第八編 不戦者の矜持

 ――明日は久世くせもシフト入ってたはずだから、話してみたいならうちのバイト先に来いよ――


「……なんであんなこと言っちまったかなぁ……」


 かなり肌寒くなってきた秋の夜、電気の消えた自室の布団にくるまりながら、俺は今朝方の自分の発言に激しく後悔していた。


「(なんなの、なんであの時の俺、あんなテンションだったの? 好きな女を最強の敵に紹介するって、なにがしたいんだよ俺は)」


 あの時は自分の失恋を受け入れてでも……みたいなテンションだったくせに、時間が経つほど、俺は「やっぱあの話、なしで」と言いたくて仕方なくなっていた。

 そりゃそうだ。なにが悲しくて自分から失恋しに行かなくてはならないのか。本当に、あの瞬間の俺を助走つけた上で殴り飛ばしてやりたい。

 しかし、今さらあの発言を取り消すことは出来ない。桃華ももかの悲しむ顔を見たくないというのは勿論だが、あの時俺の発言を聞いていたのは彼女だけではなく、その友人である金山かねやまやよいも居合わせていたからだ。あの男前ギャルを敵に回したら、俺はこの先、この住宅街で生きていけなくなるような気がする。


「(それに何より――ここで紹介するのを止めたら、俺が桃華のことを好きだって言ってるようなもんなんだよな……)」


 男が、他の男に女を紹介したくない理由なんて、そう多くはないだろう。ましてや、一度「紹介してやろうか?」という提案をしておきながら「やっぱ止めとく」なんて、もはや〝意味〟しか感じられない。少なくとも俺が第三者の立場なら、「あれ、コイツ、桃華のこと好きなんじゃないか?」と疑ってしまうだろう。

 それがバレたところで俺になにか不利益があるのかと問われれば、別にそんなことはない。ないのだが……


「(こういうところ、なんだろうな……俺がこの十年間、〝初恋〟を終わらせられなかった原因は……)」


 結局俺は、〝好意〟を伝えるのが恥ずかしかっただけなのだ。

「好きだ」と言葉にすることが出来なかっただけなのだ。

 桃華のことが好きだと思っても、それを行動に移すことをしなかった。想いを告げるための努力をしなかった。

 なにもしなかったから、なにも発展しなかった、それだけ。

 俺は、久世真太郎くせしんたろうに負けたんじゃない。


 俺は――勝負の土俵に、上がろうともしなかっただけだ。


 不戦敗と呼ぶことすら烏滸おこがましい、弱者の逃走。

 仮に桃華が惚れた相手が久世でなくても、俺は負けていたんだ。

 そりゃそうだ。つるぎを引き抜こうともしない戦士が、どうしていくさで勝てるというのか。

 たとえ己のさやおさめた剣が、錆び付き、刃が欠けていたとしても。たとえ相手の振るう剣が、鋭く研ぎ澄まされ、岩をも斬り裂くような名剣であったとしても。

 最初から勝敗の見えた戦であったとしても。


 それでも、ちゃんと戦っていれば、こんな無意味な失恋には、ならなかったはずだから。


〝失恋は人を強くする〟、という言葉を聞いたことがある。

 初めて聞いたときは胡散臭い、精神論の域の話だと感じたものだったが、今ならあの言葉が正しかったのだと理解できる。

 〝勇気〟を振り絞って戦った者が、成長できないはずがない。その結果が惜敗であろうが大敗であろうが、なにかに真剣に、懸命に取り組んだ人間が得られる正当な対価と言えよう。

 だが、だからこそ、あの言葉は言葉足らずであるとも言える。


 正確には、〝正しい失恋は人を強くする〟、だろう。


 俺のような、戦いもせずに自然との人間に、成長の余地などあるはずがない。悔恨や敗北感を得ることすら差し出がましいくらいだ。

 そして俺はそのことを理解していながら、なおも桃華へ想いを告げることを恐れている。救いようもないとはこのことだ。


 ――告白していれば、もしかしたら付き合えたかもしれない。

 ――もしフラれても、そこから何かを得られたかもしれない。

 ――次の恋への、かてとなったかもしれない。


 俺は、これらの〝可能性〟のすべてを、自ら手放した愚か者だ。

 もちろん、〝正しい失恋〟をしたとしても、得られるものなどなにもなかったかもしれない。失うものの方が大きかったかもしれない。その〝可能性〟も、確かにあった。

 だがそれでも、少なくともこんな気持ちにはならずに済んだはずだ。

〝戦わなかった自分〟への自己嫌悪など、感じずに済んだはずだ。

〝想いを告げなかったこと〟への後悔など、せずに済んだはずだ。


「――桃華アイツには、こんな想いをしてほしくないな」


 暗闇の天井を見上げながら、俺はボソリと呟く。


 ――桃華には〝剣を抜いて〟ほしい。

 ――桃華には〝勇気を出して〟ほしい。

 ――桃華には〝勝負をして〟ほしい。

 ――桃華には〝想いを告げて〟ほしい。


 そしてなにより。


 ――桃華には、幸せになってほしい。


 つまるところ、今朝の奇行の根源はここにある。

 久世のことを半ば諦めかけている彼女の姿に、〝戦わなかった者〟として、何かしてやらずにはいられなかった。

 桃華には俺のようになってほしくはなくて。

 そして、桃華には笑顔でいてほしくて。

 そのためなら、俺のくだらない失恋なんかとるに足らない。気にする価値もない。

 これは、〝戦わなかった者〟なりの矜持きょうじだ。

〝正しい失恋〟をしなかった自分への、せめてもの罰だ。

 俺はみじめったらしく被っていた布団を払いけて立ち上がる。


 ――俺が、桃華の〝恋〟を成就させてみせる。


 不思議と、秋の肌寒さが薄れたような気がした。

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