を少し過ぎたところ。秋の夕空が少しずつ暗くなっていき、町の街灯もちらほらと色づき始めている。


「(……そろそろだな)」


 俺がそう考えていた時、ちょうど喫茶店のドアベルがカランカラン、というどこか古風な音とともに開かれる。目を向けると予定通り、二人連れの女子高生が店内に入ってくるところだった。


「いらっしゃいま――」

「ごごご、ごめんくださいっ!? きき、喫茶店のあま、まいろって、ここで良かったでしょうかっ!?」

「(あままいろってなんだよ)」


 人の台詞を遮った挙げ句、緊張しすぎてめちゃくちゃな噛み方をする女子高生の一人――桐山桃華きりやまももかの姿に、俺は内心であきれたようにツッコミを入れる。

 すると、同じく呆れた様子の女子高生――金山かねやまやよいが、ため息混じりに口を開いた。


「アンタ、どんだけド緊張してんのよ……ここ来るの、別に初めてじゃないでしょ」

「だだ、だってだって! こ、このお店の中にあ、あのあの久世くんがいるんだよ!?」

「そりゃいるでしょ、アンタ、その男に会いに来たんだから」

「ギャーッ!? ちょっとやよいちゃん!? ほ、本人に聞こえたらどうするのさ!?」

「うっさいなぁ……ちょっと小野おの。さっさと席通してよ」

「お、おう」


 少し苛立った様子の金山に言われ、俺は二人を厨房から少し離れたテーブル席へと案内する。

 そしてお冷やとメニュー表を出したところで……俺は二人に向かって当然の疑問を口にする。


「……これ、久世に会わせない方がいいんじゃねぇか?」

「奇遇ね、私もそう思ってたとこ」

「わわ……私もそう思い始めたとこ……」

『なんでお前アンタもそう思ってんだよ』


 震える手でお冷やのグラスを握りながら弱気なことを言う桃華に、俺と金山のツッコミの声が重なる。そんな俺たちに、若干涙目になった桃華が「だ、だって!」と抗議してくる。


「昨日の今日でいきなり『久世くせくんに会え』って言われても! そんなの緊張するに決まってるよ!」

「だからって、ここまで来て怖気おじけづいてんじゃないわよ。せっかくのチャンスなんだよ?」

「うぅ……それは、分かってるんだけど……」


 緊張からか、頬が真っ赤になっている桃華は、その潤んだ瞳で助けを求めるかのように俺のことを見上げてくる。……やべぇ、めちゃくちゃ可愛い。

 彼女の可愛さにほだされた俺は、とりあえず彼女に時間的猶予を作ってやることにした。


「ま、まぁそんな慌てなくても大丈夫だろ。時間はたっぷりあるんだし――」

「とりあえず小野、チェンジで」

「いきなり何言い出したこの女」


 ぎょっとする俺に、一応幼馴染みのギャルは淡々と告げてくる。


「私は久世真太郎くせしんたろうにそこまで魅力とか感じないけど、それでも冴えない地味男じみおに接客されるくらいならあっちの方が断然いいし。だからチェンジで」

「誰が冴えない地味男だ」

「少なくとも冴え渡るイケではないだろ」

「冴え渡るイケ男ってなんだよ。無理やり対義語つくり出してんじゃねぇぞ」

「いいから早く、チェンジで」

「まずチェンジシステムとかねぇよ。ここはいかがわしい店じゃねぇんだぞ」

「ゴタゴタうるさいな。前歯へし折って、出来た隙間から舌引っこ抜いてあげようか?」

「理不尽な上に無駄に怖いんですけど! それ前歯折る必要ある!?」


 いや、そもそも舌を抜かれる筋合いもないのだが。相変わらず怖い女だ、金山やよい。つくづく苦手意識が増すばかりである。

 しかしそこで俺は、俺たちのくだらないやり取りを見ていた桃華がくすくすと笑いを漏らしていることに気が付いた。彼女はひとしきり笑い終えると、向かいに座る恐怖ギャルに告げる。


「ありがとね、やよいちゃん」

「……なんのことよ。いいからさっさと注文決めな」

「ふふ、はーい」


 照れたように目をらす金山と、そんな彼女に促されてニコニコしながらメニューを眺め始める桃華。

 ……まさか金山コイツ、桃華の緊張をほぐすために、わざとあんなこと言って――


小野アンタもさっさと、チェンジ」

「そうだよな、お前がそんな良いヤツなわけないよな」


 安心した。やっぱり金山コイツは安定の悪魔だ。俺の十年来の認識に間違いはなかった。


「ねぇ悠真ゆうま。私、レアチーズケーキとロイヤルミルクティーでお願いしまーす」

「私はホットキャラメルとモンブラン。というかココ、友達割とかないの?」

「そんなもんねぇし、あったとしても俺とお前は友達じゃねぇ」


 ふざけたことを抜かしてくるギャルをあしらいつつ、俺が注文伝票に記入をしていた、その時だった。


「小野くん、店長が呼んでいるんだけど――」

「ッ!」


 俺の背後から、爽やかなイケメンボイスが聞こえてきたのは。瞬間、せっかく緊張がほぐれつつあった桃華がビクッと身体を強張らせる。


「っと、お客様対応中だったんだね。大変失礼致しました」


 久世の位置からは桃華たちが見えていなかったらしく、彼女たちに気付いた久世は、二人に向けて丁寧にお辞儀をした。その、まるで貴族のように優雅な一礼を見て、桃華が「はうぅっ!」と声を上げる。


「アンタが久世真太郎?」

「えっ? あ、はい、そうですが……?」


 金山にいきなり名を呼ばれ、久世が少しだけ動揺した様子で答える。


「ふーん。学校でちらっと見かけてはいたけど、実際にこうして見ると、確かに格好良いね」

「あ、ありがとうございます……?」


 状況を理解できていない様子の久世。それもそのはずだ。学園指定の制服でも着ていれば話は別だろうが、今日は桃華も金山も私服姿。つまり一般の客との区別がつかない。そんな相手にいきなりこんな褒め方をされても対応に困るだろう。


「あー……久世、紹介するよ。初春はつはる学園一年の金山やよい、それから桐山きりやま桃華。二人とも俺の……まぁ、腐れ縁みたいなもんだ」


 なんとなく〝幼馴染み〟という言葉を飲み込んだ俺に、久世は「あぁ、そうだったんだね」と爽やかに笑う。


「初めまして、久世真太郎といいます。初春学園一年一組で、今はこちらの喫茶店でアルバイトをさせて貰っています。どうぞよろしく」

「ん、金山やよい、初春の一年二組。よろしくね。それからこっちが――」


 久世と挨拶を交わした金山が、ちらりと向かいの席に目を向ける。

 そこに座る少女は、喫茶店に入ってきた時と同じ、いや、それ以上にガチガチに緊張した様子で、久世と目も合わせられないままに口を開く。


「あ、あのあの、えっと、私、初春学園の一年二組で! っじゃなくて名前っ! 名前は、きりや――桐山ですっ!」

「どんだけ緊張してんのよ……」


 見ているこっちが恥ずかしいくらいに噛み噛みの自己紹介――しかも名字だけ――をした桃華を見て、金山がため息をつく。

 しかし久世はそんな桃華に静かに一歩あゆみ寄ると――スッとその手を差し出した。


「よろしく、桐山さん」

「!」


 優しく微笑みながら掛けられた、簡単で、しかし気遣いに溢れた言葉。そのたったの一言で、緊張に支配されていた桃華の瞳に落ち着きが戻ったように思えた。


「――は、はいっ! よ、よろしくお願いします!」


 まるでアイドルと握手をするかのように、両手で嬉しそうに久世の手を握る桃華。

 そんな彼女を見て俺は――胸の奥が、ズキリと痛む感覚を覚えた。


「……店長が呼んでるんだっけ? じゃあ俺、ついでに店長に伝票渡してくるわ」

「えっ? ああ、それなら僕も――」


 桃華たちの席に背を向けて厨房へ戻る俺に、久世が後ろから声をかけてくる。しかし俺はつとめて明るい声で――ただし決して彼らの方を振り返ろうとはせぬまま、「いや、いいよ」と言葉を返した。


「他の客もほぼいないし、しばらく二人の相手してやってくれよ」

「で、でも仕事が……」

「俺たちは〝接客〟が仕事だろ? ちゃんと客に接してみろよ」

「……な、なるほど、確かにそうなんだろうか……」


 あっさりと言いくるめられる久世。……コイツが真面目バカで助かった。だって今、俺はきっと……。

 俺が一人で厨房に戻ると、店長が暇そうに食器類の手入れをしている。普段は「手伝え」と言われるのが嫌だからなるべく近寄らないようにするのだが……今日は気にせず声をかける。


「……店長、なんですか?」

「おー、小野っち。いや、あんまり暇なもんだから話し相手にと――小野っち、どうかした?」

「……何がですか?」

「いや、なんか――」


 店長は俺の顔を覗き込むと――心配そうに告げてくる。


「すげー、かなしそうな顔してるから……」

「…………」


 店長のその言葉を、俺は「なんすか、ソレ」と無理やりに笑い飛ばそうとして……でも、出来なかった。俺が今、酷い顔をしているだろうことは、他でもない俺自身が一番分かっていたから。

 ふと、店長が磨いていた銀のボウルを覗き込むと、その中には情けなく、今にも泣き出しそうな表情をした、いびつな顔の男が映っていた。

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